北方謙三著「道誉なり」下巻2014年07月11日

 北方謙三著「道誉なり」下巻を読んだ。主人公の道誉は、南北朝時代の北朝側の総帥・足利尊氏の陣営に属する近江の守護大名で、ばさら(婆娑羅)大名として知られた人物である。
 北方謙三の歴史小説の中で、南北朝時代を舞台とした7作品があり、俗に「北方太平記」と呼ばれる。「道誉なり」は、北方太平記の中では多くの点で異色である。他の作品が南朝方の武将を主人公とする中で唯一北朝側の武将を主人公としている。それは結果的に足利幕府の創成期を赤裸々に描いた希少な物語となっている。他の作品には「夢」や「志」が共通テーマとして底流に流れているが、この作品は登場人物の生き方そのものがテーマとなっている。道誉の観世丸(観阿弥)や犬王(道阿弥)との関わりを描きながら猿楽能(能の原点芸能)という芸能の世界への作者の思い入れを語っている。
 読み終えて「ばさら」とは何だったのかと考えた。 作者は「毀すこと、それがばさら」と道誉に語らせている。何を毀すのか。既存の身分秩序や公家・帝の朝廷権威や場合によっては将軍という身近な権力である。何のために毀すのか。あるがままの自分が存分に生ききるためであるようだ。「夢」や「志」といった崇高さはなくとも、思うがままに「自由に生きる」ことが道誉にとってかけがえのないものなのだろう。それを縛ったり抑圧するものに対し、道誉は卓越した力量、情報力、構想力を駆使して跳ね返す。
 北方太平記の中で、この作品が最も異色なのは、作者が語り続けた「夢・志」という拘束からも解き放たれた道誉その人の「あるがままの自由な生き方」という点だろう。同時にそれは全共闘世代の作者が一時期没頭した筈の「志」から離脱し、文学世界で奔放に自らを描き続ける姿に重なる。

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