DVD「トロン・レガシー」2012年08月21日

 購入したばかりの大型液晶テレビとブルーレイ・ディスクレコーダーの威力を味わってみたいというミーハーな動機から、我が家のリビングでレンタルした3DのDVD2本を観た。借りたのは「トロン・レガシー」と「パイレーツ・オブ・カビリアン(生命の泉)」だった。
 最初に2010年製作のSFアクション「トロン・レガシー」を観た。3Dに期待する奥行き感や飛び出し感などの立体効果はイマイチだった。ただストーリー展開はインパクトのある考えさせられるものだった。
 一言でいえば、巨大IT企業エンコム社のCEOでデジタル界のカリスマであるケヴィン・フリンとその息子たちの葛藤物語とでもいえるだろうか。実際の息子はサムだけだが、天才ケヴィンが創り出したプログラムであるもうひとりの息子ともいうべきクルーがいる。彼は今やデジタル世界「グリッド」の独裁者となっている。クルーに誘導されてグリッドに踏み込んだサムはそこに幽閉されていた父ケヴィンを現実世界に連れ戻そうとする。そこからグリッドの支配者クルーに対するケヴィンとサムと謎の美女クオラの壮絶な闘いが始まる。
 ケヴィンは米国アップル社の亡きカリスマCEOスティーブ・ジョブズを連想させ、この物語に奇妙なリアリティーを与えている。IT技術のもたらす光と陰を映像化しながらデジタル世界に対する教訓も提示する。例えばこの映画の優れたレビューに次のような内容があった。「完璧な世界を創造」するようプログラミングされたが故に暴走し、「不完全な人間に牙を剥くクルー」を登場させることで「不完全性を許容することの重要性」を提示している。なかなか含蓄のある評価である。グリッド世界と現実世界を結ぶ出入り口をこの映画では「ポータル」と紹介する。WWWにアクセスするときの入口となるウェブサイトのことを「ポータルサイト」と呼んでいる。私の地域紹介サイト「にしのみや山口風土記」も一種のポータルサイトである。その意味では私もデジタル世界に誘導する側に加担しているのかもしれない。そんな自省を促がされた作品だった。