映画評「おとうと」2010年02月25日

 周囲で鼻をすする音が絶え間なく続いていた。さっきまで誘い合うような笑い声が時折聞こえていた館内の空気が一変していた。そっと左右を見渡すと中年以上の女性たちがあちこちでハンカチを拭っていた。私自身もあふれ出る涙をこらえるすべもなく流れるままにまかせていた。館内の暗さに感謝した。
 スクーリーンにあらためて見入った。「どうしようもない弟」が「しっかり者で美しい姉」に抱かれながら、駆けつけた「かわいい姪」に向って、最後の力をふりしぼってVサインをつくっていた。しばらくカメラがVサインを追った後、若くて美しいボランティアの女性スタッフが囁いた。「てっちゃん!良かったね。もうがんばらなくてもいいよ」。Vサインがゆっくり崩れ、手の力が抜け、てっちゃんの最後が訪れた。感動のクライマックス・シーンだった。
 ストーリー自体はドラマ性の少ない坦々としたものだ。出演者たちのてらいの少ない抑制された演技が際立った。東京の下町と大坂のドヤ街が主要な舞台である。ある意味で日本の街かどのシンボルなのかもしれない。日本のごく平凡な風景の中のありふれた日常生活のいとなみを通して「家族の絆」を問うている。鶴瓶演じるどうしようもない「おとうと・鉄郎」がこれでもか、これでもかと姉とその家族にトラブルを持ちこむ。観客は、おとうとの行状にイライラさせられながら、いつか立ち直ってくれる筈とハッピーエンドを期待する。その期待は見事に裏切られ、おとうとが救急車で病院に運ばれたという連絡がはいり、一気にラスト場面を迎える。大坂通天閣近くのドヤ街の一角のホスピスに横たわるおとうとと姉の再会。物語は悲しい別れという結末を観客に告げる。それでも観客は姉のおとうとへの報われない一途な愛に涙し感動する。家族の絆を教えられる。
 山田洋次監督の面目躍如たる作品である。これぞ日本映画の真骨頂だと思ってしまう。1か月前にアバターを見て映画の力をまざまざと見せつけられた。壮大なテーマを最新技術を駆使してスピード感と起伏のある展開で一気に引きずりこんでしまうのがアバターなら、おとうとは正反対の作品だ。それでもアバターに決して引けをとらない映画の力をこの作品は持っている。それは欧米作品では決して味わえない映画のもうひとつの醍醐味だ。