幼い夫婦と病の赤ちゃん物語2007年03月04日

 朝6時過ぎに目が覚める。洗顔の後、少し歩くことにした。早朝の談話室の片隅にひとりの女性の姿があった。鼻に管を通した赤ちゃんを左手に抱え右手で携帯メールを操作している。二十歳前後の若い母親である。
 昨日の深夜、赤ん坊の泣き声に私の眠りが奪われた。生まれてまもない赤ちゃんらしいか細い泣き声が途切れることなく続いていた。赤ちゃん同伴の入院が許されるはずはない。泣き声は患者自身のものだろう。眠りを覚まされた苛立ち以上に、付き添いの恐らく母親だろう女性の切なさを想った。誰もが寝静まった深夜の病棟である。病を得た赤ん坊は、そんな事情は知る由もなくいつまでも泣き続けている。周囲の迷惑に気遣いながら必死であやしている若い母親の姿を想像しながらいつの間にか眠りに落ちた。
 今談話室で目にしたのは、昨夜の泣き続けた赤ちゃんとその母親にちがいない。必死で操作している携帯メールは若い母親には手に余る状況の身内への助けを求めるものなのだろうか。
 朝食後のウォーキング途中で私の部屋に間近い部屋から昨夜と同じ泣き声を耳にした。同じフロアを何度か周回した時、廊下の先の窓際で先程の母親が再び泣き続ける赤ん坊をあやしていた。泣き声が聞こえていた部屋では若い男の子が室内の洗面台で洗い物をしている。妻のSOSメールに応えてやってきた赤ん坊の父親にちがいない。授かったばかりの我が子の病に必死で立ち向かう幼い夫婦の姿は、自分自身の病を忘れさせる勇気をもたらすものだった。
 昼前に妻が着替えと好物を持参してやってきた。そのありがたさをかみしめながら、私の想像もまじえて「幼い夫婦と病の赤ちゃんの物語」を話さずにはおれなかった。