”まじくるかいご楽快”のエッセンス2017年01月11日

 ”まじくるかいご楽快”に参加して数々のヒントや貴重な情報を得た。以下そのエッセンスを記しておきたい。
 三好春樹・生活リハビリ研究所代表の講演では、認知症ケアについて赤ちゃんの育児をするような姿勢が必要との指摘に共感した。高齢になり認知機能が衰えているかにみえるがそれは「退行」でなく「回帰」ではないか。泣いたり暴れたりオムツのお世話になったりするのは赤ちゃんと同じ。赤ちゃんを育てるように一緒に食事し排せつを介助し入浴するすることで多くのトラブルが解消される。
 上田諭・日本医科大学精神神経科医師の「認知症をすすんで迎える社会に」と題する講演の「認知症は食い止めるものでなく受け止めるもの」「治さなくていい 治らないのが認知症」という指摘はドクターの発言だけに説得力があった。
 NPO法人メイアイヘルプユー事務局長の鳥海房江さんからは介護ロボット導入についての問題点が指摘された。「介護側の都合に合わせた道具になっていないか」「利用者の気持はどうなのか」「身体拘束や虐待につながらないか」「問題行動を促進してしまう懸念がある」等々。
 託老所あんき代表の中矢明美さんからは介護現場の生の実践的な報告があった。「介護現場の専門化やパーツ化が進行している。人を見ないで部分しか見ない介護が心配」「手当て(ぬくもりを伝える)こそが大切」「死期の迫った母の耳元で『今晩逝けよ!』と繰り返しながら看取った」「介護や看取りは子や孫に老いや死という命の現実を伝えること」「好きな物を好きな時にすきなだけ」等々。
 長尾和弘・長尾クリニック院長からは施設介護の問題事例についての指摘があった。「誤嚥を恐れて口からの食事を避け胃ろうに走る」「見守ることができずにバイタルチェック(機器による計測)に頼る」「異常や病気を見つけることにこだわる」「薬に頼りすぎる」「介護職よ!医療に追随するな」等々。
 最後のぶっちゃけトークでは二人の介護家族の事例報告が印象的だった。介護という現実に無知なままに対応したことの後悔が率直に語られた。「父の介護を任せていた母親がひとりで抱え込み、介護が荒れて夫婦の亀裂に。行き場をなくし精神病院の隔離室に。投薬と拘束しかない選択肢の貧困。病院が本人を別人格化してしまう。始まりは救急車」「介護者の経験値を上げることの大切さ」「介護の要はケアマネ。良いケアマネ選び」「経験の少ない若いケアマネとの出会い。一緒に学び育とうと腹を決めた」。
 
 ”まじくるかいご楽快”の主催者たちのスタンスは明快である。医療や介護を専門家に任せきりにせず徹底して介護者と本人の立場に立って向き合う。人が人らしく介護され看取られることにこだわる。そのために異業種、多職種の多くの人と交わり、情報や経験を共有し合う。それは時に過激な発言にも見えたりして、既存の管理型介護を信奉する人たちとの軋轢を生んでいるようだ。それでも通常の介護に限界や疑問を持つ多くの介護者たちには救いとなっている。「在宅ケア」が中心テーマになりつつある福祉ネットにとっても貴重な情報吸収の場だった。