社協分区20年誌の執筆2016年12月01日

 昨晩、社協分区20年誌の第4回編纂委員会があった。今年4月の第21回分区総会で分区長に就任した。20年の節目に就任した分区長として分区の歴史や風土や事跡をまとめ若い世代とも共有したいと思った。「20年誌編纂」は今期の新たな事業のひとつとして承認された。
 分区三役を中心にベテラン役員6人で編纂員会が設置されその責任者に就任した。5月に第1回委員会を開催し、来年4月の分区総会で発刊披露することを表明した。以来、隔月開催し来年3月の6回目の委員会で最終校正を終えるスケジュールを組んだ。
 昨晩の委員会では20年誌の本文である「分区の歩み(分区設立準備から現在までの時代区分ごとの記述)」を提案し検討した。併せて前段の「分区長巻頭言、歴代分区長の寄稿文」、後段のこれまで確認してきた「資料編」も含めた20年誌の全体像も提示した。36頁に及ぶ20年誌ゲラでもある。今回は全体構成とイメージのすり合わせを行い、本文の内容点検は各自で持ち帰り通読の上、修正・補足は次回に委ねた。
 大きな出来事や事業についてのエピソードやコラムを各委員が分担し、一貫性と全体の整合性が求められる通史の記述は私自身がひとりで執筆した。通史執筆にはさすがにかなりの時間を要し、委員会開催のギリギリまでかかった。
 それでもこの作業を通して得られるものも多かった。私自身は社協役員になって9年である。20年の歴史の半分にも満たない。私の知らない前半の歴史をかなり把握できたことは新任分区長としてありがたい営みだった。またこの記述についての様々な補足を各委員から頂いたことにも感謝した。

かかりつけ眼科医と地域福祉で盛り上がった2016年12月02日

 先日、持病の目の病の発症で神戸市北区のかかりつけ眼科の診療を受けた。院長の眼科医は半月ほど前に開催された北区の在宅医療・介護連携支援センター主催の「終活劇」イベントの出演者だった。しかも総合司会という重要な役回りでしばしば進行役で登場されていた。
 診察室に入り数分の受診後に、早速「終活劇を観ましたよ」と声をかけた。合わせて社協や福祉ネットを中心とした地域活動に関わる私自身の立場も付け加えた。先生の反応は予想を上回るアクティブなものだった。北区での医療介護連携に関わる先生の想いが熱っぽく語られた。診察時間を上回るほどの時間になるに及んで次の受診者への配慮から私の方で切り上げさせてもらったほどだ。
 それにしても思わぬ場所で思わぬ人との楽しい会話に遭遇した。

民生委員・児童委員委嘱辞令交付式2016年12月03日

 12月1日、西宮市民会館で一斉改選を終えた民生委員・児童委員の委嘱辞令交付式に出席した。13時30分の開会時にはアミティホールの広い会場を新任と再任の民生委員・児童委員が着席したが、空席も目についた。その背景のひとつに欠員問題がある。定数729名に対し、委嘱数は642名であり、欠員は87名を数え一斉改選前の36名を上回った。
 市の民生委員・児童委員会の広報紙の実質的な編集長を担当している。広報紙の第2号では一面トップ記事で「民生委員の一斉改選、セカンドライフの魅力的な活動」を特集した。欠員解消をめざして、民生委員の主要な対象層である子育て卒業母さんとリタイヤおじさんに向けて「民生委員がセカンドライフの魅力的な活動である」ことのメッセージを送った。広報部会で「ある定年退職した男性がこの広報紙を読んで民生委員就任に手を挙げてもらった」という情報も聞いた。それなりの効果はあったのだろうが、現実はそれ以上に民生委員へのなり手不足は深刻だったと思わざるをえない。
 交付式は、13の地区協議会毎に市長から代表者に委嘱状が渡された。該当地区の交付の際は会場のその地区の委員が起立する。交付の後、市長挨拶があったが、次の予定があり2時前には会場を後にしてJR西宮駅に向かった。

流れ鮨・おとわでプチ贅沢2016年12月04日

 ちょっとした臨時収入が入った。絶妙のタイミングで近所の「流れ鮨・おとわ」の季節の味特集のチラシが入っていた。三種盛りの蟹づくしや旬の軍艦三昧など見るからにおいしそうだ。年金生活となって家内の財布のひもは固い。私のおごりを約束して家内と二人で出かけた。
 案内されたテーブル席でタッチパネル方式で注文する。蟹づくしは生ズワイ蟹、蟹こぼれ、蟹味噌、蟹爪と新鮮素材がテンコ盛り。旬の軍艦三昧はあん肝、なまこ、鱈白子の軍艦三種盛り。その後、だし巻握り、釜揚げしらすの軍艦、なまこ軍艦、梅シソ手巻きと注文し、最後にお漬物浅漬けのさっぱり三昧で締めた。
 〆て税込3700円程だったが、チラシ貼付の500円クープンを使って3200円で納まった。いつもの100円回転寿司にはないプチ贅沢で久々に夫婦の憩いのひと時を過ごした。

熱海&三島大吊橋の旅2016年12月05日

 12月1日、西宮市民生委員・児童委員委嘱式を2時頃に中座して出身業界労組のOB・現役懇談会出席のため熱海に向かった。会場は熱海のホテル「ニューさがみや」だった。熱海駅前でホテルの送迎バスに乗車し、ホテル到着後着替えを済ませて懇親会場の席に着いたのは夕食懇親会開会予定の18時を越えていた。
 冒頭、恒例の集合写真に70数名の参加者が納まった。乾杯の後しばらく懐石料理を味わった後、懐かしい面々との懇談のために宴席のあちこちを巡った。昨年は体調不良で急きょ欠席したので2年ぶりの再会だった。企業の枠を超えて最も意気盛んだった年代を交流し合った面々と旧交を温めた。別会場での二次会でも交流を継続し、部屋に戻ってからも出身労組の現役・OB6人で杯を重ねた。久々の痛飲だった。最後はどのようにベッドについたのかも定かでない。
 翌朝目覚めたのはいつになく遅い6時半だった。窓から目の前の太平洋の水平線からの美しい日の出を目にした。深夜までの深酒が早朝の目覚めを奪い熟睡をもたらした。昨夜入り損ねた温泉大浴場に出かけた。部屋に戻り同室者たちから昨夜の顛末を聞かされた。深酒で不覚にも意識をなくした私は同室者たちに抱えられてベッドに入ったようだ。
 朝食後、出身労組の6人で近隣の観光に出かけた。最初のスポットは昨年12月にオープンしたばかりの三島スカイウォークである。民間企業が開発した全長400m、高さ70.6mの観光用巨大吊り橋である。歩行者専用の吊り橋としては日本一の長さであり間近に富士山を望める絶好のロケーションに位置している。約1名の高所恐怖症メンバーを話題にしながら1時間ばかりの散策を愉しんだ。
 再び熱海に戻って次のスポットの熱海梅園の紅葉を愉しんだ。梅見の滝、中山晋平記念館、韓国庭園などを30分ばかり散策した。滝の裏側から、流れ落ちる滝を見ることができる梅見の滝はなかなか風情があった。梅園から駅前に移動し日本料理の店で海鮮丼等の昼食をとった。昼食後は各自で商店街を散策しながらお土産用の干物やお菓子を求めて改札口前で合流し、2時前の新幹線で帰路についた。

最寄りの公園で思わぬ出来事2016年12月06日

 民生委員の高齢者実態調査で住宅街を廻っていた時だ。犬の散歩中のご近所の奥さんから声をかけられた。「家の裏の公園で子どもの事故が発生して救急車や消防車が駆けつけエライ騒ぎになっている」。児童の安全も児童委員でもある民生委員の役割のひとで、その公園は私の担当区域内にある。すぐに駆け付けた。
 夕方5時前の薄暮の時間である。公園前の道路には消防車や救急車が停車し赤ランプが点滅している。公園南端には何本かの広葉樹が植えられている。その内の一本を取り囲んで数人の消防隊員や救急隊員がいくつものカンテラに照らされて慌ただしく活動中である。周囲を騒ぎに驚いた近隣住民たちが心配げに取り囲んでいる。樹の中から泣きながら「痛い痛い」という子どもの声が聞こえる。すぐそばで小学校低学年の子どもたち数人が不安げに立ち尽くしている。
 面識のあるご近所さんから事情が聞けた。子どもたち数人で遊んでいた。そのうち一人が木登りを始めた。たまたま昇った樹の幹がV字型に二つに分かれていた。そこにすっぽり片足が入ってしまった。自力で抜くことができず子どもたちで騒ぎになって、ようやく気付いたご近所さんが110番したようだ。
 数分後に隊員たちの手で子どもが救出された。隊員に抱きかかえれれて救急車に運ばれた。特段の怪我もなさそうだ。周囲を囲んだご近所さんたちの安堵の声が漏れた。それにしても思わぬ事故が発生するものだが、幸い近隣住民の迅速な通報で事なきを得た。

国鉄有馬線サイトからのアクセス来訪者2016年12月07日

 20日ほど前に見知らぬ方からPCメールを頂いた。私のHP「にしのみや山口風土記」の「国鉄有馬線」のサイトを見ての連絡だった。神戸市北区の神鉄道場駅近くに在住のN氏という方だった。
 メールの内容は次のようなことだ。「趣味の鉄道模型作りで有馬線の列車を再現したいが詳細が不明だ。資料等で詳細を教えてもらえないか」。メール内容からは有馬線の車両情報は私よりはるかに詳しく、私の及ぶところでないと思われた。その旨返信するとサイト記載の故・吉田和夫氏の資料に言及されたメールが返信された。慌てて仕舞いこんでいた吉田氏から譲り受けた資料を点検した。吉田氏はご近所に在住されていた屈指の有馬線研究者だった。晩年に交流があり亡くなる前に私に資料を託された。さすがに大先輩の研究に抜かりはなかった。有馬線車両に関する詳細資料も散見された。あらためてその旨伝えてお会いしての情報交換を提案した。すぐにぜひ会いたいとの意向と日程調整の返事がきた。
 今週の日曜日の午後、私の在住する住宅街のカフェでお会いした。自己紹介し合ったところ40歳のN氏は、今は新興住宅地在住ながら実家は道場町の旧家らしく私と同年代の父さんは元・国鉄マンだったとのこと。父親譲りの列車と有馬線への想いが言葉の端々に窺えた。早速資料を交換した。私が持参した吉田氏ファイルの中から数枚が貴重な資料ということでコピーしてお渡しした。N氏からも作成済の「有馬線を走った列車たちについて」と題するレポートを頂いた。
 HPにしのみや山口風土記を立ち上げて10年余りとなる。初めてこのサイトにまつわる本格的なオフ会を経験した。掲載画像はN氏からいただい資料の一部である。

民生委員の高齢者実態調査の手応え2016年12月08日

 9月の民生委員の地区協議会で高齢者実態把握調査の資料を受け取った。直後に安心キット申込者には社協分区のアンケート調査があり、それと合わせて約半数の方の実態調査を済ませた。ところがその後「社協分区20年誌」の執筆等のデスクワークが集中し、残り半数は実施できずに先送りしていた。実態調査の締め切りは12月9日の地区民児協の日である。12月に入りようやくゆとりができたので4日ほどかけて集中的に訪問しようやく終了した。
 今回の65歳以上のリスト掲載者は331人、213世帯だった。ただ今回から対象者は70歳以上となり65歳~70歳未満は任意調査となった。そこで私の場合は昨年調査対象者だった66歳~70歳未満は引続き対象者とし、今年65歳になった方だけを非対象とした。その結果、対象者は297人193世帯となった。
 印象的だったのは昨年の対象者の内、6人の方の死亡が分かった点である。過去9回の調査でも最も多い。超高齢社会は多死社会でもあることをあらためて実感させられた。その内の一軒では、訪問した日が亡くなられたご主人の四十九日法要の前日だった。「お参りさせてもらっていいですか?」と声をかけると「ぜひお願いします」とのこと。仏壇には思い切り若々しいご主人の遺影があった。問わず語らず「私はこの写真が一番気に入ってるんす」と奥さんの呟き。こんなやりとりの中に9年間の民生委員としての積み上げた人間関係の手応えを想った。

鎌田實著「〇に近い△を生きる」2016年12月09日

 鎌田實著作の4作目「〇に近い△を生きる」を読んだ。発行元のポプラ社の「ポプラ新書」の創刊号のようだ。ポプラ社はポプラ新書発刊に当たって「生きるとは共に未来を語ること、共に希望を語ること」と題した宣言を巻末に掲載している。
 「〇に近い△を生きる」というこの著作は発刊元のそんな気負いを感じさせる作品だった。この作品のテーマは裏表紙に端的に語られている。「今の日本に必要なのは『別解力』。たった一つの『正解』に縛られるのではなく幾つもある「別解」の中から〇に近い△を見つけていきましょう。会社の中でも、家庭の中でも、地球の中でも、みんながより幸福にあたたかく回転していくために・・・・。」
 そして随所にそうした生き方のヒントが提示される。印象的だった事例を記しておこう。「今までの慣例を壊していくと必ず、後ろ指をさされたり、批判されたりする。(略) いいのだ。どんなにいいことをしても、批判する人がいていい。だが、その口を封じてはいけないのだ」「打たれ強い『出る杭』になることが、今の日本で生きていくためには大事。(略)打たれた時の弱さも、つらさも、さらけだしてしまえばいい。杭は徐々にたくましくなり、打たれても打たれても、負けない杭になる。『別解力』のある生き方や△に生きる生き方は、一つのイズムに自分をがんじがらめにしない生き方である。がんばるだけでは、もろくて、壊れやすい。ところどころ、がんばらない生き方をしていると、ガラス細工のようではなく、鋼のように、柔かで強い『新しい人間』になる。」
 この作品からも多くの人生の味わいと生きるヒントをもらった。

地区民児協の歓送迎会2016年12月10日

 昨晩、山口地区民生委員・児童委員協議会の忘年会を兼ねた歓送迎会があった。12月の定例協議会同日の夜には恒例の忘年会がある。3年に1度の委員の一斉改選直後の忘年会は、委員の歓送迎会を兼ねている。
 会場は山口の氏神・公智神社の社務所2階の和室が恒例である。改装間もない会場の真新しい畳の間で宴席が始まった。開会挨拶の後、歓送迎者が紹介がされた。退任者7名に対し新任6名で残念ながら欠員1名となった。退任者への花束贈呈の後、退任者代表の挨拶があった。20年間の在任後に定年退職を迎えた主任児童委員の方である。20年にも及ぶ在任にあらためてその苦労を想った。
 挨拶が終わり会食懇親となった。年に一度の忘年会の場は様々な交流と意見交換の場でもある。美味しい料理もそこそこにテーブルを巡って懇親を深めた。来賓の市の関係部署や市社協の幹部の皆さん、山口地区の委員の皆さん等々。大勢の方とのアルコールの入った饒舌なホンネの会話に多くの示唆を得た。宴席は3時間にも及び足元をふらつかせながら同じ住宅街の女性委員の車に便乗して帰宅した。