藤沢周平著「喜多川歌麿女絵草紙」2012年12月19日

 藤沢周平著「喜多川歌麿女絵草紙」を再読した。希代の浮世絵師・喜多川歌麿の描画を巡る六つの物語の連作である。それぞれの物語は、モデルである女性がメインの登場人物となって展開する。ただ全体を通して登場する脇役たちの存在感も大きい。若くして弟子入りし嫁いだ後離縁されて再び歌麿の家に通い続ける女弟子・千代、やり手の版元で歌麿を世に出してくれた蔦屋重三郎、蔦屋の番頭で戯作者志望の滝沢馬琴、そして後半に登場する謎の役者絵師・写楽などである。
 前半五つのモデルたちの様々な事情を巡る物語も情感に溢れ余韻の残るいい作品である。ただそれ以上に印象深い傑作は何といっても最後の「夜に凍えて」だった。
 この物語の前半で、「歌麿は、近頃筆が痩せているのを感じる」という文章が突然飛び出す。それがこの物語のテーマだった。歌麿自身の老いの衰えである。それは蔦屋で写楽という役者絵師と遭遇し、彼のこれまで誰も描けなかった力のある役者絵を蔦屋に見せられて一気に加速する。歌麿から美人絵の半下を受取った蔦屋の口から「近ごろ、筆が荒れていませんか」「顔が同じなんです。どの女も」という恐れていた言葉が容赦なく浴びせられる。さらに10年近くに渡って歌麿のそばでつかえた千代も嫁いでいった。「人生の峠を越え、見えるのは老いと死だけだった。千代は去り、蔦屋の嘲笑は、まだ耳の中で鳴っている」。
 この短編集は作者の47~48歳の時の連載物である。44歳で文壇デビューした遅咲き作家・藤沢周平にとって、「老いの衰え」は絶えずつきまとう不安だったのではないか。その不安の中でこそ彼の類いまれな哀感漂う作品が生まれたのだとも思う。この作品は浮世絵を舞台にした作者自身の創作活動での葛藤をモチーフとしている。とりわけ創作における「老いの衰え」を呵責なく描いている。