広井良典著「定常型社会」(所感)2014年10月05日

 一カ月ほど前に水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」の所感を記事にした。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2014/08/31/ 記事では著作の「資本主義システムに代わる新たな社会システムについての具体像は提示されていない点」を念頭に、その点が具体化された著作として広井良典著「定常型社会」に言及した。そしてその「定常型社会」の書評を5回に渡って記事にした。著作の章ごとの要約といってよいこれまでの記事に対し、今回は私自身の著作についての所感を述べる。
 この著作の経済政策論としての基調は、「持続可能な福祉国家/福祉社会」という点である。それは1980年代以降に着手され世界的な潮流になったかに思えるサッチャリズムやレーガノミクスに代表される「新自由主義的政策」による「ケインズ主義福祉国家の解体(=小さな政府)」路線に対する建設的な対抗軸の提示である。新自由主義が目指す規制緩和、グローバリズムを通じた市場原理主義による経済成長路線が直面した限界と制約を、「持続可能な」福祉国家/社会(=定常型社会)によって克服しようという意欲的な政策提言である。
 この著作で得られた大きな収穫のひとつに、「定常型社会」では伝統文化や伝統行事といった「変化しないもの」に本質的な価値を置くとい視点を提示された点がある。従来の経済政策では「伝統」という変化しないもの(付加価値が追加されないもの)は正当な評価の対象とはみなされなかったように思う。新自由主義の立場に立てば観客動員(=チケット売上を目安とした商品価値)の不十分な「伝統」は切り捨てられることになる。著作の最終章で提示された「根源的な時間の発見」という視点で、「個人―共同体―自然」という位相に対応した「経済/市場の時間」→「コミュニティの時間」→「自然の時間」というの三つの時間層のよりゆっくりと、より永続的な時間の発見の重要性が語られる。それは人類が「成長」をめざして歩んできた「離陸」の方向から脱却し、むしろ「市場/経済」の根にある「共同体」そして「自然」へと結びつけていく「着陸」の方向に向かう営みである。
 水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」がインパクトのあるセンセーショナルなタッチの著作だったのに比べ、この著作は冷静で実証的なタッチで展開されている。それだけに随所に日常生活との対比で納得させられる分析や記述で惹きつけられる。何よりも新自由主義が跋扈する今日の政治経済状況にあって、あらためて「定常型社会」という新たなコンセプト(それはある種の文明観といってもよい)こそが有力な対抗軸になるものと思えた。