津本 陽著「無量の光(親鸞上人の生涯)・上」2012年12月10日

 2ヶ月ほど前に郷里の姫路で高校時代の親友だったK君と二人だけで50年振りの旧交を温めた。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/10/04/6592901 その時、彼に紹介されたのが津本 陽の「無量の光(親鸞上人の生涯)」 だった。親鸞を宗祖とする門徒(浄土真宗の信徒)であることが二人の共通の土壌だったこともある。彼の単行本にはあちこちに付箋が付けられコメントが書き込まれ、愛読ぶりが窺えた。「五木寛之の『親鸞』を読んだ」http://ahidaka.asablo.jp/blog/2012/10/19/6606689 という私の言葉に、「こちらの方がはるかに意味があるからぜひ読んでほしい」と返された。ネットで文春文庫版をすぐに注文した。読みかけの単行本を読み終えてこの作品をようやく読了した。
 文庫本上下2巻、原稿用紙にして約千枚に渡る大作だった。親鸞が比叡山延暦寺の修行僧の頃から始まり90歳の天寿を全うするまでの一代記である。親鸞は鎌倉幕府成立の20年前に誕生し、鎌倉時代の前期から中期を生きた人である。
 上巻は、後に恵信尼と呼ばれる生涯の伴侶との出会いや、専修念仏を説く生涯の師・法然との出会いを軸に展開し、法難を受けて越後に配流され、そこでの信仰と布教の暮らしぶりまでが描かれる。読み進むうちにこの作品が単なる小説ではないと気づかされた。自らが熱心な門徒である著者の親鸞への想いは深い。この作品は親鸞の足跡を辿ること以上に著者自身が想いをこめて分け入った親鸞の教えの小説化に他ならない。それだけに「五木寛之・親鸞」ほどの物語性は希薄である。親鸞の足跡を追いながらそのつど学びとった筈の教義の数々が弟子たちや信徒を前に語られる。そのこと自体に著者の眼目がありそうだ。
 上巻で印象深かったいくつかの教えを記しておこう。「人間はさまざまの要素がつながりあった複雑な関係の中で暮らしている。一つの要素だけでは生きていけず、つながりあって生きている。それが『縁起』である。(略)すなわち、物事には必ず原因があり、その原因のために起こるのだ。決して理由のないことは起こらない」「法然は『選択本願念仏集』で念仏を称える道を選んだ理由を二つ挙げた。一つは、阿弥陀仏の名号は阿弥陀仏のすぐれた徳のすべてを包み込んでいるので、それ以外のどんな行よりもすぐれているためである。これを勝・劣のいわれという。もう一つは、阿弥陀仏の名号を称えることは、それ以外のどんな行に比べても、行いやすいためである。これを難・易のいわれという」。

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