豊田有恒著「持統四年の諜者」2013年05月07日

 書棚を物色して再読用の小説を探していた。下の方の隅にカバーのない古びた本を見つけた。豊田有恒著作の「持統四年の諜者」だった。昭和53年発行だから44年前の作品である。豊田有恒の作品は、5年前に「倭王の末裔」という作品を再読し、このブログでも書評を記した。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/12/14/4008232 
 「小説・古代王朝」とサブタイトルされた「持統四年の諜者」は、表題作のほか四編を納めた歴史短編小説集である。各作品には古代史の記紀に記された著名な人物や出来事が登場する。「歌垣の影媛」の泊瀬の王子は、25代・武烈天皇、「樟葉の大王」の大男迹の王は、26代・継体天皇、「常世の虫」の秦河勝、「持統四年の諜者」の白村江の戦い、「祟りの墓」の高市皇子や長屋王といった具合である。
 「歌垣の影媛」と「樟葉の大王」は連作といってよい。日本の古代史では25代・武烈天皇から26代・継体天皇にかけての、大和朝廷の王権交替説が有力である。二つの作品はこの王権交替説を説得力のある物語として描いていて興味深い。
 「常世の虫」は、大化改新の前史ともいうべき物語である。百済系渡来人の蘇我氏と新羅系渡来人の秦氏の葛藤が背景にある。大和王家を凌ぐ勢力となった蘇我氏に対し、蘇我氏打倒を謀る中大兄皇子を秦河勝が支援するという構図である。蘇我氏を守る百済系遁甲者(忍者)と秦氏に属する新羅系細人(しのび)の闘いで細人が勝利し、手だれの護衛者を失くした蘇我入鹿が乙巳の変で打たれてしまう。乙巳の変の背景事情を独自の切り口で解説する。
 「持統四年の諜者」は、小野寺少尉の29年振りのルバング島から帰還を、舞台を1300年前の白村江の戦いに置き換えて描いたような物語である。戦い後の大和王権と唐・新羅との関係を知る上でも興味深い物語だ。
 「祟りの墓」は、高松塚古墳の被葬者を高市皇子であるという大胆な仮説を前提として、発掘されたその墳墓の状態から様々な推理で展開した作品である。
 豊田有恒の「倭王の末裔」を再読した時の衝撃は記憶に新しい。今また古代史の短編集を再読して、あらためて作者の古代史の造詣の深さと縦横無尽な創作力の豊さに圧倒された。豊田有恒の古代史シリーズをネット検索し、何冊かを入手した。しばらくこのシリーズから離れられそうにない。

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