有馬川の景色が一変した2010年08月11日

  毎年この時期になると有馬川の景色が一変する。両岸や河川敷の伸び放題に伸びていた野草が薙ぎ払われ、突如として解放感のあるすっきりした景色に変貌する。公共事業の一種なのだろう。
 ここ数日そんな風景が北の下流から上流に広がってきた。作業途中の河川敷に据えられたフォークリフトの長い腕が岸に伸びていた。その手前のならされて平坦になった河川敷に一本の鬼ゆりがポツンと立っていた。フォークリフトのドライバーの優しさなのだろうか。明らかにその一輪だけを残しておきたいという意図が窺えた。見過ごしてしまいそうな何でもない光景が、奇妙な安らぎを運んでくれた。
 住宅街に戻ってきた。坂道の正面の灰色の空に鮮やかな虹が浮かんでいた。久々に目にした虹だった。七色の架け橋は、いくつになっても心癒される自然の造形物だった。

語り部の役回り2010年08月12日

 昨日の午後、久々に三宮に出かけた。兵庫県勤労福祉協会が進めている兵庫県労働運動史編纂事業のヒアリングに応じるためだ。三年前の現役最後の年にも同じ労働運動史編纂事業の昭和40年代のヒヤリングに応じた。今回はその続編でもある昭和50年代の労働運動史がテーマである。
 地下鉄・県庁前駅から西に徒歩15分ほどの県立産業会館3階に労働運動史編纂室があった。1時半過ぎに訪問し出版された前回の40年代史の私が関わった産業分野にざっと目を通した。2時過ぎから執筆者と編纂室担当者のお二人からヒアリングを受けた。
 昭和50年代、私はあるチェーンストアの労組役員として過ごしていた。上部組織の事務局に派遣されたり労組代表者にも就任した時期だ。チェーンストアの多くの労組が昭和40年代後半に相次いで結成されていた。50年代は業界が高成長から低成長・成熟化への転換期を迎えた激動の時期でもあった。そんな時期の商業流通業界の労働問題の課題や上部組織の動向などについてお話した。
 それは今から20~30年前の時期を対象としたものであり、振り返れば現役生活でも最も充実した時期のひとつでもある。その頃の思いをこうした公けの資料の中にこめられることをありがたく受け止めた。同時に自分自身が今や「語り部」の役回りを演じる年代に到達したことをあらためて認識させられる出来事でもあった。
 2時間ばかりのヒアリングを終えて帰路に着いた。戴いた紙バックには聞き取り対象者に贈られる「兵庫県労働運動史 昭和40年代(全三巻)」が入っていた。私の歩んだ道のりの証のひとつである。

真夏の芝刈り奮闘記2010年08月13日

 帰省中の息子夫婦も、寄生虫・・・もとい寄生中の娘もそれぞれに出かけている。お盆の初日は夫婦二人の静かな一日となった。働き者の家内は子どもたちの世話がないとなると、庭の手入れに乗り出した。大きな帽子と軍手で装備を固めた家内の姿がガラス越しに庭先に現われた。野草も混じった芝生は伸び放題だし、植木の根元周りも草茫々。何やら不吉な予感がする。庭の実態を目の当たりにした家内の雄叫びが聞こえた。「お父~さんッ!手伝うて~ッ!」。ヤッパリキタ~ッ。
 庭仕事には根っから相性が悪い。右手親指を欠いて以降、絶好の口実を得て回避行動に拍車がかかっていた。・・・が今日ばかりは、家内一人を炎天下に置くわけにはいくまい。観念してリビングを立った。言われるままに物置から芝刈り機を引っ張り出して庭に向かう。手押し式の芝刈り機は思いのほか力を要する。掌に力を込めてひたすらハンドルを前後させる。
 汗だくになりながら20分ばかり悪戦苦闘した時、掌に鈍痛が走った。「痛~ッ」。見ると右手掌の真中にできた水ぶくれが破れて皮が剥けていた。慣れぬことはするものではない。とはいえこれぞ「奇貨居くべし」。「軍手をせずにするから・・・・」という家内の言葉を背に、バスルームに駆け込んだ。シャワーを浴びてリビングに戻る。これにて一件落着ッ!

向こう三軒両隣り2010年08月14日

 息子夫婦が朝9時過ぎに静岡県東部までのUターンの途に着いた。高速道路の渋滞状況をネットでチェックし、比較的空いてることを確認すると「今のうち」とばかり、慌ただしく帰って行った。息子たちを玄関前で見送った足で、近所の気になっているお年寄り宅を訪ねた。
 ここのところ所在不明の高齢者の話題でもちきりだ。どれほどネットワーク社会が進化しようが、ネットワークそのものを高齢者は利用できないし、個人情報保護の壁も立ちはだかっている。結局は、誰かが個別に高齢者宅を訪問し安否確認を行うほか手立てはない。その誰かのひとりにまぎれもなく民生委員がいる。
 そんな意識が奥さんに先立たれた一人住まいのあるお年寄り宅に向かわせた。チャイムを押すとすぐに返事が返った。待つ内に玄関ドアが開いて元気そうな顔を見せてもらった。少しばかり世間話をして辞去した。
 年1回、秋に民生委員による高齢者訪問がある。訪問したお宅の周囲にも高齢世帯や高齢者同居の世帯が多い。それぞれのお宅で一人住まいのお年寄りのことを気にかけてもらっている。何かの折には声をかけたり、訪ねたりしているという話も伺えた。新興住宅街とはいえ、長い年月の経過が向こう三軒両隣の付き合いを育んでいる。高齢化社会には不可欠の新たな地域コミュニティーが芽生えつつあるのかもしれない。

お盆の穏やかで平坦な日常2010年08月15日

 お盆の最終日、曇り空のしのぎやすい朝の散歩道だった。3ヵ月ばかり前のブログで小型トラクターによる田植え風景を綴った。今朝の水田では立派に実った稲穂がこうべを垂れはじめていた。なんとなく稲作の周期はもっと長いものという思い込みがあった。あっという間に育っている稲の成熟に驚いた。
 お盆のブログはとりとめもない日常風景の記事で終始した。現役の頃やそれ以前の子どもの頃には、お盆は正月と並んで年間の一大イベントの日だった。リタイヤを迎えた今、穏やかで平坦な日常が流れている。

明日から3泊4日の信州高原リゾートツアー2010年08月16日

 明日から4日間、信州ツアーに出かける。夫婦で予約していた5月中旬の利尻・礼文島ツアーが地域のボランティア組織の事情で行けなくなった。急遽、娘が代わって家内と出かけた。そのリベンジ気分が抜けきらない6月末に新聞広告で魅力的なツアー案内を目にした。
 「大人の避暑の過ごし方4日間」をキャッチコピーに上高地、霧ヶ峰、軽井沢、谷川岳、奥只見などの信州のリゾート地を巡る旅だ。高原リゾートホテルでの宿泊や郷土色豊かな料理など随所にこだわりのあるちょっぴりリッチなツアーである。名古屋までの往復新幹線でのグリーン車利用、JR飯山線のローカル列車の乗車、谷川岳ロープウェー、奥只見遊覧船などの乗り物の楽しみも多い。家内と日程だけを調整し、即座にネット予約した。費用負担は太っ腹亭主のポケットマネーとあって家内はすこぶる機嫌が良い。
 そのツアーがいよいよ明日に迫った。明日以降の旅日記のブログはiPhoneでの更新に挑戦してみよう。残念ながらiPhoneによる更新では画像貼付の機能はカバーされていない。それは帰宅後の追加貼付の操作でカバーすることにしよう。真夏の信州高原のリゾート気分をどのように伝えられるだろうか。

信州リゾートツアー初日(上高地)2010年08月17日

信州ツアー初日の行程を終えた。白馬乗鞍高原のホテルで夕食、入浴を済ませてブログ更新にとりかかった。アカン!恐れていたことが発生した。ネットにアクセスできない。通信圏外だった。やむをえない。とりあえずiphoneのメモ帳で記録し明日、圏内に入ったところで更新画面にペーストすることにしよう。
新大阪にツアーメンバーが集合した。人気のツアーらしく45名の満席だという。殆んどがリタイア夫婦だ。名古屋までの1時間をグリーン車でちょっぴりリッチに過ごす。名古屋からはバスで2回のトイレ休憩を挟んで一路上高地をめざす。昼食は平湯のレストハウスで積み込まれたハイキング弁当を車中で食べた。上高地の大正池の湖畔に着いたのは1時過ぎだった。
ここから河童橋まで1時間程のハイキングだ。雄大な自然に包まれた心洗われる散策だった。梓川の清流に沿って林間を縫うように遊歩道を歩く。日本アルプスの山並み、驚くばかりの透明度の清流、むせかえるような森林浴、確かに大人の避暑地の趣きだ。メインスポットの河童橋のは観光客でいっぱいだ。それもそのはず奥穂高や明神岳などの穂高連峰の絶好のビューポイントだった。
上高地を3時過ぎに出発しホテルに着いたのは6時20分頃だった。白馬乗鞍高原にある白馬アルプスホテル白馬、典型的なスキー場併設の宿泊施設だった。部屋の窓越しにゲレンデが見える。それだけに快適さにはほど遠く、夕食の洋食のコース料里もイマイチだった。初日のホテルに不満を残しながら10時半頃眠りに着いた。

信州リゾートツアー二日目(軽井沢、谷川岳)2010年08月18日

白馬乗鞍高原の朝を5時過ぎに目覚めた。ホテル回りを散策し朝風呂を愉しんで部屋に戻った。窓からおおきく大きくてカラフルな気球が見えた。夏休みの子供向け体験ツアーのイベントのようだ。8時にホテルを出発し今日の最初の目的地である軽井沢に向かう。高原麓のこの地方独特の造りの古民家に夢中デジカメを向けた。
3時間ほどで日本を代表する避暑地である軽井沢に着いた。旧軽井沢銀座通りを1時間ほど散策した。今年の猛暑にさすがの軽井沢も避暑地の面目を失っている。それでも通りはあふれんばかりの観光客で埋まっている。バス車中のガイドさんからの情報を頼りに観光スポットを巡る。名物モカソフトを舐め、ジョンレノンが愛したベーカリーをのぞき、ジャムのお土産を買い、小さな教会を訪ねた。
昼食は佐久IC傍のおぎのやの名物“峠の釜飯御膳"だった。独特の味付けの具沢山釜飯に舌ずつみする。旅先のビールは今や家内の公認である。スーパードライの中瓶を昼間から呑めるのも旅の醍醐味だ。
上信越自動車道から関越自動車道を経由して水上ICを降りた。谷川岳ロープウェイに着いたのは3時半過ぎだった。15分間のロープウェイ乗車後、更にリフトに5分間乗車し標高1500mの天神峠に着いた。登るほどに気温が低くなり絶好の避暑気分を味わえる。二人乗りリフトで久々のペアマッチを何年ぶりかで味わうことになる。天神峠は360度の展望だ。晴れた日には富士山まで望めるというが雲に覆われた今日の天気では望むべくもない。
二日目の宿泊地である新潟県の越後湯沢温泉のNASPAニューオータニに6時前に着いた。スキー場の広大なゲレンデを背景に巨大な建物群が聳えている。案内された部屋も応接セットを備えた広々としたスペースだ。夕食の和風会席料里も9品目のお品書きの本格的なものだった。何よりも魚沼に隣接する立地である。本場のコシヒカリのとびきり美味しいご飯を味わえた。32型液晶テレビのおやすみタイマーでいつのまにか眠っていた。

信州リゾートツアー三日目(奥只見、JR飯山線)2010年08月19日

 ハイグレードホテルの夜明けを迎えた。いつも通り朝食前のホテル周りの気持ちの良い散策を済ませた。バイキングの和洋とりどりの取り過ぎ気味の惣菜を味わう。やっぱりご飯が美味しい。
 8時に今日の唯一の目的地の奥只見湖に向けて出発した。目的地手前20分程は殆んどがトンネルの全長22kmのシルバーラインだ。豪雪地帯のダム開発にかける想いが伝わる。銀山平船着場からの約40分の遊覧船による湖上巡りである。奥只見湖は只見川など四方から流れ込む水流を奥只見ダムが堰き止めてできた湖だ。秘境の趣きを漂わせた風景が移ろって行く。奥只見ダム横の展望台船着場で下船した。巨大なダムのコンクリートの壁を横に見ながらバスの待つ駐車場まで降りる。ダムの真ん中が新潟県と福島県の県境だという。いつのまにか東北地方の入口まで来ていたことに驚く。そういえば国立公園の尾瀬はここからわずか20分ほど南の至近距離にある。
 来た道を折り返して湯沢町まで戻る。途中、豪雪地帯特有の背の高い独特の民家を興味深く眺めた。「レストハウス越後」というところで昼食を取る。建物前の人工の小川にたくさんの錦鯉が放流されている。近くの錦鯉の産地・山古志村のものだった。昼食は海鮮丼をメインとした"コシヒカリの舟盛り御膳"ということだ。品数多くボリューム満点ながら、ドライブイン料理の典型で作り置きの乾燥感はいかんともしがたい。
 次はJR飯山線のローカル線体験乗車だ。津南駅を14時2分発の一両編成電車に観光バス二台の90名の乗客が乗り込む。突然のラッシュアワーの出現に地元乗客の戸惑いが窺える。わずか15分の乗車時間の殆どが景色を楽しめないトンネル区間である。ツアーこの企画自体が意図不明と思わずにはおれない。森宮野原駅で下車し、待ち構えたバスに乗り込みホテルに向う。
 長野県の斑尾温泉にある東急リゾートホテル・タングラムに4時前というの早目の到着だった。スキー、ゴルフ、テニス、室内温水プールなどを備えた巨大な一大リゾート施設の併設ホテルである。案内された部屋も40㎡の広さのデラックス仕様だ。6時半の夕食まで広大な施設内やホテル周辺を散策して過ごした。地元食材をふんだんに使った夕食は和洋取り混ぜたバイキングだった。自分好みの食材を次々とプレートにチョイスする。一品一品はどれもできたての美味しいものだが、如何せん素人の盛り付けである。色取りや姿はいかにも寄せ集めの観が拭えない。夕食後、大浴場でゆったり身体を休ませ長旅の疲れを癒した。不慣れなiPhoneでのブログ入力と格闘し11時前に広いベッドに横たわった。

信州リゾートツアー最終日(善光寺、車山高原)2010年08月20日

 5時にセットしたモーニングコールが鳴り響いた。いつもより30分早い7時半のバス出発で全てが慌ただしい。大浴場の朝風呂を済ませ、6時半には広大なレストラン会場で朝食をとる。和洋折衷の選び抜かれた食材のバイキング料理は、Aランクホテルの朝食ならではのものだ。
 バスの車窓から眺める風景の中に赤いトタン屋根に覆われた茅葺家屋が点在する。昨日の独特の風情の家屋との違いが新潟県から長野県に移動したことを教えてくれる。9時前に善光寺に着いた。宿坊の案内係の流暢な解説を聴きながら境内から本堂を巡る。本堂仏壇前に正座し解説を兼ねたような法話を聴いた後、供養を勧める封筒が配られた。住所、氏名を記入し希望する祈願内容をマークして3千円の奉納金を添えて依頼するという寸法だ。参拝を終えバスが出発するとまもなく添乗員さんから供養をお願いした全員にお札、お守り、證状(氏名記載の領収書)の入った封筒が返された。なんとも手際のよい仕組みが出来上がっている。
 善光寺からバスで1時間半ほどの中央自動車道諏訪IC近くで昼食となった。野沢菜センター諏訪店の「ゆずそば冷しゃぶ御膳」だったが、ネーミング通りの内容で取り立ててコメントすることはない。相次ぐ団体客の来店で飲み物オーダーの機会がなくビールを飲み損なったことが個人的な恨みごといえる。
 1時頃に最後の目的地である車山高原に着いた。名前も知らなかった観光スポットだが、これが意外と大満足。八ヶ岳中信高原国定公園の中の標高1925mの車山を中止としたなだらかな高原である。隣接して某電気メーカーのエアコンのネーミングとなった霧ヶ峰がある。冬場のスキーリフトを兼ねた2基のリフトを乗り継ぎ車山山頂に着いた。2千mの頂きにしては広々とした山頂である。360度の展望の先に八ヶ岳連峰、南アルプス、中央アルプス、北アルプスが望める。気候が良ければ富士山まで見通せるようだが、今回は無理。とりわけ眼下に白樺湖を望めるリフト側の展望の美しさに息を呑んだ。爽やかな風を受けながら往復したリフトの快適さも特筆すべきだろう。
 全ての観光を終えて、5時半頃に名古屋駅に着いた。6時25分の集合までフリータイムとなる。駅地下街を散策し、家内の要望の強かったひつまぶしの専門店で夕食をとった。香ばしい焼き立ての鰻を混ぜたご飯を、そのまま、葱と薬味を加えて、だしをかけたお茶漬けでと三通りの味わいで賞味した。一人2,550円の旅の締めくくりのちょっぴり贅沢な夕食だった。新幹線車中のグリーン席でプレミアムビールを片手に最後の憩いのひと時を過ごし、9時に自宅に戻った。