有間皇子ゆかりの地①山口町2013年10月31日

 公民館講座「有馬郡物語」のテキスト作成に追われている。有馬郡に共通する歴史上の人物・有間皇子の事跡にふれることになる。「有馬郡物語」である以上、有間皇子と郡内各町村とのゆかりを語らねばならない。テキストづくりも念頭におきながら各地のゆかりを辿ってみたい。
 お膝元の山口では、有間皇子との直接的な関わりは薄い。父である孝徳天皇が大化3年(647年)に有馬温泉に行幸された(「日本書紀」)。公智神社の参道入口にある御旅所は、孝徳天皇を奉祀した奉奠堂の跡地とされ、「孝徳天皇行在所址」と刻まれた石碑が建てられている。「山口町史」には、孝徳天皇の有馬行幸が大化改新の一連の改革を終えた翌年であり、単なる入湯が目的でなく、国政視察も兼ねたものではないかと指摘する。左右大臣をはじめ大勢の随行者を伴った三カ月近い滞在だったことから大規模な行在所が建設された筈である。「日本書紀」に行宮の所在地に関わる記述はない。ただ起伏の多い狭隘な地形の有馬には広大な敷地を要する行宮建設は不向きで、有馬川流域で平地が広がり始める山口に建設された可能性は高いと「町史」は記述する。
 また有間皇子の生母・小足媛(オタラシヒメ)については、山下忠男著「町名の話-西宮の歴史と文化-」には、『山口と有間皇子』という項で次のような記述がある。小足媛は、大化改新後に左大臣となった阿倍倉梯麻呂の娘である。阿倍氏は有馬と縁が深く、古代の春木郷(現在の山口・有馬地域)を支配した豪族・久々智氏は阿倍氏と同族である。古代では、皇子の名を生母の出身地などのゆかりの地名に求める例が多く、皇子の名前が生母ゆかりの地の有馬に因んだと思われる。孝徳帝の唯一の子どもであった皇子が有馬のいで湯で幼児期を過ごされた可能性は高い。その際、生母・小足媛の同族であった久々智氏が養育に関与した可能性もある。
 以上のように、有間皇子と山口との関わりは、皇子の両親との関わりによるゆかりと言えそうだ。