高齢化とは何か2013年10月23日

 先日、「高齢ストーカー」の新聞報道をテーマに記事を書いた。超高齢社会の負の側面がいよいよ取り上げられだしたと思う反面、こうした取り上げ方に何か違和感を感じた。その違和感の中身について考えてみた。
 高齢化とは何なのか。人が歳を重ね心身が成熟し衰退していく様を高齢化と呼ぶなら、それは何も今に始まったことではない。人類誕生以来の普遍的な問題である。にもかかわらず何故今「高齢化」が声高に語られるのか。
 今日、高齢化がテーマになる背景に次の点が挙げられるのではないか。一つは「高齢者の社会に占める比率の拡大」ということであり、今一つは「高齢者比率の拡大という変化に社会が対応できていない」という点である。
 高齢者比率の拡大は、経済発展による生活の豊かさや医療技術の進歩による長寿化がこれを年々押し上げてきた。加えて今日的には世代のボリュウムゾーンである団塊世代の高齢化突入がこれに拍車をかけようとしている。
 超高齢社会を迎えた日本が、これに対応した社会的インフラを整備できていないことは周知の事実である。地域での高齢者の孤立化や孤独死、高齢入院患者の病院のたらい回し、低価格の介護施設の絶対数不足、在宅医療の困難さ、高齢者見守り環境の不備、通院・買物などの基礎的日常生活の不便さ等々、枚挙にいとまがない。
 高齢化自体はなんら問題ではない。むしろ長寿が人生の収穫期を祝福しているともいえる。問題は個々の高齢化ではなく、高齢者数の未曽有の増大という現象であり、それを受け入れる環境の不備という点ではないか。「高齢ストーカー」報道は、どこか「高齢者にあるまじきこと」と高齢化自体を問題視するニュアンスが込められてはいまいか。この点こそが「違和感」の正体のような気がしてならない。