JR福知山線脱線事故から13年目の風景2018年04月27日

 25日の夕刊に目を通していた家内が呟いた。「この記事、〇〇さんの娘さんのことやな。こんなに元気になられたんや」。JR福知山線脱線事故で瀕死の重傷を負ったご近所の娘さんの話題だった。
 福知山線名塩駅が最寄り駅である我が住宅街は、大勢の住民がこの事故で亡くなったり負傷したりしている。私自身は直接のかかわりはなかったが、当時自治会副会長だったことから恒例の盆踊りを事故を偲んで控えるという決断に関わった。
 それほどにこの事故が住宅街に及ぼした影は深く大きなものがあった。毎年、事故発生の日には当事者や遺族の近況がメディアを通して伝えられる。はからずも今年はもっとも近しい当事者の模様が伝えられた。
 瀕死の重傷で身体と心に深い傷を負った娘さんである。9回の手術と長いリハビリ生活の果てに訪れたPTSDに苦しんだ。3年前に知人の紹介で現在のご主人に出会い翌年結婚。長男を出産し今月はじめて3人で事故現場に足を運んだ。今は「あの瞬間があったからこそ、家族3人で迎えた今がある」と一時は見失っていた生きる意味を噛み締めているとのこと。
 夕刊紙がもたらした13年目の奇跡と感動の物語に共感した。