映画評「ホームカミング」2011年03月24日

 二三日前に家内から告げられた。今日の午後、ご近所の奥さん方の訪問があるという。娘の婚礼のお祝いのためだ。話しはそれを告げることではない。私の夕方の大阪への外出予定を繰り上げるようにとのお達しなのだ。久々に我が家に集う友人たちとの楽しい語らいの場に無粋なオヤジの在宅はもってのほかということのようだ。私とてご婦人方の占拠する我が家での居心地の悪さは想像に難くない。そんなわけで慌ててシネマの上映作品をネット検索した。

 チョイスしたのは元祖テキトー男・高田純次主演の「ホームカミング」だった。かなりマイナーな作品らしく関西での上映館はテアトル梅田だけである。リタイヤ直後の主人公が老人街と化したニュータウンの昔の活気を取り戻そうと奮闘する姿を描いたものだ。この作品の身近で共感を呼ぶテーマに迷わず選択した。

 初めて入館したテアトル梅田のさして大きくないシアターに観客はまばらだった。大企業の部長・鴇田の定年祝賀会のシーンで幕を開けた。酩酊状態で帰宅した鴇田を待っていたのは、高橋恵子演じる美しい妻と会社の寮生活で家を出ている筈の一人息子だった。しかも息子は婚約者らしき女性を連れてきている。息子は結婚後は婚約者のマンションに住むと宣言する。息子夫婦との同居を念頭に建てたマイホームは二世帯住宅だった。息子はいう。「この町のどこに故郷があるか。神社もない。お祭りもない。商店街も映画館もない。友だちもみんな出て行っている」。家族揃った自由で穏やかな第二の人生という鴇田の願望はもろくも砕ける。

 このイントロ部分こそがこの作品の主テーマである。日本全国の多くのニュータウンが直面している課題である。故郷を捨て大都市周辺に移り住んで高度経済成長を支えた働き蜂たちの生活拠点こそが人工の町・ニュータウンだった。その多くは分壌開始後数十年を迎えている。子どもたちの多くは巣立っていき、帰ってくることも稀である。終の棲家と考える親たちの高齢化だけが確実に進行している。作品ではニュータウンの平均年齢は68歳と設定されている。

 物語は町の活気を取り戻し新たなコミュニティーを創出する取り組みとして町のお祭りの開催を取上げる。個別にバラバラに実施されているサークルや同好会を一堂に集めた祭りである。サークル活動の人の輪を繋げていく新たなネットワークづくりでもある。櫓を囲んだ炭坑節もある。ニュータウンなりの新たな伝統づくりなのだろう。同じ問題意識を持った観客の直面する課題にそれなりに考えるヒントを与えてくれる作品だった。

 嫁の来客で粗大ゴミ化したリタイヤオヤジが、ゴミ出し外出で観た「リタイヤ物語」は思いの外の収穫だった。