年初に想った。老後の幸せとは?2017年01月04日

 新年早々の早朝だった。ウォーキング途上の国道にはひとっこひとり姿がない。そればかりか行きかう車もない。日の出前の空はどこまでも澄み切ってすがすがしい。
こんな凛とした風景が否応なく自分の「今」を考えさせる。思えば幸せな老後と思う。何をもって老後の幸せを受け止めるかは人それぞれだろう。「家族」「地域」「自分」という老後に関わる三つの分野で考えてみた。
 家族で言えば、永年連れ添った家内とはそれぞれに独自の足場を維持しながら適度な距離感で支え合っている。二人の子どもたちも独立し立派に生計を立てている。加えて半ばあきらめていた孫にも恵まれた。
 地域との関わりはこの歳にしてはかなり濃密だ。民生委員に始まって社協分区役員を8年務め昨年その代表者に就任した。2025年問題を9年後に控え、我が町の超高齢社会を乗り切るインフラ整備に着手した。安心キット、福祉ネット、有償ボランティア、オヤジ会等の立上げの中心的な役回りをこなした。市の民生委員会広報紙の実質的な編集長として3号の広報紙の発行に関わり、最新号では「無縁社会を見つめるまなざし」をテーマに想いを発信させてもらった。
 自分自身の分野では郷土史研究家としての一面にも力を入れている。毎年2回の公民館講座に加えて昨年は住宅街の文化祭で「町の今昔物語」をテーマに講座を開講し65名もの受講者で盛況だった。他方で「終活」に着手しエンディングノートのソフト版の入力を開始した。また昨年10月に「私の半生記」をテーマとした講演を依頼され、これをきっかけに「自分史」づくりの構想にも着手した。
 古希を越えてあらためて想った。幸せとは煎じ詰めれば「自分らしさ」をどう実現できたかということではないだろうか。老後の幸せとは自分自身の足跡を辿りながらその更新と終末を完結させることのように思える。

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