池波正太郎著「英雄にっぽん」2009年12月13日

 私の書棚にあった唯一の池波正太郎の作品だった。この作家の小説はほとんど読んだ記憶がない。なぜこの小説が書棚にあったのかも定かでない。リタイヤ後の蔵書の再読も作家別にはめぼしい作品を読みつくした感がある。いきおい個別に作品名やブックカバーのあらすじを読んで選択することになる。そんな手順で選ばれた作品だった。決して池波作品が質的に劣るというわけではない。単なる好みの問題なのだ。
 とはいえこの作品の主人公・山中鹿之助の最後の舞台となった上月城には、個人的にゆかりがある。母方の実家の隣町なのだ。幼い頃に上月の地名は良く耳にした記憶があるし、その縁で山中鹿之助の名前も馴染みがあった。そんなえにしから、30年前に発行されたこの文庫本を購入したのだろう。
 この作品で鹿之助は、知略を備えた勇猛で一途な快男子として描かれる。他方で時代の流れを読む全体観に欠けるローカルな戦国武将としても描かれる。信長によって天下が大きく統一されようとする時代にあって尼子家という主家再興に命を賭ける。その一途さこそが戦前の尋常小学校の教科書で賞賛された忠誠心だった。それはかって親戚の大人たちが幼い頃の私たちに語り聞かせた鹿之助のイメージだった筈だ。鹿之助のそうしたイメージに大人になってある種のうさんくささを感じていたことは否定できない。
 この作品で池波正太郎は、私たち以前の多くの世代の人々に根を下ろしているだろう鹿之助像を乗り越えさせようとしているかに思える。虚構と史実の間を縫って紡ぎだされる新たなイメージを創りだすのが作家の仕事であるなら、池波正太郎は見事にその仕事をやってのけている。私の中に勇猛で一途で全体観のないドンキホーテのような鹿之助像が産みつけられた。
 「英雄にっぽん」というタイトルは意味深長である。国定教科書掲載の「英雄」の実像を「にっぽん」という国の「ひらがなの庶民の土壌」で描いてみればこうなったとでも言いたげだ。