義父の見舞いと閑谷学校2009年12月06日

 2ヶ月ぶりに義父の見舞いに岡山の施設を訪ねた。月1回の訪問予定が先月は義母の一周忌法要で適わなかった。受付でインフルエンザ対策のマスクをつけて病室に入る。久々の訪問が、ベッドで眠っている義父の容貌の一層の衰えを感じさせる。壁に94歳のお誕生日おめでとうと書かれた施設からのメッセージが貼られている。1週間前の誕生日に撮られたらしい元気そうな顔写真が貼付されている。お世話をしてもらっている皆さんからの寄せ書きも添え書きされている。家内と私の呼びかけに目と頷きで応えてくれる。12時前に食事がきた。当日の献立がお茶や吸い物も含めて全てゼリー状に加工されている。家内が40分ほどかけて食べさせる。食欲は旺盛だ。サヨナラの声掛けに目と頷きで応える義父を後に1時前に施設を辞した。
 帰路、山陽自動車道の和気ICを出て、国宝・閑谷学校に立ち寄った。江戸時代初期(1670年)に、備前藩主・池田光政によって建てられた藩営の日本最古の庶民学校である。山あいの丘陵地に忽然と建物群が現われる。受付で300円の入場料を払うと小型テープレコダーを渡された。数多くの建物群の解説テープが流れ始める。創設者・光政を祀った閑谷神社、江戸期鋳造の孔子像を安置した聖廟、国宝・講堂、校門、校地を取り巻く765mもの石塀、閑谷中学校本館として建設された木造二階建ての明治洋風建築の資料館などをテープを聴きながら見て回った。とりわけ入母屋造りの大屋根に備前焼の瓦を戴いた講堂の、広大で美しい佇まいは目を見張るものがあった。講堂前から資料館に至る小道の左右に建ち並んだ石組みの長大な塀は、他に類を見ない独特の景観を生み出していた。その入場料を上回るパフォーマンスに大満足して40分ばかりの見学を終えた。

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