雛たちが巣から顔を出した2010年07月11日

 最近、朝の散歩に出かけた直後に気になる光景に出くわしている。「チ、チ、チ、チッ・・・」。ご近所の玄関ポーチの天井からツバメの雛の懸命なさえずりが聞こえるのだ。
 これまで雛の姿を目にすることはなかった。今朝は巣の縁にとまった親ツバメが咥えたエサを求めて数羽のひなが顔中を口にしてさえずっている。親鳥が去った後も雛たちが巣の縁から可愛い顔を並べていた。
 ツバメはどこの家にも巣を造るわけではない。本体から張り出した屋根つき玄関ポーチがお好みのようだ。くだんのお宅のポーチには天井にダウンライトの玄関灯が付いている。ライトの片側を足がかりにして巣を造っているのだ。
 子どもの頃、故郷の街では実家をはじめどこの家にもツバメが巣造りしていた。どこの家でも雛たちが巣立った後の巣をそのままに残していた。来年再び巣造りすることを当然のように受け止めていた。
 一斉に大きな口を開けて親鳥のエサを求める雛たちの姿に、子どもの頃の懐かしい思い出の光景が蘇った。

それぞれの老後2010年07月12日

 住宅街を出る坂道の先に、細切れの区画で構成された農地が広がっている。市や個人が所有する農地だが、ほとんどは貸農園になっている。細かく区切られた区画ごとにナンバーが振られた小さなプレートが立っている。
 その一画にご近所の知人が管理する畑がある。1年前に夫婦二組で一緒にトルコ・ツアーに出かけた方だ。私たちより幾分年配のお二人は、ひと足早くリタイヤ生活を謳歌されている。お二人とも山陰地方の農家の生まれのようだ。貸農園の畑での野菜や果物作りは共通の趣味であり、老後の生きがいにも繋がっているようだ。
 今朝の散歩途中でお二人の情熱を傾けたホームグランドをしみじみと観察した。無断侵入者やカラスなどの野鳥から作物をまもるためのネットが張られている。畝ごとに違った野菜がきめ細かく植えつけられている。ナスビ、サラダ菜、ジャガイモ、キュウリなどが丹精に育てられている。100坪にも満たない小さな畑だが、手間暇かけて丹精に管理されている様子が一目で見て取れる。たそれは巣立って行った子どもたちに代わるかけがえのない子育てなのかもしれない。そしてそれらはしばしば我が家の食卓をも賑わしてくれるご近所の絆でもある。
 自然の恵みと故郷の思い出を偲ばせてくれる素晴らしい老後の過ごし方にちがいない。

万代橋のたもとで2010年07月13日

 朝の散歩で有馬川沿いの有馬緑道を六甲方向に向かった。山口センターを右手に見ながらその先の万代橋のたもとにやってきた。万代橋を渡った先に上山口の集落に入る小路がある。
 ふとその小路を眺めて風情のある光景を目にした。三軒の古民家が小路に沿って軒を並べていた。手前から茅葺屋根を覆う濃いグレーのトタン屋根、同じく茶色っぽいトタン屋根、その先には剥き出しの茅葺屋根の三つの妻が整然と並んでいた。古民家の絶好のビューポイントを見つけた。
 同じ万代橋の東の袂からは川を挟んで東に明徳寺の甍が見える。山口の真宗寺院の総道場だった格式のある寺院である。やや丸味を帯びた優雅な屋根の稜線がことのほか美しい。
 古民家や寺院の屋根が、なぜか安らぎと寛ぎの気分を運んできた。

映画評「告白」2010年07月14日

 話題の映画「告白」を観た。興行ランキングでも圧倒的な支持を得ている作品だ。レビューを見ても賛辞で埋められている。大ファンである藤沢周平原作の上映中の映画「必死剣鳥刺し」を差し置いて選んだ作品である。それほどに気になる作品だった。
 観終えた感想が言葉にならない。良否の評価ができないと思った。映像作品としては多くのレビューが評価する通り、監督の手腕は文句なしに優れていると思う。主演の松たか子の演技にも賛辞以外に言葉がない。それでも何か心に引っかかるものがある。
 映像表現とは別にやっぱりテーマ性にこだわってしまう。原作者は何を訴えたかったのか。監督は何を表現したかったのか。中学生という年代を取り巻く日本の現代社会の「命」の問題に真正面から取り組んでいる。核家族化の進行、シングルマザー、父親不在の家庭、家族の絆の崩壊、ヴァーチャル世界の横行、想像を超えるネット社会の進展、悲惨なネットいじめの現実、甘やかされて育つ少子化の現実、母親の子どもに対する過剰な感情等々。
 スクリーンに繰り広げられる学級崩壊とも見える実態は、そうした現代日本の抱えるまぎれもない現実の反映なのだろう。登場人物がそれぞれに自分の正当性を「告白」する。それぞれに真実を語っているかに表現される。作者の、監督の主張らしきメッセージが流された直後に、「~ナーンテネ」というセリフが飛び出してそのメッセージすらも茶化してしまう。その軽さにオジサン世代は苛立ちを覚えてしまう。
 問題作であることは認めざるを得ない。時代の最先端の過酷で残酷な現実を垣間見た気がしたのも事実である。テクノロジーの急進展が世代間の意識ギャップを一層拡大させている。家族崩壊、学級崩壊、社会崩壊の連鎖にどんな歯止めがあるのだろうか。どのシーンも母親とその子どもが主役である。見事なまでに父親は登場しない。父親不在の現実に「崩壊」の根があるのかもしれない。

山口町名来の地蔵型道標2010年07月15日

 曇り空の朝の散歩で名来の旧道を歩いていた。あるお宅の表札が目についた。以前、地元の長老からその表札名の庭先にお地蔵さんの道標があると聞いていたからだ。捜したが見つけられないでいた。そのお宅の庭先ではおじいさんが朝の体操中だった。
 思い切って声をかけた。「○○さんのお宅の庭にお地蔵さん型の道標があると聞いたんですが、ご存じありませんか。山口の歴史や史跡を調べているものですから」。一瞬の怪訝な顔が晴れやかになって応答があった。「確か、『宮っ子』で紹介されていた方ですね。そのお地蔵さんなら本家の庭先にある筈です」と門扉を開けて出て来られた。本家の場所を目印の建物を差しながら教えてもらった。
 行ってみると確かにそれらしき祠があり、ようやく発見した。古ぼけた木造の小さな祠だった。観音開きの格子戸が簡易な針金で閉められている。手を合わせてお参りした後、針金の施錠を外し扉を開いた。大小二体の地蔵座像が鎮座している。本家の家人がお世話されているのだろう。花瓶には真新しいお花が、湯呑にはお水が供えられている。長老から頂いた資料にはこの大きい地蔵尊には安永七年の、小さい方には天明五年の碑文が刻まれているとのことだ。江戸時代中期の年号である。
 朝の散歩の思わぬ収穫に心躍った。

ジェフリー・アーチャー著「十一番目の戒律」2010年07月15日

 中央図書館山口分室で初めて文庫本の小説を借りた。最もお気に入りの外国人作家であるジェフリー・アーチャーの「十一番目の戒律」という作品だ。500ページ以上の長編である。二週間という貸し出し期限で読み切れるか不安だったが、10日ほどで読了した。
 さすがに希代のストーリーテラーである。一気に読ませてしまうスピーディーな物語展開だった。この作家の凄さのひとつに構想力のスケールの大きさがある。ソ連邦崩壊後のロシアでの大統領選挙をめぐるアメリカとの攻防をメインテーマに、CIAの天才的暗殺者が政争の渦に翻弄されながらミッションに挑むという筋立てである。これにCIAの内幕やロシア・マフィアの実態がからまり、スリルとサスペンス溢れるストーリー展開となる。この作家特有のお洒落でユーモアたっぷりの会話がちりばめられ、エンタテインメント性の高い作品に仕上がっている。
 文句なしに楽しめる作品だった。ただそれだけだったともいえる。

ブロガー仲間のオフ会・・・ネット社会の光の部分2010年07月16日

 さくらやまなみバスが西宮戎バス停に10分遅れで到着した。降車口のステップを降りてバス停周辺をさがした。お二人のご婦人の姿は見えない。発車したバスの大きな車体が消えた時、2号線の向こうでこちらに手を振っているkokoroさんの姿が目に入った。交差点を渡り、kokoroさんと初対面のショコママさんのお二人と合流した。西宮流ブロガー仲間との初めてのオフ会体験の始まりだった。
 ブログを通してネット交流のあったkokoroさんから、5月初めに山口来訪の連絡があった。西宮中心部在住の数名の方が来訪された際に、現地ガイドを引き受けた。その後、ボランティア関係の会議で月一回、市役所に出かけることになった。そこでkokoroさんと西宮市中心部でランチをしようということになった。南部の西宮流ブロガー仲間ではごく自然にランチ交流が盛んなようだ。kokoroさんの人柄とグルメレポートにかけるひたむきさが多くの仲間の輪を広げている。
 一ヵ月ほど前にショコママさんから私のブログに初めてコメントを頂いた。どんな人だろうとショコママさんのブログを拝見した。いくつかのカテゴリーのひとつに大病に直面した時の葛藤や心情が赤裸々に綴られていた。奇しくも私が罹患した大病と同じ病と同じ時期だった。発症直後の狼狽や不安、その後の前向きに受け止め乗り越えようという姿勢など私自身の体験と心情に共通する内容に大いに共感したものだ。
 ブロガー仲間でもあるkokoroさんとショコママさんのランチ交流に今回は私も一枚噛ませて頂いた。ショコママさんのお友だち経営の「食楽美酒・はるか」というお店だった。詳細は既に昨日お二人のブログで紹介されている。後だしジャンケンの愚は犯すまい。お二人の持ち味を活かした良いお付き合いぶりを垣間見た。山口周辺ではお目にかかれないようなお洒落な西宮南部の雰囲気が伝わってくる。ブログという新たなツールがもたらした交流に感謝しよう。映画「告白」で繰り広げられるネット社会の影の部分でない光の部分にも目を向けよう。

第2回公民館講座「山口の歴史と史跡」2010年07月17日

 公民館講座「山口風土記」の第2回講座「歴史と史跡」を開講した。一般受講者31名に公民館活動推進員6名を加え、37名の受講があった。一般受講者数は前回と同数だった。旧山口村の財産区を継承する財団法人理事長や、市の広報誌「宮っ子」の山口版編集長、地区自治会長などの皆さんにも受講いただいた。
 パワーポイントで35スライドに及ぶボリュームを1時間30分の開講時間でどうこなすかが問題だった。緩急をつけながら10分ほどを残して説明を終えた。第1回講座では説明後の質問が活発だった。結果的にそれが講座の盛り上がり効果をもたらした。今回も質問時間を想定して早目に切り上げた。
 会場からの質問のひとつに「公智神社の正式な呼び名は『こうち』なのか『くち』なのか」という点があった。旧山口4村の氏神に関わる微妙な問題だ。外部から移り住んだ者がうかつに答えるべきでないと思った。幸い旧知の財団法人理事長の出席がある。まもなく発刊される「山口町誌」の執筆者でもある長老だ。ここは、講師に代わって答えてもらうほかはないと、とっさに判断して理事長にお願いした。理事長からは「どちらが正しいということでもない。一般的には『こうち』だが、宮司があげる祝詞では『くち』となっている」との地元長老ならではの回答だった。さらに理事長からは「外からの移住者ながら講師の努力で、山口の全体像を分かりやすく整理してもらい説明してもらっていることに感謝している。地元住民側でも山口村誌改訂版ともいうべき山口町誌を近々発刊する。ぜひ読んでもらい山口の良さを知ってほしい」とのありがたいフォローがあった。
 前回同様に受講者の多くは新興住宅街在住者である。「知って、歩いて、好きになる山口」の講座キャッチコピーの趣旨をあらためて述べて講座を締めくくった。

水稲の苗にまとわる朝露2010年07月18日

 早朝の散歩道。公智神社前の道路を歩いていた。70年ほど前まで旧国鉄有馬線が走っていた道だ。道路脇の民家が切れて、下山口の集落との間に水田から丸山とその背後に畑山が望める。
 水田は道路から一段高い位置にある。水稲の苗の成長した姿が間近に迫った。その美しさに、おもわずしゃがみこんで真横から見つめた。濃い緑の苗たちの草いきれが伝わった。密集した苗の穂に朝露がキラキラとまとわっていた。まるで苗自身が足下の水田の雨水を吸い上げ、呼吸しながら排出した水滴のようだ。体中で瑞々しさを現わしながら苗たちが生きていた。

固定電話維持宣言2010年07月19日

 我が家のFAX機能付き固定電話の子機が繋がらなくなった。充電機能が壊れたようだ。最寄りの家電量販店で修理見積もりを聞くと、1万円程度は必要だが、ほぼ同額で同じ機能を持った最新の固定電話が購入できるという。今や個人携帯の時代である。各家庭から駆逐されつつある固定電話機は大きく値崩れしているのだろうか。即座に購入し、午後の半日を接続やら電話番号登録やらで費やした。
 先日、NHKの朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」で主人公一家が初めて電話機を購入するシーンが映されていた。私の幼児体験にオーバーラップするシーンだった。当時、実家近くに結構大きな八百屋があった。ご近所で唯一の電話機が店の奥の柱にかけられていた。木箱で覆われた電話機の横のハンドルを何回か廻して電話をかける様子を物珍しく眺めていた記憶がある。電話機が金持ちの象徴だった時代である。
 携帯が当たり前の時代に育った若者たちが結婚しても、固定電話は新居に設置しないという話を先日聞いたばかりだ。私たちの一家に一台の固定電話の常識は、すでに彼らには通用しない。「○○ちゃ~ん、電話やで!」という家族間の会話はもはや望むべくもない。家庭の核家族化、パーソナル化が進展する中で、家族の絆を辛うじて繋いでいたかに見える固定電話さえも遂に風前の灯火となりつつある。
 とはいえ、個人対個人で繋がる携帯でない、家対家で繋がる固定電話の絆にこだわりたい。メールの通用しない場面ではFAXが威力を発揮する現実もある。通話料だって固定電話の方がはるかに低コストだ。時代に抗しても我が家はやっぱり固定電話を維持しよう。