帰省中の家内の緊急事態2015年05月11日

 昨日の2時過ぎだっただろうか。実家のある岡山に前日からマイカーでひとりで出かけていた家内から携帯コールがあった。家内の従妹宅で親族数人と歓談中に突然めまいに襲われ寝込んでいるという。帰路の運転は覚束ないので電車で迎えに来てほしいという。是非に及ばず・・である。了解の旨伝え、あたふたと神戸電鉄の最寄り駅に向かい、新神戸から新幹線に乗車し岡山から津山線で一駅先の法界院駅で下車した。出迎えてもらった車で訪問先の従妹宅に到着したのは4時半過ぎだった。
 目にした家内の様子は予想を超える深刻さだった。客間の廊下で倒れ込んで起き上がれないまま横たわっていた。電話を掛けた時より症状が悪化したようで、手の震えまでも発症している。自力で病院を訪ねられる状態では到底ない。救急車に来てもらい、岡山市内中心部の総合病院に運ばれた。
 診察室前のベンチで不安を抱えながら1時間ばかり待った。7時過ぎにようやく診察室に呼ばれた。MRI等の検査や点滴等の措置を終えて移動式ベッドに横たわる家内の姿を目にした。大分生気を取り戻したようにみえる。担当医師から脳の血管等の検査画像を見せられながら説明を聞いた。結論的には特に異常は見られない。しばらく安静にして回復すれば帰宅してよいとのこと。すぐには立ち上がれなかった家内が8時前になってようやく元気を取り戻し歩いてトイレに行けるまでになった。これを潮に従妹宅にタクシーで戻った。
 その日の帰宅は断念し訪問先のお宅で夫婦ともどもお世話になることにした。8時半過ぎに面識のある従妹さんと逗留中の親戚のおばあさんと一緒に遅目の夕食を戴いた。家内は先に休んでいる。ビールも戴きながら大いに歓談させてもらった。10時過ぎに客間に戻り波乱の一日を終えて眠りに就いた。

岡山市街地の神宮寺山古墳2015年05月12日

 岡山の家内の従妹宅で迎えた朝だった。隣で目覚めた家内のだいぶ落ち着いた様子を見届けていつもの早朝散策に出かけた。大学生活を過ごした土地勘のある地区の一角である。ところが歩き始めてすぐに、丘陵を覆ったこんもりした森が目に入った。記憶にない風景であるが、鎮守の森といった風情のあるたたずまいである。すぐにそちらに足を向けた。
 水路の前の正面に辿り着いて驚いた。石の鳥居の脇に「史跡神宮寺山古墳」と刻まれた石碑が建っている。傍の案内板にも国指定史跡の文字があり「この神宮寺山古墳は、全長約150米、幅80米、高さ15米に及ぶ巨大な前方後円墳で、千数百年前に築造されたものである。(略)岡山県にはこの種の古墳は多数見受けられるが岡山市のような沖積平野に築造されているものはきわめて少なく、この頃にはすでにに岡山平野は強大な権力者のもとに文化が栄えていたことを証明している」と記されている。予想外の由緒ある史跡を目にした高揚感を覚えながら、鳥居をくぐり「後円墳」の頂きに向かう石段をのぼった。石段を上り詰めた先に天計神社が鎮座する。参拝の後、社の裏手に回るとなだらかな斜面の先に平らな丘陵が続く「前方部」が見えた。
 古墳を後にして岡山市北区北方の町並みを散策した。戦災を免れた町並みは入り組んだ小路のそこかしこに昔ながらの大きな屋敷が残され屋敷町の風情を漂わせている。JR法界院駅北側の踏切りを渡り、岡北中学校の正門前にやってきた。40数年前に教育実習で何日も通った学校を懐かしく眺めながら敷地の周囲を巡った。
 8時過ぎに宿泊宅に戻り朝食を戴いた。10時過ぎには元気になった家内のお供で最寄りの量販店にお土産などの買物に出かけた後、12時過ぎには帰路に着いた。家内の思わぬ病に懸命に看護し対応して頂いた親戚の皆さんの心遣いに心から感謝した。

ネット通販のトラブル顛末記2015年05月13日

 ネット通販で購入したショルダーバッグの前面収納ポケットのファスナーが裏地を噛んで開閉できなくなるというトラブルに見舞われた。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2015/05/08/7629675 アマゾンルートで販売社に返品・交換のリクエストをかけたところ、3日後に以下の回答メールを受信した。「海外発送の商品で、返品交換は厄介である。自分で何度もファスナーを開閉しみてもらえないか。この状況について一部返金して埋め合わせてもいいですか?」といった内容だった。正確には日本語になっていない個所も散見されるメールで、外国人スタッフによる回答と思われた。
 すぐに「自分で何度も開閉してみた結果、真ん中辺りで全く動かない状況だ。このバッグ自体は気に入っているので、できれば交換してほしい。それが無理なら一部返金での処理もやむをえないが幾らぐらいの返金なのか?」と再送信した。そのあと返品交換はかなり厳しそうだと見込んでダメモトで再度、ファスナーの開閉に挑んだ。格闘すること数分・・・事態は思わぬ結末を迎えた。半ばあきらめかけた時、何かの拍子にファスナーがスッとスライドした。
 昨日、再送信メールに販売社から再返信が届いた。「指を裏から裏生地を噛むところの下部分に押して力を入れて引手を逆方向に引いてみてください」と顧客の自力解決を促した上で「500円の返金打診」が記されていた。ダマテンで500円を受領するほどの根性も悪意もないので「その後ファスナーが無事稼働したので返品交換要望は取り下げる」旨メールした。その回答が昨晩届き「お手伝いいただきありがとうございました。ファスナーをスムースに稼働するため蝋燭を塗ってみて下さい。アマゾン経由で500円返金しました」とあり、アマゾンからも「返金処理が完了した」旨のメールが届いた。
 ネット通販トラブルのあっけない、予想外に誠実な対応の顛末だった。

新旧織りなす隣町・平田の風景2015年05月14日

 気になっていた風景を確認するため、早朝散策の時に隣町・道場町平田に足を伸ばした。
 平田の広大な田圃を新名神高速道路のコンクリートの橋げたが一列に突き刺さって横断している。その西の端の橋脚に車道を支える鉄骨が架けられた。風情のある民家の向こうに無骨な鉄の塊が巨大なクレーン車の長い腕と一緒に青空を染めている。橋げたの間を縫っている歩道を辿り、足元から工事風景を眺めた。今風の大規模な公共工事の圧巻を目の当たりにした。
 工事現場の西側を南北に走る旧街道沿いに平田の集落が広がっている。風情を漂わせていた茅葺家こそ取り壊されたが、今もかつての宿場町の面影を偲ばせる雰囲気が残されている。集落の東の田圃の中に薬師堂がある。奈良時代に僧・行基が建立したと伝わるお堂で本尊の薬師如来像は行基の作と伝えられる。有馬川のすぐ東の丘陵を背景とした小さな薬師堂の緑に包まれたたたずまいが穏やかな安らぎを運んでくる。
 新旧織りなす隣町・平田の風景を歩いた。

野鳩カップルのじゃれあい2015年05月15日

 今朝の散歩道で微笑ましいシーンを目撃した。有馬川の川床は洗い堰で二羽の野鳩がくっつかんばかりに身体を寄せ合っていた。その接近ぶりに思わず足を止めて眺めていた。すると片方の鳩が突然頭を回してもう一方の鳩に顔を寄せた。くちばしを寄せてまるでキスを迫るかのような振舞いである。これに対し他方は嫌がるように顔をそむけている。それに対し一旦諦めたように頭を戻したあと再び同じように迫っている。そのじゃれあいにも見える二羽の振舞いは、私がカメラに納めた後も執拗に続けられていた。
 無論、二羽の野鳩が雄雌であるか否かは知る由もない。ただキスを迫る鳩と顔をそむけながらもまんざらでもなさげな鳩は紛れもなくカップルに思えた。(嫌がるそぶりながら飛び立たないのが、まんざらでもないことの何よりも証明ではあるまいか)
 かくして朝っぱらからの野鳩カップルのじゃれあいは格好のブログネタとなった。

ボランティア活動って何やッ!2015年05月16日

 二人一組のボランティアセンターの当番の日だった。相方のコーディネーターは隣町の同年代のご婦人である。朝9時から12時までの3時間の当番でたっぷりおしゃべりする時間がある。日頃話合えない様々な情報が交換できる機会でもある。以下は、相方から聞いた話である。
 「隣町にことのほかカーボランティアに熱心な70代半ばの男性がいる。その熱心さに誰もが頭が下がる思いだが、しばしばそれが利用者に過度な便宜をはかることに繋がってしまう。病院への送迎は待ち時間や診察時間が予測できないため原則として送りだけというルールになっている。ところが彼は利用者のために長時間待機して帰路の送りも厭わない。また利用者の要望があればルール外の途中下車のお買物の便宜もはかることもある。彼の過度な便宜提供は他のボランティアには通じない。ところが利用者にはその便宜が他の人の場合にも前提になりかねない」。
 いうまでもなくカーボランティアは様々な考えをもった多くのボランティアの善意に支えられている。利用者にも様々な事情や要望がある。とはいえ利用者と提供者はそのつど変わる。個別の考えや事情があっても共通のルールで運営することで双方の納得と安心が担保され制度が維持される。
 彼の身近なコーディネーターである相方は、ルールを越えた便宜供与の自制を促す立場にある。その苦言が重なると彼は苛立ちを隠さず反論する。「そもそもボランティア活動って何やッ!困っている人に自分でできることをやって何が問題や。ボランティア活動はそんなに杓子定規にやるものではないんじゃないか」。
 彼の指摘は極めて本質的だと思った。今ほど高齢化が進展していなければその通りだと思う。唯、超高齢社会を迎えボランティアの需給バランスが崩れつつある今、バランス維持には共通ルールは欠かせない。一度じっくり話し合いたいと思った。永い人生を経た者同士である。価値観の相違が埋められるわけはない。それでもお互いの心情を吐露し合うことで得られるものもある筈だ。酒好きの方のようである。盃を酌み交わしながらホンネの歓談ができるだろうか。

社協分区総会の新たなスタート2015年05月17日

 今日午前中、社協分区の総会が開催された。20回目の節目の総会は、名実ともに分区の新たなスタートとなる記念すべき総会だった。
 そのひとつは、分区が中心になって3月に設立したばかりの福祉ネットの活動を強力に推進することが確認されたことである。今ひとつは、分区組織の改編が10年ぶりの規約改正とともに承認されたことである。
 組織改編のポイントのひとつに総会を従来の代議員総会から役員総会に移行した点がある。地域の7関係団体から派遣の21名の代議員による総会が、日常的に社協活動を支えている役員39名による総会に移行した。今ひとつは、執行組織を整備し責任と権限を明確化した点である。三役と事業部長の14名の執行委員による執行体制を整備するとともに、年1回の総会で日常活動を周知した役員によるチェック機能を整えた。さらに高齢者福祉の円滑な活動推進のためボランティアセンターを事業部から独立させるとともに福祉ネット推進部が新設された。
 役員改選では増員された副分区長に新たに私が選任された。福祉ネット事務局長として分区では福祉ネット推進部長を兼務する。同時に福祉ネット推進部メンバー等を想定した10人の新役員が承認された。役員改選後に新役員を代表して挨拶が求められ、次のように述べた。。「超高齢化を迎えたこの地区で分区の本格的な高齢者福祉の活動推進に向けて、福祉ネット設立という新たな環境が整った。分区での福祉ネット推進部長を担当する副分区長として全力投球したい」。
 今日の総会は、分区の新たなスタートであると同時に個人的にも地域活動の新たなスタートとなった。

チーム「福祉ネット推進部」の発足2015年05月18日

 昨晩、午前中の社協分区総会で正式に役員に就任した4人の皆さんと懇親した。新設された福祉ネット推進部のメンバーの顔合わせである。私と同年代のオジサンと、40代の社協役員では若い世代に属する主婦3人が住宅街の閉店後のカフェに顔を揃えた。
 冒頭、責任者として私からいくつかのお願いをした。メンバー間の親交を深めるためのプロフィール情報の提供、福祉ネット推進部会の定例会議の日程確認と分野毎の任務分担、社協行事への参加要請等である。
 事務連絡を終えて、呑み放題のビールで乾杯した。全員が呑める方ばかりなのが嬉しい。各メンバーは個別に私が声掛けし懇談の上で参加して頂いた。そのため私以外のメンバーは相互にはほとんど初対面である。参加者それぞれの自己紹介を皮切りに懇親会が始まった。
 それぞれが独自の世界で頑張ってきたことが言葉の端々から伝わってくる。それがまた各自の持ち味や得意分野となって福祉ネットの活動への期待に繋がっている。それぞれの独自の歩みの果てに「地域福祉」という分野で貢献したいという「志」で共通していることが何よりである。福祉ネット推進部という頼もしいチームの発足を心から喜んだ。

直木賞作家の級友・車谷氏の死2015年05月19日

 朝刊の最後の頁を開いた時だ。「車谷長吉さん死去」という二段抜き見出しに衝撃を受けた。本名・車谷嘉彦君とは小学校、中学校、高校の12年間に渡る級友だった。
 高校卒業後は交流もなく音信不通だった彼の消息が突然知らされたのは17年前だった。その時も車谷君の直木賞受賞の新聞記事だった。そしてそれは私の身の回りで起こったささやかなドラマの始まりだった。(HP「直木賞作家・級友”車谷”君に捧げる詩」1部 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani.htm
 小さなドラマから9年後に、はからずも大作家となった車谷君と会える機会が訪れた。郷里の「姫路文学館」で開催される「作家・車谷長吉、魂の記録」と題する特別展への招待券付き案内状が郵送された。車谷氏と同じ出身高校の同級の同窓生宛の案内状だった。早速、直木賞作家・車谷長吉氏の特別展示会と対談会に出かけた。そこでの彼との44年ぶりの出会いもまたちょっとしたドラマをもたらした。(HP「直木賞作家・級友”車谷”君に捧げる詩」2部 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/kurumatani-2bu.htm
 そんな彼との関わりの果てに訪れた衝撃的な結末だった。新聞報道によれば誤嚥性の窒息死だったようだ。高校卒業後は親しく言葉を交わすこともなかった彼との交流だったが、二つの小さなドラマを通じて鮮烈な印象を与えられた人物である。心から冥福を祈らずにはおれない。

水田とサギのヒナ鳥2015年05月20日

 早朝の散歩道を隣町の道場平田まで足を伸ばした。今も広大な田園の広がる町である。5月も半ばを過ぎていよいよ田植えの準備が始まった。用水路から引かれた水が稲田を満たし、鏡のような水面を映していた。
 水田に二羽のサギが戯れていた。農免道路を伝って進むうちサギたちの近くにやってきた。畦道近くの泥田に遊ぶ二羽のサギをデジカメのズームが捉えた。思いの外小ぶりのサギたちだった。胸元から頭にかけて淡いベージュに染まっているひな鳥たちだった。時おりくちばしを泥田につつきながら寄り添うように徘徊している。
 五月晴れの心地よいそよ風を感じながら、自然の生き物の微笑ましい風景を見つめながら歩いた。