ソーシャル・インクルージョン2016年01月29日

 最近「ソーシャル・インクルージョン」という言葉を耳にし気になった。きっかけは安倍内閣設置の「1億総活躍国民会議」の民間議員に選ばれたタレント・菊池桃子氏の発言だ。
 権力者側から発せられる「一億総〇〇」というキャッチフレーズに先の大戦末期に旧日本軍が掲げた「一億総玉砕」のスローガンを重ね合わせる高齢者も少なくない。安保法案という危険な法案を閣議決定だけで通過させた安倍政権であれば尚更である。「一億総活躍」が声高に語られるほど活躍したくても活躍できない社会的弱者にはプレッシャーになりはしないか。そのことがひいては弱者排除に繋がりかねない危惧すらある。
 障がいを負った二女を持つ菊池氏はそうした危惧も念頭にあったのか、「1億総活躍」に替わる言葉として提案したのが「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」という言葉である。「社会の中から排除する者をつくらない、全ての人々に活躍の機会があるという言葉です」と述べている。なかなかどうしてたいしたものだ。タレントのお飾り議員などではない。
 地域でもあらためてソーシャルインクルージョンというこの言葉が問われているように思う。自治会などの地域組織への加入者が減少し加入者の負担が増えている。そんな苛立ちから加入者は非加入者を問題視し、ともすれば排除の論理に傾きがちである。その流れは地域コミュニティの溝を増やし深めることにほかならない。排除でなくむしろ「包み込み」こそが地域社会の原点ではないか。そうした風土の上で「加入しない」あるいは「加入できない」事情をひとつひとつ丹念に除去する他はない。

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