ご近所のJR脱線事故の犠牲者 ― 2015年04月26日
JR福知山線脱線事故から10年が経過した。福知山線の西宮名塩駅がJRの最寄り駅である我が街の犠牲者も多かった。事故発生当時、自治会の副会長だった。永年続いた自治会の最大イベントの盆踊りは、沿線各地の自粛の流れを受けて三役会で中止の判断を下した記憶が甦る。
先日、NHKのニュース番組で「没後10年・石井利信(さいがようへい)家族の絵手紙展」という報道を目にした。一緒にみていた家内が「あれ石井さんの奥さんやな」と呟いた。思わず「エッ、知ってる人?」と訊くと、「すぐ近くに住んではるやんか」とのこと。迂闊にもその情報は全く知らなかった。亡くなられたご主人は55歳という若さだったこともあり、民生委員の高齢者訪問の対象外だった。生存されておれば今年からお訪ねする筈だったという感慨がよぎった。
NHKのインフォメーションサイトに氏の以下の紹介記事があった。
「雑賀陽平(さいがようへい)」のペンネームで20歳ごろから漫画家として活動をはじめ、1971年漫画雑誌で新人賞を受賞。4コマなどの風刺漫画を得意とし、画廊で勤務をはじめてからも、様々な雑誌や新聞などに連載していた。
絵手紙は、出張で家を空けることが多かった石井が、家族とのコミュニケーションツールのひとつとして母親や妻、二人の息子に宛てて送ったもので、その時々のふとした気持ちや家族へ伝えたいことが書かれている。
あらためてご近所さんだった故人の冥福を祈った。
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