完結編「復婚・・・あれから40年」2013年07月19日

 書き始めた「復婚・・・あれから40年」の記事がオチのないままズルズルと4回目を迎えた。これはイカン。何とかここらでオチをこじつけてお仕舞いにしよう。
 前回までのお話は、復婚時代の修羅場を迎えた夫が何とか自分なりの居場所を見つけてあらためて妻と向き合う場面までだった。いよいよ互いの「適度な距離感」の折り合いをつけねばならない。ここからは、抽象的な一般論では迫力も説得力もない。いろいろ御託を述べても自分自身はどうなんやという内心の呟きもある。
 リタイヤ後5年を経て私自身の居場所は何とか様になってきた。リタイヤ前の自治会役員選挙で家内が引いた籤で自治会副会長などの役員を2年間引き受けた。その縁で民生委員にも就任し5年目を迎えた。民生委員つながりで地域の三つのボランティア組織の役員も引き受けた。60過ぎで始めた地域紹介サイト「にしのみや山口風土記」が徐々に地域で注目された。それが山口公民館の「山口風土記探訪講座」の定例講座につながり3年間で8回の講座開講となった。2年前には地元の市民ミュージカル劇団の立上げに関わり、現在は後援会事務局長の立場にある。60半ばを超えた身にはありがたいほどの忙しさである。
 家内はといえば、子育ての手が離れた頃から始めたパート勤務を今尚続ける働き者である。家事全般もそつなくこなし、亭主の面倒見も十分すぎるほどである。無類の買物好きでショッピングセンター巡りに余念がない。ご近所の仲良し奥さんたちとの往来や最近富に増えた食事会がかけがえのない時間になっている。
 というわけで、我が家は夫婦それぞれに居場所がある。四六時中鼻突き合わせる環境にはなく、「適度な距離感」も保たれている。とはいえ問題がないわけではない。夫側の言い分は、妻が夫の振る舞いに過剰に注文をつけ過ぎることである。健康面は言うに及ばず、身だしなみ、家事分担等々。妻側の言い分は、夫はボランティアには熱心でも家のことはからっきしやってくれないということになる。当たっているだけに沈黙で応ずるほかはない。
 娘が嫁入りして以来、夫婦二人の生活も3年目を迎える。互いの不満や言い分はあっても許容限度内としよう。それなりに互いの距離感も固まりつつある。日常のそれぞれの居場所での「放し飼い」が定着してきている。どちらかが病になったりした時や、年1回程度の海外旅行の際には、結構寄り添いながら過ごしている。「夫婦はひとり、時々ふたり」の老後スタイルが今のところうまく機能している。安定した復婚スタイルが星霜を重ねて互いの距離感を意識しなくなる時、連れ合いは空気か水のように通常は意識しない、それでいてかけがえのない存在になるのだろう。
 長文の「復婚・・・あれから40年」を気の利いたオチを思いつかないままダラダラと綴った。結局、我が家のヨカッタヨカッタ物語でオチをつけるしか手がなくなった。この稚拙さを恥じ入りながら筆を置くしかない。

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