名来の立毛(りゅうげ)墓地2014年05月16日

 西宮ブログのブロガー・凛太郎さんの記事「西宮の旧村落25 名来村」http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061497/p11042538c.htmlを読んだ。凛太郎さん自身が実際に名来地区を歩き、神社仏閣や村落墓地を訪ねて画像と記述でその結果をレポートされている。特に村落墓地については、凛太郎さんの「西宮の旧村落」シリーズ執筆の動機でもあった「村の墓地を手がかりに、西宮にある江戸時代の村落の痕跡を訪ねる」という点からも専門知識を駆使した詳細な内容だった。
 ところで、この記事で紹介されている名来の四つの村落墓地は、私が毎日のように歩いているウォーキングコースの周辺に存在する。それだけに興味深い記事だった。四つの内、有馬川東側沿いの北側三か所は「字一ノ湯」に属し、比較的新しい墓地である。ところが最も南の名来神社の建つ丘陵の南斜面にある「字立毛(りゅうげ)」の墓地は「戸時代以来の村落墓地らしい」「昔ながらの共同墓地の雰囲気」を残した墓地として記述されていた。これまでも何度か足を運んだ墓地である。そんな見方があることを初めて知った。
 今朝の散策で、名来の立毛墓地に足を延ばした。確かにこの墓地だけが有馬川堤から遠望できる。山肌に包まれたその風情はいかにも趣きがある。入口近くの六地蔵さんの北側から山口の集落を眺めた。お地蔵さんの古色と中国道の近代性の対比があった。寛政や文政や天保といった年号が刻まれた墓石を見つけた。紛れもなくこの墓地は名来墓地の中でも星霜を重ねた歴史ある墓地に違いない。