熱海の夜(40数年の長い道のり)2012年12月07日

12月5日、この時期に毎年恒例の出身業界労組のOB・現役懇親会に出席した。12時半頃自宅を出て新大阪から熱海に向かった。浜松で「ひかり」から「こだま」に乗り換えてしばらくすると車窓に富士山が見えだした。曇り空ながら山容を遮る雲もなく、頂きから裾野近くまでを真っ白な雪で覆われた堂々たる雄姿だった。
 熱海到着はホテルのシャトルバスが発車直後の16時31分だった。駅前で出身企業の現役二人と遭遇した。30分後のシャトルバスを待つという二人を尻目にひとりで歩いてホテルに向かった。薄暮の時間帯だが日頃のウォーキングとスマホのGPSマップという強い味方がある。海岸線に沿って時おりスマホマップで確認しながらひたすら南を目指した。徐々に暗さの深まる海岸線途中の公園で「お宮の松」らしきものを見たような気がする。右にカーブした海岸線の先に会場である「熱海後楽園ホテル」の灯りに縁どられた高層の威容が見えてきた。右手の山の頂きにはライトアップされた熱海城も浮かんでいる。
 案内された部屋には同室者たちが既に到着していた。大浴場で汗を流した後、6時半からの懇親会に参加した。今年も80名ほどの参加者があった。酔い潰れる前に全員の集合写真を撮ることも恒例になった。 乾杯の音頭は、先月にOBになったばかりの日本最大の産業別労働組合の前会長Oさんである。11月6日に流通業界の全労働団体が40数年の歴史を経てようやく統合されひとつの組織としてスタートした。その結果、この懇親会も全出席者が同じ労働団体に属する仲間として初めて迎える記念すべき会合となった。乾杯の音頭を取ったOさんはその最大の功労者でもある。そしてその新組織発足を機に現役を退いた。
 Oさんと私は40数年前の同じ年に大阪の異なる流通企業に職を得た。入社間もない時期に流通業界に労組結成が相次いだ。二人は結成直後のそれぞれの労組の書記長として関西地区の情報交換の場で知りあった。以来数年間、共通の課題達成に向けて交流を深めた。その後彼は上部組織である産業別組織に籍を移し労働運動に生涯をかけることになった。流通労働団体の統合は共通の願いでもあった。その悲願を彼は一方の当事者として見事に成し遂げた。乾杯前の彼の挨拶を聞きながら長い道のりをしみじみと噛みしめた。その後の懇親の場では久々に邂逅したOさんと思い出話と近況に花を咲かせた。