塩野七生著「コンスタンティノープルの陥落」2008年07月24日

 10月催行が決定している「エーゲ海クルーズとギリシャ世界遺産紀行」のツアーを申込んだ。エーゲ海は、私にとっては愛読書「ローマ人の物語」の作者である塩野七生著作のゆかりの地である。中世のキリスト教世界とイスラム世界の攻防を題材とした彼女の三部作の歴史絵巻の舞台として記憶に刻まれていた。このツアーを申込んだ動機のひとつでもある。
 そんなわけで何とかツアーまでに7年前に読んだ三部作「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」を読み返すことにした。そして今日その第一作「コンスタンティノープルの陥落」を読み終えた。
 コンスタンティノープルはかっての「東ローマ帝国」あるいは「ビザンチン帝国」とも呼ばれる帝国の1123年におよぶ都であった。現在のトルコ共和国のイスタンブールであり、ヨーロッパとアジアの二大陸に跨り、その接点でもある大都市である。
 西暦1453年5月、このビザンチン帝国の首都はオスマン・トルコ軍の猛攻によって陥落した。それはビザンチン文明とも呼ぶべき一大文明の終焉でもあった。著者は帝国の国教であるギリシャ正教会の修道士の口を借りてビザンチン文明とは何かを次のように語る。『ビザンチン文明とは古代ギリシャ文明とローマ文明から吸収したすべての要素と、オリエントから受けた影響との総和を、さらに上回るなにものかなのだ。(略)330年にコンスタンティヌス大帝がローマ世界の首都を、ローマからビザンチンに移した時、彼がそこに創建したものは(略)まったく独自なひとつの精神的な帝国だった。(略)西ローマ帝国の滅亡後、西欧が暗黒の時代を通過しつつあった頃、コンスタンティノープルはその異国風の花を咲きほこらせ、彼らの思考方式に合った新しい文明を築きあげていたのだ。(略)その政治上の特色も、けっして分離することのない(略)協会と国家、宗教と政治との統一態を守る信念にあったのだ。これがギリシャ正教会の基本的な制度と指導理念に結実する』
 ギリシャ共和国ではギリシャ正教が今尚国教として国民の中に確固とした地位を築いている。95%以上が信徒であるといわれている。訪問地の先々であの独特の祭服をまとった聖職者たちを目にするに違いない。「コンスタンティノープルの陥落」は、私に聖職者たちが背負い続けてきたビザンチン文明の精神風土を垣間見せてくれるのだろうか。