下田紀行(開国の街と唐人お吉)2012年12月08日

 朝5時半に熱海後楽園ホテルで目覚めた。前夜の深酒の重い頭を抱えて大浴場に向かった。朝食を済ませて出身企業の仲間たち5人で下田観光に出かけた。
 熱海駅からJR伊東線に乗車した電車は、途中の伊東駅から伊豆急線に切り替わり終点・下田駅に至る。伊豆半島の東海岸線を縫って南下し、半島先端の町までの約1時間30分の旅だった。
 下田駅前のロープウェーに乗車し寝姿山の山頂に着いた。山頂一帯は遊歩道が整備され、桜をはじめとした四季折々の草木や花が愉しめる自然公園になっている。遊歩道脇の展望台から眼下に見える下田港とその先の太平洋を眺めた。絶景だった。案内看板に「地球が円く見えませんか」とある。どこまでも広がる水平線を見つめながら、この公園がなぜ国立公園なのかが分かった気がした。最も高い場所には朱塗りのお堂「愛染堂」があり、折り返しの別の遊歩道には復元された幕末期の「黒船見張所」があった。
 下田駅に戻り、下田開国博物館を訪ねた。なまこ壁の二棟の建物で入場料が千円と予想外に高い。幕末期の下田の様子の再現パノラマや開国当時の数々の歴史資料の現物が展示されている。興味深かったのは幕末期にオランダ人に写真術を学び我が国写真術の開祖と言われる下田生れの下岡蓮杖という人物だった。彼の代表作のひとつ「江戸城」が展示され、当時としては命懸けの撮影だったとコメントされていた。
 下田駅に向かう途中に唐人お吉の菩提寺で記念館を併設する宝福寺があった。記念館でお吉の悲劇の生涯をあらためて知った。その美貌ゆえに心ならずもアメリカ総領事ハリスの待妾となり、その後の流浪の果てに世間の罵声と嘲笑を浴びながら川に身を投げて自ら命を絶った女性である。境内の墓地には予想外に立派なお吉の墓があった。他方、宝福寺は土佐藩主・山内容堂が滞在した寺であり、容堂を訪ねた勝海舟が坂本竜馬の脱藩の許しを得た場所でもあるという。記念館内には当時の謁見の間が今もそのまま残されている。
 下田駅前の食堂で昼食をとった。金目鯛の煮物、カマスの焼き物、海鮮丼などの漁港の街ならではの味わいを愉しんだ。下田駅からの帰路は2階建て車両のスーパービュー踊り子号だった。高い位置からの車窓の海原の絶景を満喫した。熱海から乗り換えた新幹線でも息を飲むばかりの見事な富士山を目にできた。かつて目にした富士山でこれほどの美しいの姿は記憶にない。一泊二日の熱海・下田の旅を終えて夜8時前に帰宅した。