豊田有恒著「倭王の末裔」(その1)2008年12月15日

 書棚の蔵書の再読の日々が続いている。1977年発行の豊田有恒著「倭王の末裔」を再読した。サブタイトルに「小説・騎馬民族征服説」とある。内容の記憶は全くない。タイトルからはワクワクするような古代のロマンが漂っていた。
 小説の舞台は紀元2-3世紀の古代朝鮮半島と日本(倭国)である。当時の朝鮮半島は中国王朝の直接支配地域の郡県である楽浪郡と馬韓(後の百済)、辰韓(後の新羅)、弁韓(後の任那)の鼎立する原三国時代にあった。
 小説は大きく「第1章・女王卑弥呼」と「第2章・神功皇后」の二つの物語で構成されている。第1章は、朝鮮半島南部の土着の農耕民を征服した中国大陸北方から進出してきた騎馬民族と楽浪郡の太守との攻防の物語である。主人公は弁韓の一地域であった伽耶国に進出した濊人(えじん)と呼ばれていた騎馬民族の族長・辰王の長男・若卑句である。楽浪郡から過酷な朝貢を求められ一旦これに応じた辰王が楽浪都督府に赴く。そこで若卑句が都督府の高官に蔑称である濊人という呼び名の変更を求めた時に与えられたのが「倭」の一字だ。最終的に楽浪郡に造反した辰王一族は、半島の南端の伽耶国に追詰められ存亡の危機に瀕する。そこで部族を二分し一隊は海を越えて南の島の筑紫という大きな陸地(くがち)の征服をめざす。もう一隊はこの地に残り部族の再興をめざすという評定が行なわれる。
 若卑句は楽浪郡から略奪した妻や娘・姫子とともに二千人を乗せた船団を率いて筑紫の奴国に辿り着く。当時この地方はかっての大国だった奴国が衰退し三十余国に分立していた。その後東の海の涯にある倭面土(やまと)の国が攻め寄せてきてその支配を受けるようになっていた。若卑句は天の子孫にあたる倭の一行を名のり、倭面土の守備兵を掃討した後、他の国々をなびかせるために「今後は我らが倭面土である」と詐称する。若卑句が名のる「やまと」が訛って「やまたい」と聞こえ、以降「邪馬台」の国名を名のる。そして邪馬台国は、騎馬民族の持つ戦闘力と機動力をもってこの地方の農耕民族をまたたく間に支配する。後に若卑句の娘・姫子が邪馬台国の女王・卑弥呼として君臨することになる。
 以上が第1の物語のあら筋である。邪馬台国は朝鮮半島から渡来した騎馬民族が倭の筑紫地方を征服して造った国であるという驚くべき内容である。しかもこの小説は単なるフィクションと言い切れない学術的な学説をベースとしている。しばらくこの小説のトレースを追ってみることにしよう。

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