豊田有恒著「聖徳太子の叛乱」2013年05月11日

 先日、豊田有恒の古代史短編集「持統四年の諜者」を久々に再読した。あらためて作者の古代史小説のリアリティーのある物語性と創造性に圧倒された。すぐに他の作品のネット購入を試みたが、購入できたのはわずかに2冊だった。市の図書館では何冊かの貸出しが可能だと分かり、すぐにネット予約し、借受けた単行本「聖徳太子の叛乱」を読み終えた。
 読後の感想は、期待を裏切るものだった。その最大の要因は、リアリティーの希薄さという点に尽きる。歴史小説に値しない荒唐無稽さばかりが目につく冒険譚といった趣きの作品である。わずかに厩戸皇子と呼ばれた聖徳太子を中心とした当時の王族たちも相関図や時代背景を学んだという点が収穫だった。
 豊田有恒の衝撃的で印象深い作品「倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説」の発表は1971年である。「聖徳太子の叛乱」は、その20年後の作品である。この20年の時の流れが作者の作風を一変させたのだろうか。図書館で続いて1975年発表の「親魏倭王・卑弥呼 小説邪馬台国」を予約をした。この作品がどのような作風なのか興味深い。

雨上がりの五月晴れの朝2013年05月12日

 雨上がりの五月晴れの朝だった。昇ったばかり朝日が住宅街の舗装路に鋭い陽光を投げかけていた。雨上がりの潤んだ空気に包まれながら爽快な散歩道を歩いた。
 有間川堤の最も生茂ったさくら並木にやってきた。愛宕橋から名来橋に向かう道筋である。堤を覆うように濃くなった緑の枝が川面に伸びていた。
 さすらいのサッカーボールが係留されている筈の草間の窪みを探した。求める姿はない。ヤッパリ!昨日の雨で増水した水流が連れ去ったのだ。チョッとした落胆を覚えながら先に進んだ。名来橋を超えて100mばかり行った時だ。平らな四角い石組の堰堤の狭間にくだんのボールがまたもや足止めを食らっていた。水流の勢いとボールの重さと狭間の歯止めがもたらす均衡が、ボールの旅路をわずか200mばかりでまたもや中断させていた。なぜか安堵しながらシャッターを切った。
 水面が吐き出す湿気が行く手の風景を白いベールで覆っていた。竹藪の東に広がる隣町の靄に包まれた田園風景が心地良い。雨上がりの五月晴れの朝の瑞々しさを味わった。

続・命綱2013年05月13日

 先日、民生委員の担当地区の独り住いの高齢者宅を訪ね、市の緊急通報救助事業をご案内したことを「命綱」と題して記事にした。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2013/04/27/6791661
 その後、ブログ記事を読んだ知人から「NTT一般回線が敷かれていることが条件」という点について、「他の通信事業を利用している住民も多い中、行政サービスとしては問題があるのではないか」とのコメントを頂いた。知人宅も他の回線であり我が家もNTT光回線である。もっともな指摘だった。
 ゴールデンウィーク明けの今日、訪問したご婦人宅に連絡し、緊急通報救助事業の機器設置の検討結果をお聞きした。予想通り次のようなご返事だった。「現状のNTT光回線を元のアナログに戻すと、様々な障害や不便が生じることが分かったので、今回は機器導入は見合わせたい」。
 ご婦人とのやりとりを通じて、NTTアナログ回線使用が条件ということ自体の問題を痛感した。今や家庭の通信回線は多様化しておりNTTアナログ回線は今後少数派になることは必死だ。そんな環境下での、この設置条件は、いかにも時代遅れである。民生委員としてもそれを押してまで機器設置をお勧めするわけにはいかない。「市に問い合わせてこの条件の見直しが可能かどうか、その見通しはあるのかを質したい。その上であらためて相談することにし、今回は見送りましょう」ということで話を終えた。
 すぐに市の担当部署に連絡し、次のような事情を知った。「この事業の導入はアナログ回線しかなかった20年以上も前で機器そのものが光回線等に対応していない。また光回線は停電時に繋がりにくいというリスクがあり、光回線への切替えにためらいもあった」。これを受けて次のように述べて早急な光回線等への対応を求めた。「住民の命綱的なシステムが行政の環境対応の遅れで利用できないケースが増えている。これではシステム自体の意味がないし、行政サービスとしても重大な欠陥ではないか。窓口の民生委員としても該当者に勧められない」。これに対し「担当部署でも環境対応は検討しており業者とも協議を始めている。ただ切替えには民生委員関係機関等との事前協議の手順が必要で時間を要する」とのことだった。「独り暮らしの体調に不安をもった高齢者等にはかけがえのないシステムであり、通常の手順にこだわらずスピーディーな対応をお願いしたい」と結んで話を終えた。

散歩道のトモダチ2013年05月14日

 毎朝の散歩道は野鳥たちとの出会いの場である。リタイヤして数年を経て、早朝散歩も年季が入ってきた。当初、様々な散歩コースを歩いてみたが、徐々に特定のコースに落ち着いてきた。コース途上の四季の移ろいや生き物たちの生態にもすっかり親しんできた。
 とりわけ遭遇する野鳥たちの姿に癒される。最初にしばしば目にするのは住宅街を取り巻く木々でさえずるツグミたちだ。今朝も高い枝先で胸をそらして鳴いていた。鳴き声だけを耳にするウグイスは決して姿を見せることはない。有間川堤からは川面でたむろうマガモやコサギをよく目にする。今日も二羽のマガモと一羽のコサギが餌を求めて水中を虎視眈眈と窺っていた。マゴモとコサギは相性が良いのだろう。すぐ傍で仲良く朝食をとる姿をしばしば目撃する。
 今朝も散歩道のトモダチたちの癒される姿に目を細めた。

橋下・日本維新の会共同代表の人権感覚2013年05月15日

 日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)の耳を疑うような発言が相次いだ。旧日本軍の従軍慰安婦制度について「必要だった」と発言し、 他方で、沖縄の在日米軍司令官に「(米軍は)風俗業を活用してほしい」と提案したというものだ。
 いずれの発言も女性の人権に対する露骨な侵害である。この慰安婦容認発言について、同じ維新の会の石原慎太郎共同代表は「軍と売春はつきもの」と擁護し、同党の松井幹事長も「現実に(慰安婦制度が)あったというのは、必要とされていた(ということだ)」と同様に擁護した。維新の会トップスリーのこうした姿勢は、この問題についての維新の会自体の体質的なものを物語っている。
 昨年10月に週刊朝日による橋下市長の出自をテーマとした特集記事が人権侵害として問題となった。橋下市長本人だけでなく多方面からの猛烈な批判を受けて週刊朝日が謝罪し連載打ち切りで決着をみたことは記憶に新しい。その際、橋下市長は自身に対する人権侵害を痛烈に批判していた筈である。その橋下氏の今回の女性差別発言である。
 他方で、橋下大阪市長は、大阪市職員に対し組合活動に関するアンケート調査を実施し、労組は不当労働行為として大阪府労働委員会に申立てた。今年3月に大阪府労委は不当労働行為として認定し同様の行為を繰り返さない旨の誓約文の交付を市長に命じた。この事件でも職員の思想信条の自由という人権に対する侵害が問われた。
 こうしてみてみると橋下市長には「人権」に関わるトラブルが多い。そして当のご本人の本来の職業は、人権を何よりも尊重しなければならない弁護士なのである。自身に対する人権侵害にはその職業知識はいかんなく発揮されたが、自身の人権感覚はお粗末という他はない。否、自身と他者への人権感覚の相違ないしは使い分けは、人権感覚の致命的な欠落とも思える。

時間預託ボランティア2013年05月16日

 このところ高齢者問題についての関心が強い。自身の近い将来の問題でもある。分譲開始後30年を超えた新興住宅街である我が町も超高齢社会を迎えている。ところが1年ごとに自治会役員が一斉に入替る我が町は、長期の問題や新たな課題に取組めない。結果的に地域での本格的な高齢者対応は手つかずである。
 先月の自治会総会で高齢者対応の着手を訴えた。自分なりに何が必要かを整理してみた。高齢者の「見守り」と「困り事支援」がテーマである。とりわけ、電球交換、庭の手入れ、買物・通院、話し相手といった困り事支援は、ボランティア登録をした地域住民の支え合いの仕組みが不可欠だ。
 問題は、ボランティアをどのように確保できるかにある。特に団塊世代の地域活動への参加が焦点になる。その第1陣が今年65歳を迎え今後続々と団塊オヤジたちが地域に戻ってくる。ところが仕事人間で過ごしてきた彼らは地域での繋がりは希薄である。地域ボランティアになかなか踏み出せない。実際に我が町でも彼らの地域活動への参加はほとんどみられない。
 「地域のボランティアをやってみたいが、やったことが将来自分の困り事の支援を受けることに繋がる仕組みがあれば良いのに」。高齢者問題で雑談していた時に聞かされたご近所の奥さんの声だった。ビジネス感覚に馴染んだ団塊世代の男性たちのセンスにも共通する気分だと思った。
 ナルクという20年前から時間預託のボランティアを展開しているNPO法人がある。私の30年来の友人は今もそのナルクの代表者と懇意である。私自身も現役時代に何度かお会いした。時間預託ボランティアというアイディアの先見性にあらためて感嘆した。友人に連絡して大阪のナルク本部を訪ね、会長にもお会いできることになった。

グランフロント大阪のデカさ2013年05月17日

 昨日の午前中に終った労働委員会の調査の後、梅北のグランフロント大阪を訪ねた。オープン間もない5月初めにも足を運んだが、余りの人の多さに即座に断念した。さすがに半月以上を経た平日の昼過ぎの昨日は、何とか回遊できる程度には落ち着いていた。広大な売場を2時間ばかりかけて北館だけを巡って撤収した。
 2階のJR大阪駅からの連絡デッキの先でもらったフロアガイドを手に、何かと話題の多い北館に向かった。北館2階手前のシースルーエレベーターで一気に9階まで上がり屋外に出てテラスガーデンを散策した。梅田のど真ん中に建つ高層階ビルのテラスからの眺めは、確かに格別のものがある。
 エレベーターで6階に降り、階下に向かって順番に見て回った。以下は印象的だった店の感想である。6階では照明を落として高級感を演出したフードコート風のレストラン街が目についた。さすがに昼ドキとあって順番待ちの店が多く、特に話題の近代水産研究所の養殖魚専門料理店は長蛇の列だった。5階は家具インテリア系のショールーム中心で関心は薄い。4階では関西最大店舗という無印良品の店が圧巻だった。物販のフルラインの品揃えに加え、モデルハウスやカフェ・ベーカリーまで展開している。3階ではナレッジキャピタル(知的創造拠点)の象徴施設のようなザ・ラボというスペースが目についた。IT技術を駆使した様々な展示・体験ゾーンが面白い。北館に展開する3階のau、2階のソフトバンクとドコモといった携帯電話大手の広大なショップがひと際目についた。2階のサントリーウィスキーハウス、地下1階の世界のワイン博物館、世界のビール博物館と飲酒レストランが揃っているのも特徴的だった。
 それにしてもグランフロント大阪の売場面積のデカさに圧倒された。南館、北館合わせて266店舗、4万4千㎡という。このところ相次いでいるキタの大型商業施設の出店・増床ラッシュが果たして大阪の活性化に繋がるのかどうか。オーバーストアのもたらす負の効果も含めて注目される。

NPO法人ナルクの高畑会長との懇親2013年05月18日

 先日「時間預託ボランティア」のことを記事にし、この活動を20年近く展開しているNPO法人・ナルクの紹介をした。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2013/05/15/6811594 二日前に仲介の友人と一緒に大阪のナルク本部を訪ねた。30年来の付き合いである友人は、今もナルクの高畑会長と親密な親交がある。私も現役時代には高畑氏と面識はあったものの、ナルク会長としての懇談は初めてだ。
 本部は地下鉄谷町線の谷町四丁目駅から歩いて数分の所にあった。ビルの四階にある事務所には大勢のスタッフの忙しそうな姿が見られ活気に溢れていた。さすがに全国に130拠点を持ち3万人の会員を擁する日本有数のボランティア組織である。
 高畑会長との20年ぶりぐらいの再会だった。今や80歳を幾つか超えたお歳であるが、年齢を全く感じさせない外見と話振りに驚かされた。冒頭、私の方から地域での高齢化の事情と時間預託ボランティアへの関心を中心に来意を話した。少し時間を要したがじっくりと耳を傾けてもらった。その姿勢にあらためて懐の深さと器の大きさが伝わった。
 会長からは私の来意を汲んで様々なテーマを話して頂いた。ナルクの理念に始まり、時間預託制度、高齢者見守りの「見廻りたい」活動、市民後見人活動、最近の事業計画、企業や地域への「出前講座」などである。そのつど自ら席を立って関係資料を取り寄せるという身軽さがある。市民後見人活動ではわざわざ担当者を呼んで頂き、説明してもらった。
 1時間余りの懇談の後、事前の友人のはからいもあり、三人で近くのお店で盃を交わした。杯を重ねながら、事務所での懇談とは違った話題でホンネや想いを大いに語り合った。あっという間の2時間ほどの懇親を終えて千鳥足で天満橋駅まで歩いた。
 今日、頂いたたくさんの資料に目を通した。さすがに20年もの歴史を刻んだ組織である。高齢者問題に真正面から真剣に取組んできた実績の上に作成された優れた資料の数々だった。知りたかった情報や「目から鱗」のヒントが随所にこめられている。
 我が町ではようやく高齢者問題に着手しようという段階である。その取組みの主要な役割を担うことを避けて通れないと覚悟している。そんな状況のもとでのナルク訪問だった。何年か後にこの訪問がかけがえのないものだったと思い起こす日が来るような気がした。

山口公民館講座「山口の変遷と魅力」2013年05月19日

 昨日の午後、久々に山口公民館講座「山口の変遷と魅力」を受講した。講師は山口町徳風会発行の「山口町史」や「やまぐちの里」の編集委員の和田堅次さんだった。会場の山口公民館には約40人の受講者が参加し、地域の歴史についての住民の関心の高さを窺わせた。
 講座では、主として山口町が西宮市と合併した昭和26年以降の変遷を、合併の経緯、市街地開発、人口の変遷、上下水道・ガス供給・道路整備・路線バス等の環境整備、公安・消防、地場産業の推移等の様々な角度から解説された。
 80歳前後とおぼしき高齢の講師である。「三田~有馬温泉間の初めての12人乗りの路線バスに膝を突き合わせるように向き合って乗車していた」「山口駐在所の駐在さん一家とのご近所づきあいがあった」「西宮市と同時期に合併した山口と塩瀬のどちらに消防署を置くかが問題になり中間の東久保に最初の消防署が置かれた」など、地域に生まれ育った大先輩ならではの証言を随所で話された。
 今回の講座もこれまで何回かに渡って開講されている「山口地域講座」のひとつだった。講師はいずれも旧山口地区の長老の皆さんだ。それぞれの専門分野での貴重な話がお聞きできる機会もそう多くはない。このシリーズの継続を期待するとともに可能な限り受講したいと思っている。

社協分区総会で高齢者見守りを発信2013年05月20日

 4月~5月は、自治会総会に始まって地域組織の定期総会が多い。昨日の午前中は、社会福祉協議会分区の総会だった。民生委員という立場上、個人的にも最も深く関わっている組織である。高齢者や児童といった地域での見守りや支援が必要な層を対象とした組織だけに、地域ボランティア組織としてのウェイトや役割は重い。少子高齢化に拍車がかかる現状では尚更である。
 そうした組織だけに来賓も多彩な顔触れである。市社協事務局長、社協支部長、地元小学校長、対象地区の自治会長、地区婦人部長、子供会長など地域を支える組織の長が顔を揃える。
 そんな中で進められた総会で、分区長による新年度事業計画案が注目された。通常の総花的な提案説明を省き、「高齢者見守りの推進」一点に絞り込んだひと際力のこもった提案だった。安心キットのサンプルを示しながら当面この取組みを着実に進めたいとのメッセージだった。このテーマについては事前の執行部会でも私の提案も含めて議論を重ねたものであり、分区長の意欲的な提案説明に意を強くした。
 同時に、それは各地域団体から選出された代議員だけでなく出席の来賓の皆さんへのメッセージでもあった。社協分区の高齢者見守りの具体的で実践的な取組みのキック・オフ宣言として受け止めた。