藤沢周平著「帰省」 ― 2013年10月29日
藤沢周平の最後のエッセイ集「帰省」を読んだ。作者の没後11年を経て編まれた書を中心に構成された文庫本である。
藤沢周平全集の発行責任者だった編集者の解説に次のようなコメントがあった。「藤沢は自分の書いたものをすべて保存し記録しておくという、作家としてごく普通の習慣を持たなかった」。そして作者の次の文章を紹介する。「たわいもない日常茶飯事のこと、たとえば炉辺のむだ話のような文章まで世に出すのはどんなものだろう、このへんできまり悪さは頂点に達するのである」。いかにも藤沢周平らしいエピソードである。彼の著作の殆どを読んだ愛読者として、その人柄は自ずと伝わってくる。上記のエピソードは私の理解する彼の人柄にピッタリくる。
納められている多くのエッセイは各種の雑誌などに寄稿された1000字前後の短いものである。その短い文章の中にもさすがと思わせる何か残るものが込められている。
印象的だったのは、ふるさとの村を語ったエッセイである。「 田の神、山の神の祭り、共同体である村の鎮守の祭り、春先に村を廻る鎮守様の獅子舞い、また毎年えらばれる三、四人の村代表が、夏の出羽三山を駆けてくる御山参り。これらは農業が密接に神とむすびついていたことを思い出させる。そしてこういうことが、農村という共同体の一体感を支える文化でもあった」(「農業の倫理性」)とか「村とは何だろうか。たとえば私が育った村では、たそがれどきの道で行き会う人人は、『晩ゲになりました』あるいは『晩ゲなったのう』と呼び交わしてすれ違った。(略)私はそういう村のあたたかみ、成人するころにはやや重苦しく感じるようになる共同体が持つあたたかみと、かけがえのなくうつくしかった村の自然の中で子供の時期を過ごしたことをしあわせに思い、有体に言えばいまも誇りにしている人間である」(「村育ちということ」)。このエッセイ集のタイトルが「帰省」であるゆえんである。
更に、「鶴ケ岡城 戦国と戊辰の戦火」は23頁に及ぶ力作だった。中世から戊辰戦争に至る鶴ケ岡城の攻防を丹念に辿った研究書の趣きがある。作者の違った一面を見る思いがした。
藤沢周平全集の発行責任者だった編集者の解説に次のようなコメントがあった。「藤沢は自分の書いたものをすべて保存し記録しておくという、作家としてごく普通の習慣を持たなかった」。そして作者の次の文章を紹介する。「たわいもない日常茶飯事のこと、たとえば炉辺のむだ話のような文章まで世に出すのはどんなものだろう、このへんできまり悪さは頂点に達するのである」。いかにも藤沢周平らしいエピソードである。彼の著作の殆どを読んだ愛読者として、その人柄は自ずと伝わってくる。上記のエピソードは私の理解する彼の人柄にピッタリくる。
納められている多くのエッセイは各種の雑誌などに寄稿された1000字前後の短いものである。その短い文章の中にもさすがと思わせる何か残るものが込められている。
印象的だったのは、ふるさとの村を語ったエッセイである。「 田の神、山の神の祭り、共同体である村の鎮守の祭り、春先に村を廻る鎮守様の獅子舞い、また毎年えらばれる三、四人の村代表が、夏の出羽三山を駆けてくる御山参り。これらは農業が密接に神とむすびついていたことを思い出させる。そしてこういうことが、農村という共同体の一体感を支える文化でもあった」(「農業の倫理性」)とか「村とは何だろうか。たとえば私が育った村では、たそがれどきの道で行き会う人人は、『晩ゲになりました』あるいは『晩ゲなったのう』と呼び交わしてすれ違った。(略)私はそういう村のあたたかみ、成人するころにはやや重苦しく感じるようになる共同体が持つあたたかみと、かけがえのなくうつくしかった村の自然の中で子供の時期を過ごしたことをしあわせに思い、有体に言えばいまも誇りにしている人間である」(「村育ちということ」)。このエッセイ集のタイトルが「帰省」であるゆえんである。
更に、「鶴ケ岡城 戦国と戊辰の戦火」は23頁に及ぶ力作だった。中世から戊辰戦争に至る鶴ケ岡城の攻防を丹念に辿った研究書の趣きがある。作者の違った一面を見る思いがした。

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