パラリンピックで問われたもの2021年09月06日

 東京パラリンピックが終わった。オリンピックの開催期間よりも1カ月遅れの開催に、ワクチン接種も進みより安全な開催になるのではないかという当初の期待は大きく外れた。デルタ株の蔓延でコロナリスクが一層深刻化した中での開催だった。それだけにパラリンピックが特段の問題もなく無事終了したことに安堵した。
 パラリンピックという障がい者スポーツの祭典の自国開催は、障がい者との共生というテーマを私たちにビジュアルに身近なものとして投げかけた。それは人類がこれから向き合わなければならない本質的で普遍的なテーマでもある。
 人はハンディを負って生まれた時、また不幸な事故でハンディを背おった時、どのように生き社会はどのような環境を提供できるかという問題は人類普遍のテーマである。それは人が老いていく過程で遭遇する問題であり、認知症を発症して直面する問題に重なる。そうした誰もが遭遇する筈のハンディをあるがままに受け入れられる環境をどのように実現するかが問われている。そのためにも個性の尊重、多様性と調和、共生社会の実現といった理念の具体化や実践が欠かせない。
 今回の五輪とパラリンピックでは多様性と調和というテーマでの新たな課題も浮かび上がった。義足のアスリートが五輪参加を拒まれた。この問題を巡って、そもそもなぜ健常者と障害者とで大会を分けるのかという疑問も提起された。ハタと考えさせられる本質的なテーマだと思った。