藤沢周平著「小説の周辺」(その3:郷愁)2012年11月13日

 藤沢周平著「小説の周辺」の二番目のパートの所感である。便宜的に「郷愁」というタイトルを勝手につけてみた。
 このパートでは、子供の頃の郷里の思い出、郷里を出て都会で暮らすということ、療養生活の思い出、郷里の風景、帰郷とクラス会、古里の味などの14のエッセイが綴られている。それぞれに著者の郷里を想う郷愁が根底にある味わい深いエッセイである。何といっても圧巻は、著者の郷里を捨てたという率直で厳しい視線を感じさせる 『「都市」と「農村」』の一文だった。
 郷里・山形の営農家で農村問題の評論家・佐藤氏の「怒り」を題材に綴られたものだ。佐藤氏は国土庁がまとめた「農村と都市の意識調査」の結果に怒っている。「国民の大半が、子供のときは農村で過ごし、青壮年期を都市で働き、老後はふたたび農村に住みたいと望んでいる」という調査結果に怒っている。苦しい農業を営み農村の現実を熟知する佐藤氏の怒りを、著者はもっともだと肯定したうえで、都会で暮らす村出身の若い父親が家族を連れて帰省した時のシーンを作家らしく次のように描写する。
 「いい背広を着、沢山おみやげを持ち、都会風な妻子を連れて戻ってきた彼を、村のひとは『立派になって』などと言うかも知れない。だが、同時に村のひとは、彼をもはや村の人間ではない、と思うに違いない。(略)彼は村を出て行き、いまは土を掴むことのない人間であり、背広を着て働いている人間である。それは村の人間ではない。村に残る人間は、土を掴む暮らしからのがれられない。(略)村を出たものは一たん故郷を捨てた者である。(略)故郷の風景がなつかしいの、村の祭がどうのとごたくを言わないことである。(略)村がどう変わろうと、それを決定する権利があるのは、辛抱して村に残っている者だけである。まして、老後は帰りたいなどと泣きごとを言うべきではない、と私も思う』。
 私も故郷を出て都会の周辺の新興住宅街に終の棲家を得て暮らしている。著者の感慨を否定できない。郷里の同窓会で旧友たちに「自分は古里を捨てた」と吐露したこともある。只、著者は同時に次のようにも語る。
 「むかしは、農村に次、三男が溢れていたのである。農村には、次、三男を食わせておく余力はいつでもある。だがもし婿の口もなく、就職のあてもないとすれば、一生家の厄介者である。(略)彼らは一人また一人と村を出て行った。だが彼らは村を捨てたのだろうか。そうではなかったと私は言いたい。彼らは出たくて村を出て行ったのではなかった。その彼らが、長い、疲れることの多い都会生活のはてに、老後を村で暮らしたいと考えたとしても、それが悪いと非難できるだろうか。(略)だが、彼らがもっと年取って村に帰るだろうか。帰れはしないのだ、と私は思う。家が、家族が、職場が、いまは彼らを身動きできないまでに都会に縛りつけている」。
 なんと優しさに満ちた文章だろう。正反対の環境に身を置く人たちの心情を冷静に見つめ、それぞれの心情を丁寧に情愛深く綴っている。藤沢作品の根底に流れる視線を感じずにはおれなかった。