浅田次郎著「壬生義士伝(下)」2019年08月03日

 浅田次郎著「壬生義士伝」下巻をようやく読み終えた。書評を記すには余りにも壮大で感動的な作品である。感想を記しておくしかない。
 「義とは何か」を考えさせられた。著者は、京都壬生に本拠を置く通常「壬生浪」と称されさげすまされた新選組を「壬生義士」と置き換えることで明治維新以降の偏った見方に異をとなえているかに思える。武士の世が終末を迎えようとする時代にあって、新選組は「武士の義」にこだわった集団として描かれる。主人公の新選組隊士・吉村寛一郎はそうした新選組にあって更に独自の「義」を貫く。「民の幸せを守り抜く」のが「武士の義」だとすれば貫一郎は、最も身近な民である「家族の幸せを守り抜く」ことに義の意味を見出す。「義とは何か」。正義、信義、忠義などの言葉が浮かぶ。一般に「正しい行い」という意味だろうが、何にとって正しいのかは一様でない。「民の幸せ」といっても抽象的でリアリティに乏しい。貫一郎は「家族の幸せ」を通して具体的で実体的な「義」を貫いたかに思える。