映画評「まぼろしの邪馬台国」2008年11月06日

 10月の市大病院の定期診察で、右膝のちょっとしたしびれ感を主治医に話したところ、「念のためMRIを撮っておきましょう」ということになった。そこで夜に異業種交流会の幹事会がある今日の検査となった。ところが検査は朝10時しか空がない。夜までの8時間ほどの大阪での時間潰しが避け難い。幸い観たい映画がいくつか上映中である。
 10時45分、検査を終えて、「まぼろしの邪馬台国」の上映直前の阿倍野のアポロシネマに駆け込んだ。劇場案内や予告編の流れるスクリーンをぼんやり見ながら、何故この映画を観たかったのか考えた。ひとつは日本古代史のロマン溢れる邪馬台国の謎解きへの興味である。今ひとつは、盲目の郷土史家の郷土史探索の情熱への関心である。それは「にしのみや山口風土記」をHPで描いている自分自身のこだわりの投影でもある。そして最も大きな理由は、同世代の永遠のマドンナ・吉永小百合の主演映画であることだったような気もする。
 竹中直人演ずる主人公・宮崎康平は破天荒な人物である。この映画の主題は実はこの「破天荒さ」なのかもしれない。その破天荒さ故に、幼い子供二人を残したまま妻を出奔させ、吉永小百合演じる和子を後添えにし、そして学会の常識を覆す手法で「まぼろしの邪馬台国」を浮かび上がらせた。私が(恐らくほとんどの観客も)涙したシーンがある。康平の葬儀で和子が生前の康平の破天荒さと傍若無人さを参列者たちにわびた時、出奔した先妻が現れ「あなたは詫びる必要はない。こんなに立派に子供たちを育て上げたのだから・・・」と叫ぶシーンである。破天荒さにじっと付き合いながら子供たちを育て上げた和子である。破天荒さから逃げ出し、それ故和子の心情を最もよく理解する先妻の叫びが何よりも嬉しかったに違いない。思わず涙する和子の表情が鮮やかにそれを映し出し、観客はわけもなく同化してしまう。
 それにしても吉永小百合の外見だけでなく内面の美しさが輝いた作品である。