続・公智神社卵塔場の墓石碑文2014年05月13日

 昨日、「公智神社卵塔場の墓石碑文」を更新したところ、凛太郎さんからまたまた次のような驚愕のコメントを頂いた。『驚いたのは「寛永」です。すごいものが出てきたなと。確かに画像を見ますと寛永に見えます。ただし、その下がよく見えない。何年なのでしょう?(略)僕なら恐れをなして、つい「寶永」と読んでしまうでしょう。(略)寛永ですが、神社の石造物に限れば、西宮市最古のものが、瓦林熊野神社の寛永十七年銘の石灯籠です。これは飛びぬけて古いものです。そしてこれとて、肉眼では確認できないほど風化しています。墨を入れてようやく読める、というところです』。
 年号の時代推定までは意識せず記事を更新していた。確かに江戸初期の寛永年間(1624~1644)だとすると大変な発見になる。この銘文は調査に当たったメンバー三人で読み合わせをして確認したものだ。年号の下の年数は判読不能だった。仮に凛太郎さんの仮説「寶永」だとしてもその年代は1704~1711と相当古い。
 新たな謎が生まれたが、立ち入ることが困難な山中の卵塔場である。これ以上の謎解きは無用であると判断した。