有間皇子異聞⑤有間皇子に子どもがいた2014年07月02日

 6月28日開催の「有間皇子を訪ねる会」で私から「有間皇子の有馬郡の足跡」をテーマにプロジェクターによるプレゼンを行った。その中でも特に力が入ったのが「有間皇子には子どもがいた」という説の紹介だった。三田市在住の森脇 泉氏(三田古代学会)の「有間皇子には子供があり、道場町日下部にその所領があったのではないか」という以下の説である。

■江戸時代の著名な国学者・塙保己一編纂の『續群書類従 』という業者がある。その第172日下部系図には、有間皇子の直系の子どもとして養父郡大領(郡司)の表米(うわよね)の名が記されている。天智天皇の代に異賊が来襲した時、これを防ぐ為に大いに功績ありとして日下部の姓を賜って、朱雀元年(686)年3月15日卒とある。朝来郡久世田荘に表米大明神(ひょうまいだいみょうじん)として祀られているとも記されている。
■日下部表米は、現在の朝来市の竹田城祉の南東の麓にある表米神社に祀られ、日下部氏の始祖とされる人物である。
■三田と名来の中間に道場町日下部がある。金心寺が有間皇子の所領にあったとされることからも、日下部が有間皇子の子どもの所領であったとしても不思議はない。
■日下部隣接の名来は昔は千足村と呼ばれ、有馬皇子の母・小足媛ゆかりの地である。日下部表米が有間皇子の子どもとすれば、有間皇子の妃は生母ゆかりの名来や所領の日下部周辺の女性と考えられまいか。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック