乙川優三郎著「安穏河原」2010年06月05日

 乙川優三郎著作の単行本「生きる」には表題作の他2篇の短編が収録されている。そのうちの一篇「安穏河原」を再読した。とことん哀しい物語である。とんでもない状況設定を配した物語である。作家の想像力(創造力)の凄みを感じさせる作品でもある。
 女郎・双枝と親の代からの浪人・織之助との江戸深川の女郎屋での会話で物語の幕が開く。去る小藩の80石取りの郡奉行だった双枝の父親・素平は、武士としての筋を通したため流浪の身となり、妻と一人娘を伴って江戸に流れ着いた。暮らしの術を知らない一家は母親の病臥も重なり瞬く間にどん底生活に陥る。妻の薬礼にも事欠く父親は、遂に娘を身売りさせる決意をする。どん底生活にも武士としての誇りを守り続ける父親は、女衒の前で「これからどんなことがあろうとも人間の誇りだけは失うな」と告げる。
 娘を身売りさせたことを悔い、その身を案じる素平は、織之助に金を渡して女郎となった双枝の様子を知らせて貰うよう頼み込む。父親に厳しく躾けられて育った双枝は、苦界に身を落としてなお志操を維持し気高く生きていた。織之助が注文した鰻をすすめられた双枝は「おなか、いっぱい」と辞退する。それを聞いた素平は、厳しく躾け過ぎたことをあらためて後悔する。食べ物を恵まれたときには、おなかいっぱいと言って断るように躾けたのだ。
 双枝の6年の年季明けが近づくが、あらたに楼主への30両もの借金を返さねばならない。不器用な生き方しかできなかった素平は最後の賭けに出る。かって仕えた藩の江戸屋敷の庭で武士として切腹すると申し入れる。江戸家老は見事に腹を切った素平を称え、介添え人の織之助に30両を与えて弔いをさせる。素平の思惑通りだった。
 ところが双枝の行方がしれなくなる。役人の女郎取り締まりにあって逃げる途中、川に落ちて行方知れずになったという。織之助は古着屋を始め順調に商いを広げる一方、双枝を探し続ける。10年近い年月を経たある日、織之助は商談中にかたわらの団子屋の横に佇む四、五歳の娘を見かける。気になって団子を買い求め「お金はいいんだよ、お食べ」と娘にすすめる。娘は首を振って後退りしながらはっきりと言った。「おなか、いっぱい」。娘は一カ月ほど前に病で死んだ夜鷹の子どもだった。母親の名前も知らない娘は、かかさまは武家の生まれだったと知らされていた出自だけを口にする。織之助は自分自身にも支えとなるものを見つけた。
 あらすじを書くだけの、ブログでもないブログになってしまったことに納得している。過酷な筋書と哀しい結末の物語だった。苦い読後感しか残らない筈の作品がこれほどに心に残るのはなぜだろう。ラスト近くのシーンで娘の「おなか、いっぱい」という文字を読んだ瞬間、おもわず涙した。