一羊園秋祭りの綿菓子販売ボランティア2018年10月12日

 毎年この時期には船坂の障がい者支援施設・一羊園の秋祭りお手伝いのボランティアに参加している。一羊園は運営母体の社会福祉法人一羊会が福祉ネットのオブザーバーであり私自身も評議員を務めているという関わりがある。それ以前からも地区社協ボランティアセンターがボランティア派遣をしている。山口町に開設予定のグループホームとのボランティアセンターとの相互連携の話もある。地区社協ばかりでなく個人的にも障がい者支援の分野での関わりの深い事業者である。
 11時半から13時半までの秋祭りでは例年綿菓子販売を担当させてもらっている。今年も地区社協の男性役員3人で担当した。午前中の小雨模様も開催時には止んでいたが参加者は例年ほどではない。おまけにステージイベントの弾き語りやコーラス中はモーター音が大きい綿菓子販売は停止せざるを得なかった。加えて13時過ぎには綿菓子機の異常音とともに煙が出てくるトラブルも発生し中止に追い込まれた。
 綿菓子販売の不調とは別に秋祭り自体は盛況だった。面識のある施設職員の若者の弾き語りはなかなかのものだったし、地区社協執行委員でもあるコーラスグループ・リーダーの作詞作曲の一羊園音頭も披露された。一洋会関係者ばかりでなく来場の知人たちとの懇談の機会も得られ、障がい者支援という分野での貴重な交流と情報交換の場となった。

地域行事をはしごした2018年10月13日

 地域の二つの行事に来賓で出席した。ひとつは住宅街の小学校校庭で開催されたスポーツクラブ21主催の校区の運動会である。12時から開催され10分前に到着した。小学校長や青愛協会長と同席し、個別に子どもたちの放課後居場所づくりなどを懇談した。開会式の後、社協役員でもある知人の参加する山口太鼓の会の太鼓の演舞を観た。その後退席し、徒歩15分の山口ホールに向かった。
 1時から山口地区社協主催の敬老のつどいに出席した。230人定員のホールいっぱいに70歳以上のお年寄りが席を埋めた。地元小学校4年生の合唱とリコーダー奏、山口雅楽の会の雅楽と舞の演舞、西宮警察警察官の交通事故とÞ詐欺被害防止のスピーチ、ピアノ弾き語りによるみんなで歌おうといったアトラクションだった。その後、恒例の福引抽選会がある。毎年恒例の進行役の軽妙なトークを織り交ぜて70人ほどの方に景品が渡された。

写真で見る花ちゃんの運動会2018年10月15日

 花ちゃんの保育園の運動会の日と地域の大きな行事が重なった。SC21の地域運動会と山口地区社協の敬老のつどいである。ともに地区社協代表者の来賓出席が求められていた。
 やむなく運動会はばあちゃんだけが参加することにしてデジカメを託した。翌日の日曜日早朝に自宅を出てバスと電車を乗り継いで花ちゃん宅に向かった。8時半頃に大津の花ちゃん宅に着いた。「じいちゃんや~」と1週間ぶりの再会を笑顔で迎えてくれる花ちゃん。
 早速家内からデジカメを受取り運動会の花ちゃんのはしゃぎぶりをモニターチェック。観客席の周囲をお友だちと元気に走り回ったり、障害物競争をしっかりこなしている花ちゃんの画像があった。1年前に初めての運動会で最年少組の花ちゃんを応援して以来である。1年前の画像と比較しながらその成長ぶりに目を細めた。

セレモニーホールの福祉セミナー2018年10月16日

 会員であるセレモニーホールの担当者から案内があり、会席料理付のセミナーに家内と一緒に参加した。10時半からのセミナーに22名の参加者があった。
 講師は金仙寺湖畔の寺院の僧侶で介護福祉士との二刀流の50歳の男性だった。「アクティブシニアになろう!」をテーマとした福祉セミナーだった。講師は平日は大阪の宗教法人の本坊で直轄の介護事業を担当し週末に自坊での法要を行うという日常とのこと。そうした背景もあり寺院の介護事業の参入の背景を四天王寺の悲田院、施薬院の事例を紹介しながら解説された。「仏教は究極の介護サービス業」との想いも披露される。幼くして亡くなったダウン症と難病の娘の介護体験が講師の介護事業の原点とのこと。
 講演内容のキーワードは「スマート・エイジング」という点にあった。加齢に抗うアンチ・エイジングでなく「加齢に賢く対処し、個人や社会が知的に成熟する」という考え方のようだ。そのための四つの要素が提案される。運動(有酸素運動と筋力トレーニング)、栄養(朝食の質)、認知(作動記憶トレーニング)、社会性(社会参加と仕事)である。
 12時過ぎから会食となった。二段お重に贅沢な品々があしらわれた美味しい料理だった。同じテーブルには同じ住宅街のお二人のご婦人の同席があった。おひとりは同じ丁目の方で民生委員の高齢者訪問で面識のある方だった。もうひとりは隣の丁目のお一人住まいの方だった。聞いたばかりの介護の話題に花が咲き30分ばかりのひと時を過ごした。

花ちゃんがビールを注いでくれた2018年10月17日

 先週、花ちゃんが我が家にやってきた時のことだ。花ちゃん一家と一緒に夕食を外食で済ませて帰宅した。遅い晩酌のビールをリビングのテーブルに持ってきた。すると花ちゃんがそばに来て「花ちゃんが入れてあげる」と缶ビールを手にした。
 これまでじいちゃんと夕食を共にした時にしばしば目にした光景が、そんな行動に繋がったのだろう。その意表をついた花ちゃんの振舞いを大歓迎したのは言うまでもない。そばで見ていた母ちゃんも、これは記念すべき光景だと思たのだろう。近くにあったデジカメでその光景をシャッターに納めてくれた。
 まもなく3歳になる花ちゃんである。可愛い盛りではあるが、イヤイヤ期の真っ只中でもある。時に憎まれ口をきいたりギャン泣きして周囲を困らせる。それでもこんな愛すべき振舞いに他愛もなく感激させてくれる。

リコーダー四重奏2018年10月18日

 地区社協の隣町のふれあい喫茶に出かけた。リコーダー四重奏の演奏という珍しいイベントが催された。昨年に続いて2回目の同じグループによる演奏だった。2時から40分ほど、G線上のアリア、ムーンライトセレナーデ、北の宿から、青い山脈、コンドルが飛んでいる、荒城の月、となりのトトロなど多岐に渡って9曲が演奏された。
 合間に楽器紹介があり、ソプラノ、アルト、テナー、バスなどの様々なリコーダーがそれぞれの音色とともに紹介された。男性奏者が着席して奏じる木製のバスリコーダーは頭の高さを超える大きさである。ネット検索してみると20万円前後もする高価なものだ。小学生が扱うプラスチックのリコーダーのイメージを越えた本格的なアンサンブルである。それだけにこの4人グループのリコーダー演奏にかける想いの深さが伝わってくる。
 演奏では「北の宿から」が最も楽しめた。4人が奏じる異なる種類のリコーダーがそれぞれの音色をいかんなく発揮した演奏だった。

ヤバイ!左眼がかすんでいる・・・2018年10月19日

 昨日の早朝のことだ。目覚めて階下のリビングに降りた。電気をつけた時、景色がおぼろげなのに驚いた。左右の眼を片目ずつつむって視界を確かめた。左目のカスミがひどい。8月の白内障手術の術後のトラブルだろうか。それとも持病のポスナーシュロスマン症候群の発症だろうか。朝一番にかかりつけの眼科に行こうと思い診察日を確認したが、生憎の休診日だった。
 今日の午前中にかかりつけの眼科を訪ねた。診察前の検査ではやはり左眼の眼圧が異常値のようだ。診察室で眼球検査を受けた後、かかりつけ医の診断が告げられた。「いつものポスナーシュロスマン症候群の発症ですね。ただ手術後の発症なので手術の影響の有無も観察しておく必要があります。気になる症状が出れば来診して下さい」とのこと。眼圧抑制の点眼薬を処方してもらい診察を終えた。
 点眼後、幾分カスミ症状は治まり、ひとまず安堵した。

散歩道沿いの”秋”2018年10月20日

 早朝ウォーキングを終えて住宅街の入口近くまで帰ってきた。有馬川沿いの舗道のガードレール越しに名も知らぬ花の群生が目に留まった。赤い花弁を持つ筒状の小さな花である。その向こうには咲き始めたばかりのススキの穂が風に揺れていた。有馬川の堰を落ちる流れがかすかなせせらぎを伝えていた。
 いつもなら気にもとめない光景である。なぜか気になったのは”秋”という季節のせいだろうか。少しの間、”路傍の秋”を見つめていた。

町内老人会の親睦食事会2018年10月22日

 町内老人会のこの時期恒例の親睦食事会が自治会館であった。会費1500円でトレトレ寿司出前のにぎりセット、缶ビール、インスタント味噌汁、ミカン、どら焼き、おつまみオカキなどが準備された。
 11時半の開会に男性9名、女性14名の顔ぶれが揃った。従来にない多数の出席者だったのはわけがある。30名以下になると市の助成金が出なくなるという危機感が役員の積極的な勧誘活動につながった。その結果、かつてない7名もの新規会員があり41名の会員になっという。その内、食事会には6名の初参加があった。
 自己紹介で始まった食事会で、私からは来月13日の認知症サポーター養成講座の案内チラシを配布し受講を案内した。隣席どうしのおしゃべりを交わしながらビール片手の食事を楽しんだ。食後の歓談の最後にはこれも恒例の炭坑節の替え歌「ぼけない音頭」を合唱して閉会となった。1時間半ほどのご近所の同年代の和やかな交流会だった。

藤沢周平著「ささやく河」2018年10月22日

 藤沢周平作品を 久々に再読した。時代小説「ささやく河」である。「彫師伊之助捕物覚え」というサブタイトルにあるように銭形平次や半七捕物帳などと同じ捕物帳のジャンルに属する作品である。江戸下町を舞台に元凄腕の岡っ引・伊之助の探索ぶりを描いたシリーズ三作目の作品である。
 巻末の「解説」が興味深かった。作者自身がこの作品を「捕物帳の常道とはちょっと違うものになっています。ハードボイルドの私立探偵の感覚です」と語っている。江戸時代とハードボイルド小説という一見そぐわない組み合わせの意味が解説される。特に「ハードボイルドは大都市の小説である」という切り口で江戸が語られている点が面白い。
 「江戸は、世界でもたぐいまれな確固とした封建制が生みだした近世の世界的大都会である。無名の大群衆と都市機能を擁していた。都市があれば犯罪がある。多数の孤独な心があり、孤独をいとう心情もまた蔓延している。考えてみればこれほどハードボイルド的な環境なのにいままであまりかえりみられなかった時代と場所は他にはなかった」。
 私自身は、ある時期を境にそれまでの歴史小説への傾倒が時代小説にシフトした。年齢的な要素もさることながら、今考えれば時代小説の舞台が「江戸」であることも大きかった。江戸という時代と場所は、多くの日本人の心情に共感する点が多いのではないか。
 この作品は安らぎと安心感という心情の中に潜んだ大都会の孤独という点に焦点を当てた時代小説でもあった。