高知県梼原町への友好都市20周年の旅(その1) ― 2011年09月24日
今月初めに地元でNPO法人を主催している知人から誘いがあった。「西宮市の友好都市の高知県梼原(ゆすはら)町との提携20周年記念のバスツアーに参加してもらえないか。市の主催部署からの参加要請に自分はスケジュール調整がつかないのでぜひ行ってほしい」とのことだった。
9月24日~25日の1泊2日の参加費1万2千円のバスツアーである。祝賀会出席がメインのようだが、町内農家の民泊、林業体験、龍馬脱藩の道散策など興味深いメニューが盛り込まれている。少し迷ったが参加することにした。ミュージカル劇団実行委員のFさんも参加することになった。
さくらやまなみバスの下山口6:43の始発バスに乗車した。市役所前で下車しアミティーホール北側に停車中の大型観光バス前の集合地に着いた。担当の市の秘書・国際課の職員に参加費を渡して乗車する。定刻8時にバスは一路梼原町に向って出発した。休憩を挟んで6時間余りの長距離の旅である。出発間もなく参加者の自己紹介がある。市の関係者4名を含めて総勢20名の参加者だった。御歳95歳の西宮写真美術協会の会長はじめその会員の方や友好都市スポーケン市の友好協会関係者など多彩な顔ぶれだった。途中、淡路SA、吉野川SAで小休憩し、高知県中央部の須崎市の「道の駅・かわうそ」でお弁当風の昼食をとり、最初の訪問地である「四国カルスト」に到着したのは3時過ぎだった。
梼原町は高知県北西部に位置する愛媛県との県境の町である。その最北部の標高1300mの高地に東西25kmにわたって広がるのが四国カルスト高原だ。広大な高原に雨水などで浸食された石灰岩の奇岩群が広がる。高原の草原では放牧された牛たちがあちこちで草を食んでいる。その中にひと際目につく真っ白い二基の風車が高地の風を受けてゆっくり回転している。梼原町が誇る風力発電である。一基1.5憶円をかけて建設された風車は四国電力に売電され、その資金は太陽光発電や小型水力発電などに投入されている。自然エネルギーを利用したまちづくりが様々な形で展開され、2009年には環境モデル都市に認定されるまでになっている。それらの事業は福島原発事故後には全国的にも一層注目をあつめているようだ。
町の中心部に戻り、町総合庁舎前の駐車場で下車した。庁舎向い側の「ゆすはら・夢・未来館」前に大勢の背広姿があった。「西宮市・梼原町友好交流協定締結20周年記念祝賀会」に出席する私たちの出迎えの人たちだった。5時開会の祝賀会が始まった。
冒頭に地元の伝統芸能である津野山神楽が演じられた。演目の「大蛮(だいばん)」には鬼面の演者が生後1年未満の乳児を抱いて息災を祈る場面がある。会場から神官に抱かれた赤ん坊が登場し舞台上の大蛮に手渡された。誰もが鬼面に抱かれた赤ん坊の激しい泣き声を予感した。ところがどんな練習の成果なのだろう、抱かれたり差上げられたりしながらも赤ん坊は平然と身を委ねている。観客のせいいっぱいの拍手の中を演者たちが降板する。
梼原町長や西宮市長の挨拶がある。主賓たちとともにツアー仲間の二人も加わった鏡開きがあり、乾杯の挨拶を皮切りに祝賀の宴が始まった。丸テーブルには地元の食材をふんだんに揃えた料理が準備されている。ツアー仲間10人のテーブルの隣席は西宮写真美術協会の会長だった。懇談の中で彼の写真教室の生徒が、近所の知人であることが分かった。そこから話題が一気に弾んだ。反対隣りのスポーケン交流会関係者の奥さんとは旦那の老後の過ごし方を巡って大いに盛り上がった。テーブルを巡られた西宮市長や市の幹部の皆さんとも言葉を交した。梼原町長に自分のHPサイトを話題にしたところ、すぐさま西宮市長のところに連れていかれて二人の握手姿をサイトでアップしてほしいというサービスぶりだった。予定時間を30分ほどオーバーして7時半頃にようやくお開きとなった。
再びバスに乗車し、「雲の上の温泉」での入浴に向った。梼原町のキャッチコピーは「雲の上の町」である。様々の施設の名称に「雲の上」が被されている。露天風呂もあるゆったりした温泉に浸かって心身を温めた後、それぞれの宿舎に向った。一行20人の宿舎である農家民宿は4カ所の分宿だった。山口から参加の私たち二人は、川井地区の「きょうちゃんち」と名づけられた農家だった。川井地区の民宿三軒の姓が全て「中越」姓であることから区分するためそれぞれのおかみさんの名前が使用されているとのことだ。バスを下車したところで50代のおかみさん「きょうちゃん」に迎えて頂いた。大型バスが通れない細い道を200mほど歩いた先の民家に案内された。二間続きの客室でお茶が用意され干柿が出された。仏間と神道の掛け軸のある客間の天上際の壁にはご先祖の似顔絵が数枚飾られている。幼い頃の両親の実家で見かけた懐かしい風景だった。おかみさんとのそんな話題にひとしきり花が咲いた。通常の民宿にはない、まるで親戚の家で寛いでいるようなアットホームさに1時間ばかりがあっという間に過ぎた。農家民宿の味わいを身をもって体験しながら10時過ぎに床に就いた。
9月24日~25日の1泊2日の参加費1万2千円のバスツアーである。祝賀会出席がメインのようだが、町内農家の民泊、林業体験、龍馬脱藩の道散策など興味深いメニューが盛り込まれている。少し迷ったが参加することにした。ミュージカル劇団実行委員のFさんも参加することになった。
さくらやまなみバスの下山口6:43の始発バスに乗車した。市役所前で下車しアミティーホール北側に停車中の大型観光バス前の集合地に着いた。担当の市の秘書・国際課の職員に参加費を渡して乗車する。定刻8時にバスは一路梼原町に向って出発した。休憩を挟んで6時間余りの長距離の旅である。出発間もなく参加者の自己紹介がある。市の関係者4名を含めて総勢20名の参加者だった。御歳95歳の西宮写真美術協会の会長はじめその会員の方や友好都市スポーケン市の友好協会関係者など多彩な顔ぶれだった。途中、淡路SA、吉野川SAで小休憩し、高知県中央部の須崎市の「道の駅・かわうそ」でお弁当風の昼食をとり、最初の訪問地である「四国カルスト」に到着したのは3時過ぎだった。
梼原町は高知県北西部に位置する愛媛県との県境の町である。その最北部の標高1300mの高地に東西25kmにわたって広がるのが四国カルスト高原だ。広大な高原に雨水などで浸食された石灰岩の奇岩群が広がる。高原の草原では放牧された牛たちがあちこちで草を食んでいる。その中にひと際目につく真っ白い二基の風車が高地の風を受けてゆっくり回転している。梼原町が誇る風力発電である。一基1.5憶円をかけて建設された風車は四国電力に売電され、その資金は太陽光発電や小型水力発電などに投入されている。自然エネルギーを利用したまちづくりが様々な形で展開され、2009年には環境モデル都市に認定されるまでになっている。それらの事業は福島原発事故後には全国的にも一層注目をあつめているようだ。
町の中心部に戻り、町総合庁舎前の駐車場で下車した。庁舎向い側の「ゆすはら・夢・未来館」前に大勢の背広姿があった。「西宮市・梼原町友好交流協定締結20周年記念祝賀会」に出席する私たちの出迎えの人たちだった。5時開会の祝賀会が始まった。
冒頭に地元の伝統芸能である津野山神楽が演じられた。演目の「大蛮(だいばん)」には鬼面の演者が生後1年未満の乳児を抱いて息災を祈る場面がある。会場から神官に抱かれた赤ん坊が登場し舞台上の大蛮に手渡された。誰もが鬼面に抱かれた赤ん坊の激しい泣き声を予感した。ところがどんな練習の成果なのだろう、抱かれたり差上げられたりしながらも赤ん坊は平然と身を委ねている。観客のせいいっぱいの拍手の中を演者たちが降板する。
梼原町長や西宮市長の挨拶がある。主賓たちとともにツアー仲間の二人も加わった鏡開きがあり、乾杯の挨拶を皮切りに祝賀の宴が始まった。丸テーブルには地元の食材をふんだんに揃えた料理が準備されている。ツアー仲間10人のテーブルの隣席は西宮写真美術協会の会長だった。懇談の中で彼の写真教室の生徒が、近所の知人であることが分かった。そこから話題が一気に弾んだ。反対隣りのスポーケン交流会関係者の奥さんとは旦那の老後の過ごし方を巡って大いに盛り上がった。テーブルを巡られた西宮市長や市の幹部の皆さんとも言葉を交した。梼原町長に自分のHPサイトを話題にしたところ、すぐさま西宮市長のところに連れていかれて二人の握手姿をサイトでアップしてほしいというサービスぶりだった。予定時間を30分ほどオーバーして7時半頃にようやくお開きとなった。
再びバスに乗車し、「雲の上の温泉」での入浴に向った。梼原町のキャッチコピーは「雲の上の町」である。様々の施設の名称に「雲の上」が被されている。露天風呂もあるゆったりした温泉に浸かって心身を温めた後、それぞれの宿舎に向った。一行20人の宿舎である農家民宿は4カ所の分宿だった。山口から参加の私たち二人は、川井地区の「きょうちゃんち」と名づけられた農家だった。川井地区の民宿三軒の姓が全て「中越」姓であることから区分するためそれぞれのおかみさんの名前が使用されているとのことだ。バスを下車したところで50代のおかみさん「きょうちゃん」に迎えて頂いた。大型バスが通れない細い道を200mほど歩いた先の民家に案内された。二間続きの客室でお茶が用意され干柿が出された。仏間と神道の掛け軸のある客間の天上際の壁にはご先祖の似顔絵が数枚飾られている。幼い頃の両親の実家で見かけた懐かしい風景だった。おかみさんとのそんな話題にひとしきり花が咲いた。通常の民宿にはない、まるで親戚の家で寛いでいるようなアットホームさに1時間ばかりがあっという間に過ぎた。農家民宿の味わいを身をもって体験しながら10時過ぎに床に就いた。
コメント
_ 立売堀 ― 2011/09/27 12:29
「ゆずはら」は武市半平太のお姉さんの娘さんに養子縁組したかたの出身で(二人は半平太の戸籍上子供)そのなかだちをした維新時土佐陸援隊隊士だった田中光顕(のち、宮内大臣)の出身地です。維新の志士たちの記念品が収められた記念館もあったと思います。
_ 明日香 亮 ― 2011/09/28 06:53
確かに梼原町には維新ゆかりの人物の足跡が数多く残されているようです。ただ今回は市の行事の一環だったのできめられたコースの視察中心で唯一「維新の門群像」の銅像と「龍馬脱藩の道」を少し歩いた程度でした。
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