広井良典著「定常型社会」(その1)2014年09月11日

 著作の第1章「現代の社会をどうとらえるか」は、「経済」「福祉」「環境」がどう関わるかという基本的な枠組みの提示である。次のように要約されている。
 かって共同体やコミュニティの中でインフォーマルな「相互扶助」として行われていたことが、産業化や都市化の中で希薄化し、それに代替するものとして公的な社会保障や福祉が整備された。他方で「無限」に拡大する経済/市場に対して資源の「有限性」や廃棄物処理のキャパシティ問題として環境問題が顕在化する。
 この「環境-福祉-経済」という枠組みの中で二つの対立軸が提示される。ひとつは、福祉政策の文脈での「大きな政府vs小さな政府」であり「富の分配」に関わる対立軸である。今ひとつは、環境政策の文脈での「成長(拡大)志向vs環境(定常)志向」であり、「富の大きさ」に関わる対立軸である。
 ところが近年、新たな状況が生まれつつあり、伝統的な「大きな政府vs小さな政府」という対立の”振幅”の幅が縮小しつつある。経済の成熟化で「需要」が次第に成熟・飽和してきたことでケインズ主義的な「総需要創出政策」が以前のように機能しなくなってきたためだ。他方で「持続可能な成長」という点からの資源の枯渇や環境破壊コストの経済へのマイナス面から「成長か環境か」という対立軸も相対的に縮小してきている。
 但し、戦後の日本では以上のようなヨーロッパ的な対立軸は認識されてこなかった。経済成長という一元的な目標に収束される形で「分配」の問題が「成長」によって吸収されてきた。そして今日本は戦後初めて上記の二つの対立軸に直面している。日本社会のあり方をどうするかという「対立軸」の明確化であり「価値の選択」である。加えて欧米に比べて特徴的なのは、パイの分配を考える必要のないほどに大きな経済成長が続いた時代から、一気にほとんどゼロ成長の時代へと急展開するという変化の大きさである。しかもこれに「高齢化の(世界でもっとも)急速な進展」という事実が加わる。
 「富の分配」「富の大きさ」のあり方についての明瞭な価値理念の提示が求められている。そうした構想とはどのようなものかが次章以降で語られる。

行政の高齢者見守りのステムの見直しは?2014年09月12日

 超高齢化社会の進展に加えて10年後には2025年問題がやってくる。待ったなしで高齢者ケアの環境整備が問われてる。行政側も厚労省が地域包括ケアシステムを打ち出している。
 市は高齢者の見守り環境システムとして二つのツールを提供している。ひとつは、生活に不安があるひとり暮らし等のお年寄りの緊急時の救助のための「緊急通報救助システム」である。今ひとつは、災害時や平常時の緊急事態に関係者に迅速な情報を提供し連携をはかるための「地域安心ネットワーク」である。いずれも民生委員が窓口となって登録手続きのお世話をすることになっている。ところがいずれもシステム発足後の環境変化に伴いその機能や在り方が問われているように思える。
  緊急通報救助システムは、ご近所の二人の福祉協力員の確保が条件であることから実際の利用者は極めて少ない。他方で同様の機能をもつ民間の福祉事業者による24時間見守りサービスの運用が始まった。手続や料金面でもはるかに利用勝手がよく利用者も増えつつある。また今後はタブレット端末等のIT化の進展で緊急通報の在り方も一新される可能性もある。
 地域安心ネットワークは、災害時の救急情報は別にしても、日常は緊急搬送時の救急隊員への情報提供と、あんしんカード携帯による外出時の救急情報の提供がメインである。ところが市社協が提供する「安心キット」の導入に伴い、緊急搬送時の隊員への情報提供は、はるかに迅速簡便に行えるようになった。外出時の救急情報機能も携帯電話の普及でその効果は著しく減退している。
 そうした環境変化に伴う役割機能の低下を考えれば、いずれのシステムもその効果の割には民生委員の負担は大きすぎると思える。また民生委員に過剰な個人情報を託す結果になっている点も気になる。今後、地域包括ケアシステムの整備をはかる中で、民生委員の役割はますます増大する。そのためにも役割の見直しとシステムそのものの見直しが必要ではないか。
 今日の民生委員の定例会で市の担当者による高齢者実態調査の説明があった。当然ながら安心ネットの高齢者への案内も求められた。そこで上記の内容に沿って見守り環境システムの来年度以降の見直しを要請した。

広井良典著「定常型社会」(その2)2014年09月13日

 著作の第1章で「経済」「福祉」「環境」基本的な枠組みの整理が提示され、第2章以下では、それを踏まえた「これからの社会の基本的なありよう」が語られる。第2章では、その大きな柱である「社会保障」ないしは「富の分配のあり方」が描かれる。
 最初に日本の社会保障の特徴が次のように指摘される。①「規模」については、社会保障給付が先進諸国に比べ相当に「低い」水準にある。②「内容」については、社会保障全体に占める「年金」の比重が先進諸国の中で最も大きく、逆に「失業」「子ども」関連給付の比重が際立って低い。③「財源」については、相当額の税が部分的に投入され、”税と保険の渾然一体性”ともいうべき特徴を持っている。
 日本の社会保障水準の低さの背景として二つの「インフォーマルな社会保障」が低さをカバーしてきた点が指摘される。ひとつは終身雇用制の下で社員だけでなく家族の生活保障をカバーしてきた「カイシャ」である。今ひとつは戦後の日本社会で強力なコミュニティとして機能してきた「核家族」である。ところが「カイシャ」については、終身雇用が崩れ、雇用の流動化が進み、非正規労働が増加する過程で、「核家族」については、女性の社会進出や個人単位化の中で急激に「コミュニティ」の実質を失いつつある。こうした「インフォーマルな社会保障」の希薄化の下で今求められているのは新たな「安全網(セイフティー・ネット)」である。
  その上で、今後の社会保障の方向性として二つの視点が提案される。ひとつは「医療・福祉重点型の社旗保障」という点であり、市場の失敗が起こりやすい分野の医療や福祉は公的給付はしっかり維持した上で「選択と競争」原理の導入による効率化をはかる。年金については、厚生年金の所得比例部分をスリム化し、基礎年金部分を現在よりも厚めにする。今ひとつは「個人のライフサイクルを座標軸とする社会保障」という視点である。もっぱら「高齢者」給付に焦点があてられがちな社会保障の全体ビジョンを、高齢者だけを切り離して考えるのでなく、「子ども(十分な子育て支援や教育など)-大人-高齢者(医療・介護及び基本的な生活保障としての厚めの基礎年金)」というライフサイクルを座標軸とした合理的でわかりやすい社会保障体系が提案される。

彼岸花が告げる秋2014年09月14日

 二の腕を包む冷気に半袖シャツで出かけたことをチョッピリ悔やんだ。秋の訪れは足早だった。
 有馬川沿いのいつものコースを歩いていた。顔見知りのおばさんがいつものように愛犬を連れてやってきた。朝の挨拶を交わしてすれちがった後、何気なく振り向いてその姿を追った。愛犬がいつもの場所でいつものように後ろ脚をあげて縄張りにマーキングしていた。その先には、こちらもいつも見かける若い女性のジョギング姿が近づいてきている。いつもの散歩道のいつもの風景があった。
先を進んだとき、鮮やかな赤が目に飛び込んだ。さくら並木の足元に咲き誇った今年初めての彼岸花だった。ここ二三日歩かなかった場所に一気に咲いた季節花に驚かされた。朝露に白く縁どられた花弁のみずみずしさがすがしい気分をもたらした。彼岸花が告げる秋を見た。

久々の夫婦旅2014年09月15日

 今日、久々の夫婦旅に出かける。家内との旅は、去年6月の「北欧フィヨルドの旅」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/tabi-hokuou.top.htm 以来である。リタイヤ後は、毎年のように二人で海外旅行や大型国内旅行に出かけている。今年は、何かと慌ただしくどこかに出かける気分でなかった。最大の懸案だった市民ミュージカル劇団の有間皇子物語公演を8月末に終えて、ようやく出かけることにした。
 一泊二日の小旅行だが泊るとなれば何かと準備は必要だ。家内は旅支度といった煩わしい作業をそれほど苦にしない。むしろ久々に訪れたイベントの準備を愉しんでいる節さえある。何日も前から部屋の一角で旅支度を着々と整えている。着替えなどの足りないものを見つけてはショッピングセンターに出かけてせっせと買い揃えている。お買い物の格好の口実にもなっているようだ。
 「夫婦はひとり、時々二人」。老後の夫婦の距離感に関わる我が家の信条である。「時々二人」の夫婦旅がやってきた。

富士山11景大周遊(プロローグ)2014年09月16日

 昨日から夫婦で一泊二日のバスの旅に出かけている。ツアーのテーマは「富士山11景大周遊」である。富士山をぐるり一周して東西南北の富士五湖から11景を展望しようというツアーである。これで一人2万円なのだからこれはもう見逃す手はないと旅行社のパンフをみてすぐに予約した。

富士山11景大周遊(初日)2014年09月17日

 朝7時半に乗車したクラブツーリズム手配のバスが神戸電鉄岡場駅前を出発した。三田駅前で合流者を乗せ総勢36名が一路、富士山をめざし東に向かった。途中3か所のSAで小休憩し、浜名湖SAで積み込まれた「富士山弁当」を車中で味わった。これが品数豊富な味わい深いお弁当で持参の缶ビール片手に至福のひと時を過ごした。
 最初の富士山展望スポットの東名高速SAの「富士川楽座」には、13時15分に到着した。 4階の展望フロアから富士を望んだ。富士川向い側の岩本山の上に聳えている筈の富士山は厚い雲に覆われて見事に見えない。フロアの一角に同じアングルから撮った冬場の青空の写真が掲示されていた。そちらを撮影して並べ比べた。
 東名を降り、北上して富士山西側の朝霧高原に着いた。ここでは曇り空ながら富士の頂きの雲が晴れ、何とか今回初めての富士をみた。連休最終日の公園併設の動物ふれあい広場が子供連れの家族客で賑わっていた。
 さらに北上して富士山の北側を東西に点在する富士五湖めぐりが始まった。最初の湖は西端の本栖湖である。相変わらずの曇り空ながらちょっとした風向きで束の間の富士の全景が登場した。晴れていれば湖面に逆さ富士が浮き上がるスポットのようだが曇り空では望むべくもない。
 すぐ隣には最も小さな精進湖(しょうじこ)がある。湖と富士の間を緑の樹海が広がる絶景スポットである。ここでも山裾を雲が舞うものの見事な頂きを展望できる幸運に恵まれた。
 少し離れた東側に西湖がある。この湖も富士との間を樹海が横たわり見応えのある風景だ。ただ残念ながら富士の東側半分を雲が覆いその絶景は半減していた。唯一湖手前の野原に咲き乱れる鮮やかなピンクのコスモスが印象的だった。
 さらに東に向かい街並みの続く河口湖町に着いた。5時前の暮れなずむ河口湖の桟橋から遊覧船に乗船した。湖上から富士の雄姿を展望するという願いは無残に砕かれた。立ち込める雲はどこまでも低く雄姿はどこにもない。河口湖大橋をくぐった先でUターンする10分ほどの遊覧だった。
 湖畔のペンション風の宿「ロイヤルホテル河口湖」には17時15分に到着した。リーズナブル料金のパックツアーでは豪華ホテルは望むべくもない。それなりのお部屋で身支度を整えて散歩に出かけた。湖畔の散策路を湖畔に沿って30分ばかり歩いた後、豚シャブの夕食を生ビールを傾けながら味わった。ペンション風ホテルながら河口湖温泉の源泉を引いた自慢の露天風呂がある。中国人観光客ご同伴でゆったり浸かった。部屋に帰って家内から「中国のオバサンたちが浴衣のまま浴室に闖入して驚かされた」という話を聞かされた。9時過ぎには旅の疲れも手伝ってあっという間に眠りに落ちた。

富士山11景大周遊(二日目)2014年09月18日

 富士山ツアーの二日目である。例によって早朝の年寄りタイムの目覚めだった。河口湖温泉の朝風呂に浸かってもまだ朝食まで時間がある。家内と一緒に朝の散歩に出かけた。正面玄関を出ようとしたらフロントのオジサンに声を掛けられた。「散歩だったら裏口から出て河口湖大橋方面からの富士山の眺めが絶景ですよ」。結果、このアドバイスが大正解だった。
 河口湖大橋の中ほどで振り返った。そこには今回のツアーで初めて目にした富士の雄大な全貌が鎮座していた。 昨日とは打って変わった晴間の富士には一点の雲もかかっていない。前面の河口湖の湖面には湖畔の樹林とともに逆さ富士が映しだされている。息を呑むような絶景だった。
 ホテルに戻り朝食を摂った。品数は多いが素材はイマイチの和定食だった。8時20分にホテルを出発したバスは10分足らずで富士急・河口湖駅に到着。風情のある木造駅舎の前にはリタイヤしたレトロな電車が保存され背景には富士の姿が見えた。この絶好の組合せをシャッターに納めた。河口湖駅から二駅先の富士山駅まで乗車した。電車からの富士の展望を満喫した。途中駅の富士急ハイランドのジェットコースターを始めとした遊園地風景も愉しめた。
 駅前に待機したバスに乗り込み富士山五合目に向かった。45分ほどかけて富士スバルラインを走り抜け五合目に到着した。さすがに世界遺産登録間もない富士山の一角である。その観光客の多さに驚かされる。レストハウスの最上階の展望台に出た。残念ながら間近に迫る筈の富士の頂きは雲間に隠れて影も形もない。バス車内でガイドされたアルプスの山並みも展望が叶わない。登山口入口のレストハウス展望台に上った時だ。あれほど厚く覆われていた雲がいつの間にか移動し、束の間の頂きの姿を見せた。山の天気の移ろ気に感謝である。30分余りの滞在で下山バスが出発した。
 到着したのは、ツアーお決まりの土産物店のひとつ「河口湖宝石の森」だった。45分もの長時間を電磁波ネックレスなどの長口上にお付合いした。リーズナブルツアーの税負担と思って過ごすしかない。
 河口湖畔の鹿皮製品販売店の印傳館で「清流そば御膳」の昼食を摂った。店員さんは飲物注文を聞きに来ない。誰も注文もしないで黙々と箸を動かしている。思い余ってカウンターに行きビールを注文した。アサヒスーパードライの缶ビールが300円で提供された。途端に同じテーブルのオジサン二人も追従した。
 昼食後、最後の観光スポット山中湖に向かった。富士五湖最大の湖だが最も俗化した雰囲気を漂わせている。観光スポットからは湖面と富士を一緒に眺望できないハンディもある。巨大な鯉の群れが水際を餌を求めて群游していた。
 13時40分に帰路に着いた。出発地の神鉄岡場駅前には20時40分に到着し7時間に及ぶバスの旅を終えた。

ありふれた日常の中の気持の振動2014年09月19日

 富士山ツアーを終えた翌日だった。朝の散歩道を歩きながらふと思った。富士山周辺の里人たちは、季節の移ろいに応じた様々な富士を日常生活の一部として目にしているの筈だ。なんとも贅沢な日常なんだろう。とは言え、物事には裏表がある。日常の当然すぎるほどの風景はどれほど絶景でももたらされる感動は限られる。日常生活を離れて非日常に遊ぶ旅人にしか味わえない富士の絶景の味わいがある。
 そんなことを思いながら有馬川堤を歩いていた。黄金色の稲田の一角が異色の田圃に変貌している。早生の品種なのだろうか。刈り取られた稲穂のベージュ色の束が敷き詰められている。日常生活のありふれた風景の中にもちょっとした驚きが潜んでいる。そんな小さな気持ちの振動を感じ取れることがけがえのないことなのかもしれない。

有間皇子物語公演がもたらしたもの2014年09月20日

 先日、ミュージカル有間皇子物語公演終了後初めての後援会役員会を開催した。当然ながら公演全般の総括が中心テーマとなった。
 招待者を含めて事前のチケットと招待状の発行数810枚は、ほぼ満席数に等しかった。これに対して、入場者数は4回公演合せて750名だった。この来場者率93%は各公演当り20席前後の席数のゆとりがあったことになる。席数バランス上は申し分のない観客動員だったといえる。出演者、スタッフ、後援会関係者を合わせて4回公演で延千人を超える皆さんに山口ホールに来場頂いた。
 公演収支の概算が報告された。結果的に当初予算を100万円程度上回る事業規模となった。舞台づくりの過程で様々な想定外の出費が発生するのもやむをえない。同時にチケット販売、個人支援金、助成金等を中心に、それに見合うだけの予算を超える収入があった。おかげで公演収支のバランスは確保された。
 振り返ればこの結果に至るまでの過程は、まさしく山あり谷ありの厳しい現実の連続だった。とりわけ山口地区全体の自治会をまとめる会議体への名義後援の要請が、関係者の尽力にも関わらずも最終的には叶わなかった時には、いよいよ崖っぷちに立たされたという想いに駆られた。支援金要請面や観客動員での影響ははかりしれないものがあると思えたからだ。
 にもかかわらず、公演は何とか成功裏に終了した。180名の個人から支援金を頂き、25社の法人から賛助金を頂戴した。ひとえに地域の皆さんの予想を超えたご支援の賜物というほかはない。
 公演を観て頂いた250名ほどの皆さんからアンケートを回収させて頂いた。フラットな客席で観ずらかったといった施設面の不満はあったものの、公演自体への評価は極めて高いものだった。何よりも観客の61%もの方が山口地区以外から来場された点は特筆すべきだろう。創作ミュージカル公演という初めての大それた挑戦が、地域の活性化になにがしかの貢献をしたことは間違いない。公演の地域外からの集客力の証明とも言えよう。合わせて今回の大規模な公演の成功はミュージカルという新たな文化がこの小さな町に花開いたことを物語っている。
 地元自治会の後援が叶わなかったことで、地元での大規模なイベント開催では通例の旧地区財産区の資金支援も得られなかった。それだけに新興住宅街中心の今回の公演の成功は、ある意味では画期的と言える。自治会、財産区の支援を前提としない千人もの動員を巻き込んだ大規模予算のイベントが大好評の中で成し遂げられたということでもある。
 今回の公演テーマの有間皇子は旧山口地区にゆかりの歴史上の人物である。旧山口ゆかりの題材を新興住宅街のカルチャーともいえるミュージカルで発信する。それは山口という新旧の住宅街が併存する町の大きな架け橋でもあるという自負がある。今回の公演成功が、山口の町起こしに向けて、そして新旧両地区の一層の共存に向けて大きなステップに繋がることを願ってやまない。
 個人的にはこの大きなイベント開催に当たって後援会事務局長という役回りを何とか無事果たせたことの達成感は大きい。また取組みの過程で多くの方との交流が得られた。今後の地域活動の上でも貴重な繋がりになると思える方も少なくない。いずれにしろプレッシャーのある大きな役回りを果たし終えて、ホッとしたというのも偽らざるところである。これを機に自分なりに今後の関わりを冷静に考えてみたい。