〇か×かの怖さと△の選択肢2020年11月04日

 選挙がらみの大きなニュースが相次いでいる。大阪都構想の住民投票とアメリカ大統領選挙である。いずれも「〇か×か」「AかBか」の二者択一の選択を迫るものである。
 大阪都構想は僅差の否決で決着した。この大阪市民を二分する選択は多くの対立と分断をもたらしたのではないか。世代間では若年世代から高齢世代にかけて反対が多くなる傾向があった。地域間でも北部地区と南部地区で賛否が二極化した。5年間に二度も同じテーマで「〇か×か」の住民投票が行われたことの後遺症は少なくない。
 アメリカ大統領選挙もトランプかバイデンかの拮抗する両陣営のつばぜり合いがアメリカ国内にかつてない対立と分断を招いている。その最大の要因がトランプの傍若無人で差別主義的な手法にあることは否定できないが、ここにきてアメリカの大統領選挙の仕組みそのものの本質的な瑕疵を覚える。究極の二大政党制とも思えるアメリカの緊張感のある政権選択の仕組みは民主主義の優れた政治制度に思えた。ところがその仕組みが今や危機に瀕している。拮抗する憎悪剥き出しの二つの陣営が相互に決着を拒否し果てしない混乱を招きかねない事態となりかねない。それは国家機能を根底から揺さぶられるだろう。
 「〇か×か」「AかBか」の二者択一の選択の怖さを覚えてしまう。
 地区社協の大きなイベントである1月のふれあい交流会のコロナ禍の在り方を議論している。75歳以上の高齢者を招いての100人規模のお食事交流会である。これほどの規模の一堂に会した会食交流の開催はコロナ禍で断念するほかない。とはいえ「開催か中止か」の二者択一は不毛である。趣旨を生かし感染を避けた上で、これまでと同じでない交流スタイルの「〇か×かでない△の提案」を模索したい。

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