「驚愕の発見?」の結末2014年04月27日

 昨日のブログで、山口町名来の廃寺・番守寺ゆかりの墓石の元号を話題にした。ブロガーの凛太郎さんから私のHP「にしのみや山口風土記」掲載記事にある「天正」の紀年銘は、大変な発見だとコメントされた。そこで昨日朝、早速現地を訪ね再確認したら「天正」の碑文はよく見ると「文正」だった。ところが「文正」年間は「天正」をさらに100年以上遡ることになる。これも俄かには信じがたく謎が深まった。そんな顛末を記事にした。
 この記事に対してお二人のブロガーさんからフォローのコメントを頂いた。歴史調査団で長く石造物調査に関わっていらしゃるにゃんこさんからは深い専門知識を駆使して次のようなコメントを頂いた。『左端の年号は「文政」だと思います。 「政」の偏と旁を分解して縦にならべたものですね。その下に「十二己」と見えるので文政12己丑年でしょう』。
 また凛太郎さんからも同様の指摘に加えて次のようなコメントを頂いた。『この時代、年を刻む場合の多くは干支を加えます。文政12年(1829)の干支は己丑です。十二の下に小さく「己」が見えますが、適合します』
 かくして謎は解き明かされた。この墓石は、それほど古くもない江戸末期のものだった。それはそうだろう。そんなに安易に歴史的発見があるわけがない。それでも束の間のドキドキ感を味わえたし、ブロガーさんたちの情報を得て謎解きも叶った。こんな交流があるからブログはやめられない。

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