半年ぶりの一泊二日の夫婦旅 ― 2015年04月11日
富山湾の幸と北陸名所の旅 ― 2015年04月12日
家内と一緒にクラブツーリズムの「宇奈月温泉富山湾の幸会席と北陸名所の旅2日間」に出かけた。集合場所のJR大阪駅中央コンコース前に早目に着いて構内のお土産売り場でビールのロング缶とお摘みを買い込んだ。8時40分の定刻には37名のツアー仲間が集合した。
9時12分発の特急サンダーバード9号に乗車し、早速、缶ビールを開ける。列車内で車窓を眺めながら呑む缶ビールの味こそが旅の醍醐味である。昼食は事前申し込みのツーリスト手配のお弁当だ。福井駅で積み込まれた「かにめし三種盛り弁当」が11時半頃に配られた。三種の味付けのかに身のご飯を美味しく味わった。
金沢駅に4分遅れの12時に到着した。次の北陸新幹線の乗車時間までわずか6分しかない。添乗員の焦り気味の誘導で何とか「つるぎ708号」に乗車した。わずか23分の乗車であっという間に富山駅に到着した。徒歩2-3分の富山地方鉄道・富山駅発の宇奈月温泉行特急は13時4分発である。待ち時間を利用して再び缶ビールを買い込んだ。
特急電車と言えローカル線である。停車駅が少ないだけでのんびりゆっくりの車窓を楽しめる。いかにも北陸地方といった伝統家屋の集落や冠雪のアルプスの風景にカメラを向ける。約70分のローカル線の旅路を終えて宇奈月温泉駅に着いた。宇奈月国際ホテルに14時半頃の早目の到着だった。
夕食までたっぷり時間はある。温泉街を散策した。徒歩数分のところに宇奈月温泉駅があり駅前の温泉噴水の情緒を楽しんだ。すぐ隣には黒部峡谷鉄道の宇奈月駅がある。16年前に「アルペンルートと黒部峡谷トロッコ列車の旅」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/tabi-alpen.htm で乗車した駅だった。宇奈月神社に参拝してやまびこ展望台に向かった。黒部川の渓谷に架かる二つの赤い鉄橋の光景が美しい。
ホテルに戻り、温泉に浸かった。広くてきれいな大浴場と風情のある岩風呂の露天風呂を交互に浸かった。18時からホテルの宴会場のテーブル席で夕食が始まった。今回のツアーの目玉でもある豪華な会席料理だった。お品書きにはバイガイ旨煮と蛍烏賊沖漬の先付、カジキマグロ、蛍烏賊、白海老の造り、白海老真丈の温物、白海老唐揚げの揚物、蛍烏賊しゃぶしゃぶの鍋物、蛍烏賊、白海老甘酢漬けの酢物、白海老つみれ団子の椀物、富山県産コシヒカリの白飯、桜饅頭の甘味といった具合である。さすがに美味しかった。新鮮な地場の蛍烏賊と白海老づくしの会席だった。本日三度目のビールを傾けながらの夕食を終えて19時前に部屋に戻った。
さすがに疲れと酔いが一気に襲った。片付けと明日の支度は家内がせっせとやってくれる。夫婦旅のありがたさを噛み締めながら一気に爆睡に入った。
9時12分発の特急サンダーバード9号に乗車し、早速、缶ビールを開ける。列車内で車窓を眺めながら呑む缶ビールの味こそが旅の醍醐味である。昼食は事前申し込みのツーリスト手配のお弁当だ。福井駅で積み込まれた「かにめし三種盛り弁当」が11時半頃に配られた。三種の味付けのかに身のご飯を美味しく味わった。
金沢駅に4分遅れの12時に到着した。次の北陸新幹線の乗車時間までわずか6分しかない。添乗員の焦り気味の誘導で何とか「つるぎ708号」に乗車した。わずか23分の乗車であっという間に富山駅に到着した。徒歩2-3分の富山地方鉄道・富山駅発の宇奈月温泉行特急は13時4分発である。待ち時間を利用して再び缶ビールを買い込んだ。
特急電車と言えローカル線である。停車駅が少ないだけでのんびりゆっくりの車窓を楽しめる。いかにも北陸地方といった伝統家屋の集落や冠雪のアルプスの風景にカメラを向ける。約70分のローカル線の旅路を終えて宇奈月温泉駅に着いた。宇奈月国際ホテルに14時半頃の早目の到着だった。
夕食までたっぷり時間はある。温泉街を散策した。徒歩数分のところに宇奈月温泉駅があり駅前の温泉噴水の情緒を楽しんだ。すぐ隣には黒部峡谷鉄道の宇奈月駅がある。16年前に「アルペンルートと黒部峡谷トロッコ列車の旅」 http://www.asahi-net.or.jp/~lu1a-hdk/tabi-alpen.htm で乗車した駅だった。宇奈月神社に参拝してやまびこ展望台に向かった。黒部川の渓谷に架かる二つの赤い鉄橋の光景が美しい。
ホテルに戻り、温泉に浸かった。広くてきれいな大浴場と風情のある岩風呂の露天風呂を交互に浸かった。18時からホテルの宴会場のテーブル席で夕食が始まった。今回のツアーの目玉でもある豪華な会席料理だった。お品書きにはバイガイ旨煮と蛍烏賊沖漬の先付、カジキマグロ、蛍烏賊、白海老の造り、白海老真丈の温物、白海老唐揚げの揚物、蛍烏賊しゃぶしゃぶの鍋物、蛍烏賊、白海老甘酢漬けの酢物、白海老つみれ団子の椀物、富山県産コシヒカリの白飯、桜饅頭の甘味といった具合である。さすがに美味しかった。新鮮な地場の蛍烏賊と白海老づくしの会席だった。本日三度目のビールを傾けながらの夕食を終えて19時前に部屋に戻った。
さすがに疲れと酔いが一気に襲った。片付けと明日の支度は家内がせっせとやってくれる。夫婦旅のありがたさを噛み締めながら一気に爆睡に入った。
富山湾の幸と北陸名所の旅② ― 2015年04月13日
宇奈月温泉のホテルで目覚めたのは早朝4時過ぎだった。昨晩8時過ぎに酔いに任せて寝入ってしまったのだから無理もない。5時過ぎに24時間利用可能な大浴場に出かけた。小雨を気にしながら露天風呂に入った。7時半の朝食を済ませ家内と一緒に散策に出かけた。ホテルの背景にみえる雪の残るアルプスの山並みが美しい。
9時には地元のアルペン交通の観光バスに乗車し二日目の観光に出発。10時過ぎに最初のスポットである高岡の瑞龍寺に到着。寺のガイドさんの説明を聴きこの仏閣の凄さをあらためて教えられた。加賀百万石前田家の財力を背景に三代藩主・利常によって江戸初期に建立された禅宗寺院である。これほど見事に七堂伽藍が完備された仏閣の現存は珍しい。伽藍のほとんどが国宝や国の重要文化財に指定されているのも頷ける。伽藍と向き合う形で約1kmもの参道がありその先に公園に囲まれた前田利長の墓所があった。
観光バスが能登半島の東の付け根の富山湾沿いの雨晴海岸にやってきた。晴れた日には富山湾越しに立山連峰の山々を望むことができる絶好の景勝地であると添乗員のガイドがあった。ところがあいにくの小雨模様の天気である。むなしく通過する他はない。スマホで画像を確認してその素晴らしさに地団駄踏んだ。
雨晴海岸から南に50分ほどで五箇山合掌の里集落に到着した。車窓から初めて眺めた光景は半ば雪に埋もれた集落だった。険しい山岳地帯の秘境に忽然と現れた合掌造りの古民家群の絶景に息を呑んだ。合掌造りの一軒・山下家が昼食会場だった。イワナの唐揚げや和蕎麦をメインとした郷土料理だった。身の引き締まった堅豆腐の五箇山豆腐などをご主人の合掌造りについての軽妙なトークを聴きながら味わった。昼食後、バスで隣接の世界遺産・菅沼合掌造り集落に向かった。駐車場と集落はエレベーターと地下トンネルによって結ばれている。豪雪地帯の観光地ならではの大掛かりな設備である。民俗館や塩硝の館やお土産店の並ぶ雪景色の集落を散策した。
JR金沢駅近くの長町武家屋敷跡に到着したのは15時半頃だった。最初に駐車場近くの加賀藩1200石取り武家屋敷跡「野村家」の格式のある屋敷と見事な庭園を見学した。その後は薄茶色の土塀と用水路のせせらぎが巡らされた美しい町並みを各自で自由に散策した。最後の訪問スポットは金沢金箔を製造する「箔座」の本店だった。入店して度肝を抜かれたのは黄金の茶室だった。金箔4万枚を壁に張り巡らした茶室は秀吉の黄金の茶室を模したものという。正面には黄金の茶釜まで据えられている。
17時半にバスがJR金沢駅前駐車場に到着した。出発までのたっぷりある時間を夕食用のお弁当や最後の買物で過ごした。もちろん缶ビールのロング缶も。18時42分発のサンダーバード42号が発車した。二段重ね弁当「金沢の四季」のおかずを肴にスーパードライ・プレミアムが最後の至福のひと時をもたらした。22時半頃には自宅に戻り久方ぶりの夫婦旅を終えた。
9時には地元のアルペン交通の観光バスに乗車し二日目の観光に出発。10時過ぎに最初のスポットである高岡の瑞龍寺に到着。寺のガイドさんの説明を聴きこの仏閣の凄さをあらためて教えられた。加賀百万石前田家の財力を背景に三代藩主・利常によって江戸初期に建立された禅宗寺院である。これほど見事に七堂伽藍が完備された仏閣の現存は珍しい。伽藍のほとんどが国宝や国の重要文化財に指定されているのも頷ける。伽藍と向き合う形で約1kmもの参道がありその先に公園に囲まれた前田利長の墓所があった。
観光バスが能登半島の東の付け根の富山湾沿いの雨晴海岸にやってきた。晴れた日には富山湾越しに立山連峰の山々を望むことができる絶好の景勝地であると添乗員のガイドがあった。ところがあいにくの小雨模様の天気である。むなしく通過する他はない。スマホで画像を確認してその素晴らしさに地団駄踏んだ。
雨晴海岸から南に50分ほどで五箇山合掌の里集落に到着した。車窓から初めて眺めた光景は半ば雪に埋もれた集落だった。険しい山岳地帯の秘境に忽然と現れた合掌造りの古民家群の絶景に息を呑んだ。合掌造りの一軒・山下家が昼食会場だった。イワナの唐揚げや和蕎麦をメインとした郷土料理だった。身の引き締まった堅豆腐の五箇山豆腐などをご主人の合掌造りについての軽妙なトークを聴きながら味わった。昼食後、バスで隣接の世界遺産・菅沼合掌造り集落に向かった。駐車場と集落はエレベーターと地下トンネルによって結ばれている。豪雪地帯の観光地ならではの大掛かりな設備である。民俗館や塩硝の館やお土産店の並ぶ雪景色の集落を散策した。
JR金沢駅近くの長町武家屋敷跡に到着したのは15時半頃だった。最初に駐車場近くの加賀藩1200石取り武家屋敷跡「野村家」の格式のある屋敷と見事な庭園を見学した。その後は薄茶色の土塀と用水路のせせらぎが巡らされた美しい町並みを各自で自由に散策した。最後の訪問スポットは金沢金箔を製造する「箔座」の本店だった。入店して度肝を抜かれたのは黄金の茶室だった。金箔4万枚を壁に張り巡らした茶室は秀吉の黄金の茶室を模したものという。正面には黄金の茶釜まで据えられている。
17時半にバスがJR金沢駅前駐車場に到着した。出発までのたっぷりある時間を夕食用のお弁当や最後の買物で過ごした。もちろん缶ビールのロング缶も。18時42分発のサンダーバード42号が発車した。二段重ね弁当「金沢の四季」のおかずを肴にスーパードライ・プレミアムが最後の至福のひと時をもたらした。22時半頃には自宅に戻り久方ぶりの夫婦旅を終えた。
福祉ネットのグランドデザイン ― 2015年04月14日
福祉ネットを立ち上げて1カ月が経過した。この間、色々な方と懇談し福祉ネットについての感想や意見を頂いた。70代半ばの今尚現役の実業家からは、福祉ネットが目指すところのグランドデザインを提示し、その実現のための事業化プランが必要というもっともな助言を頂いた。そこで福祉ネットの今後の在り方についてあらためて想いを巡らした。 何よりも福祉ネットは何を目指すのかというコンセプトの明確化は欠かせない。目指すものを端的に言えば「住民が終の棲家にできる街」ということではないか。現状のままでは高齢や障がいや介護等で自立生活が困難になった時、住み続けることが難しい。便利な阪神間のマンション等への転居や施設入居を迫られる。新興住宅街特有の共同体意識の希薄さや坂道の多い地形が拍車をかける。それだけに自立生活が困難になった世帯をサポートできる地域での仕組みが必要だ。そうした仕組みづくりを通しておぼろげながら浮かんでくるのは「持続可能な循環型福祉地区」といったイメージだ。
我が街は2011年を境に人口、世帯数ともに減少に転じた。団塊世代が圧倒的なボリュウムを構成するこの街の高齢化は急激で爆発的である。2025年以降、支えられる側になった彼らを誰がどのように支えるのか。支える側にいる団塊世代たちが今の内から地域福祉の担い手になってもらえる仕組みづくりが必要だ。その仕組みを通じて次の世代にバトンが繋げられなければならない。「持続可能」「循環型」とはそういうことだ。元気なお年寄りが元気でなくなったお年寄りを支える循環をどう作れるか。
地域ボランティアを支える層は限られている。子育て卒業主婦とリタイヤおじさんが中心である。この間の懇談でその二つの層の意向を聞かされた。チョイ呑みオヤジ会のメンバーたちはサラリーマンだった現役生活での経験から地域ボランティアの有償化を力説された。40代、50代の比較的若い主婦層からも生活の厳しさと地域貢献の双方を満たせる地域ボランティアのニーズが告げられた。現状の無償ボランティアを前提としたボランティアセンターの活動の限界が見え始めているのも現実である。持続可能な福祉地区に向けた地域ボランティアの「事業化」が求められているのではあるまいか。
我が街は2011年を境に人口、世帯数ともに減少に転じた。団塊世代が圧倒的なボリュウムを構成するこの街の高齢化は急激で爆発的である。2025年以降、支えられる側になった彼らを誰がどのように支えるのか。支える側にいる団塊世代たちが今の内から地域福祉の担い手になってもらえる仕組みづくりが必要だ。その仕組みを通じて次の世代にバトンが繋げられなければならない。「持続可能」「循環型」とはそういうことだ。元気なお年寄りが元気でなくなったお年寄りを支える循環をどう作れるか。
地域ボランティアを支える層は限られている。子育て卒業主婦とリタイヤおじさんが中心である。この間の懇談でその二つの層の意向を聞かされた。チョイ呑みオヤジ会のメンバーたちはサラリーマンだった現役生活での経験から地域ボランティアの有償化を力説された。40代、50代の比較的若い主婦層からも生活の厳しさと地域貢献の双方を満たせる地域ボランティアのニーズが告げられた。現状の無償ボランティアを前提としたボランティアセンターの活動の限界が見え始めているのも現実である。持続可能な福祉地区に向けた地域ボランティアの「事業化」が求められているのではあるまいか。
高橋克彦著「火怨(北の燿星アテルイ)・上巻」 ― 2015年04月15日

高橋克彦著「風の陣」を読みながら次の読書を決めていた。その続編ともいうべき著作「火怨」である。サブタイトルにもあるように蝦夷の英雄アテルイの物語である。
2年前にNHKBS歴史館「不屈の英雄アテルイ」を観た。放映中のNHKのBS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」の解説版といった観のある番組だった。初めてアテルイ(阿弖流為)という人物を知った。日本史で教えられた平安朝の英雄・坂上田村麻呂の敵役こそがアテルイだった。それだけに朝廷と蝦夷との闘いを蝦夷の側に立って構成されたドキュメンタリーを興味深く観た。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2013/02/01/6708760
BS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」の原作であるこの作品「火怨」は、前作の「風の陣」を凌ぐ出来栄えである。幾分冗漫な感のある「風の陣」に比べ「火怨」は、朝廷軍と蝦夷とのスピード感のある攻防を中心に多彩で魅力的な登場人物を配して描かれる。
上巻では5万を超える未曽有の大軍を派遣した朝廷軍をアテルイ率いる蝦夷軍が撃破するところで終わっている。歴史小説であるだけに最終的には蝦夷の敗北で終わるという結末を読者は知っている。それを成し遂げた英雄・坂上田村麻呂は上巻では登場しない。読者は本格的な攻防への期待と切なさを抱きながら下巻に向かうことになる。
2年前にNHKBS歴史館「不屈の英雄アテルイ」を観た。放映中のNHKのBS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」の解説版といった観のある番組だった。初めてアテルイ(阿弖流為)という人物を知った。日本史で教えられた平安朝の英雄・坂上田村麻呂の敵役こそがアテルイだった。それだけに朝廷と蝦夷との闘いを蝦夷の側に立って構成されたドキュメンタリーを興味深く観た。http://ahidaka.asablo.jp/blog/2013/02/01/6708760
BS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」の原作であるこの作品「火怨」は、前作の「風の陣」を凌ぐ出来栄えである。幾分冗漫な感のある「風の陣」に比べ「火怨」は、朝廷軍と蝦夷とのスピード感のある攻防を中心に多彩で魅力的な登場人物を配して描かれる。
上巻では5万を超える未曽有の大軍を派遣した朝廷軍をアテルイ率いる蝦夷軍が撃破するところで終わっている。歴史小説であるだけに最終的には蝦夷の敗北で終わるという結末を読者は知っている。それを成し遂げた英雄・坂上田村麻呂は上巻では登場しない。読者は本格的な攻防への期待と切なさを抱きながら下巻に向かうことになる。
手紙 ~親愛なる子供たちへ~ ― 2015年04月16日
介護関連のネットを巡っていた時、見つけたのがこの詩だった。一読して胸がジンとなった。Wikで調べるとポルトガル語で書かれた作者不詳のチェーンメールが出典のようだ。この詩を角智織が訳詩し、樋口了一が作曲してシングル盤を出したようだ。YouTubeで聴くこともできる。
詩自体が胸を打つ。介護する者、される者の双方に優しさと感動をもたらすと思う。既に知っている人も多いかもしれないが掲載しておこう。
----------------------------------------------
年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい
私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
詩自体が胸を打つ。介護する者、される者の双方に優しさと感動をもたらすと思う。既に知っている人も多いかもしれないが掲載しておこう。
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年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい
私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
マクドナルドと私の苦悩 ― 2015年04月17日
今朝の朝刊で気になる記事があった。「マクド131店年内閉店」という大きな見出し文字が踊っていた。2015年12月期の日本マクドナルドの決算で税引き後利益が380億円もの赤字になる見通しだという。再建策として業績回復の見込めない131店舗を年内に閉店するようだ。
その後いつものように早朝ウォーキングに出かけ、7時の開店と同時にマクドナルドの玄関ドアを押した。コーヒーを注文した時に、馴染みのスタッフに声をかけやりとりした。「今朝の新聞で見たけど業績不振が深刻なんやな。この店も赤字なん?」「そらもう・・・。今は赤字でない店の方が少ないくらいらしいし」「え~ッ、130店ほど閉店するらしいけどこの店は大丈夫やろな。閉店されたらたちまち困るし」「ありがとうございます。私らではどうなるか分からんけど・・・」
毎日のように朝の散策の後、モーニングコーヒーと読書で立ち寄ってきた店だ。今や日常生活のインフラのひとつとなっている。24時間営業の時はどんなに早く散歩に出ても立ち寄ることができた。ある時から6時開店になり、今では7時開店になって散歩の時間を遅らせる羽目になった。それでも店さえあれば何とかなる。ところが今や店そのものの存亡の危機である。マクドナルドの苦悩が私の苦悩になりかねない。
その後いつものように早朝ウォーキングに出かけ、7時の開店と同時にマクドナルドの玄関ドアを押した。コーヒーを注文した時に、馴染みのスタッフに声をかけやりとりした。「今朝の新聞で見たけど業績不振が深刻なんやな。この店も赤字なん?」「そらもう・・・。今は赤字でない店の方が少ないくらいらしいし」「え~ッ、130店ほど閉店するらしいけどこの店は大丈夫やろな。閉店されたらたちまち困るし」「ありがとうございます。私らではどうなるか分からんけど・・・」
毎日のように朝の散策の後、モーニングコーヒーと読書で立ち寄ってきた店だ。今や日常生活のインフラのひとつとなっている。24時間営業の時はどんなに早く散歩に出ても立ち寄ることができた。ある時から6時開店になり、今では7時開店になって散歩の時間を遅らせる羽目になった。それでも店さえあれば何とかなる。ところが今や店そのものの存亡の危機である。マクドナルドの苦悩が私の苦悩になりかねない。
冠婚葬祭事業者の会員招待食事会 ― 2015年04月18日
会員になっている冠婚葬祭事業者の㈱レックの担当者からの案内で家内と一緒に食事会付イベントに出かけた。会場は関連会社が経営するサンパレス六甲の3階ホールで社協分区主催のふれあい交流会と同じ会場だった。
18時半から始まったイベントには近隣の営業所のスタッフが総出で自社扱いのブライダル用レンタル衣装で身を包み、100人ほどの参加者のホスト役を買って出ている。はじめにNHK総合テレビ「ルソンの壺」で取り上げられた同社取材番組のDVDと自社作成の事業紹介DVDを見せられた。冠婚葬祭業界にあって顧客視点に立った革新者としての事業展開の様子が伝わった。その後20名ほどのスタッフの自己紹介があり、19時過ぎにようやく食事会となる。10テーブル5列の前から順番に後方テーブルに並んだビュッフェ形式の料理をスタッフがえり分けて渡される。最後にはコーヒーやスイーツのデザートも出てそれなりに美味しいディナーを味わった。
その後、お楽しみイベントとなり、出席の常務が自腹を切ったという10品目のお菓子や果物の値段当てゲームを楽しんだ。紹介された各品の値段をテーブルごとに推定し正面舞台の白板にテーブルごとに書き込んでいく。オーバーは失格でジャストか最も近い価格のテーブルがその品をゲットできる。我がテーブルは辛うじてブランド・ミカン12個入りを確保し、各自一個の分け前を受け取った。他愛のないゲームながら結構夢中になって同じテーブルの初対面同士の会話が弾んだ。
21時過ぎにお開きになった。平凡で平坦な日常生活の中のちょっとした起伏のあるひと時だった。
18時半から始まったイベントには近隣の営業所のスタッフが総出で自社扱いのブライダル用レンタル衣装で身を包み、100人ほどの参加者のホスト役を買って出ている。はじめにNHK総合テレビ「ルソンの壺」で取り上げられた同社取材番組のDVDと自社作成の事業紹介DVDを見せられた。冠婚葬祭業界にあって顧客視点に立った革新者としての事業展開の様子が伝わった。その後20名ほどのスタッフの自己紹介があり、19時過ぎにようやく食事会となる。10テーブル5列の前から順番に後方テーブルに並んだビュッフェ形式の料理をスタッフがえり分けて渡される。最後にはコーヒーやスイーツのデザートも出てそれなりに美味しいディナーを味わった。
その後、お楽しみイベントとなり、出席の常務が自腹を切ったという10品目のお菓子や果物の値段当てゲームを楽しんだ。紹介された各品の値段をテーブルごとに推定し正面舞台の白板にテーブルごとに書き込んでいく。オーバーは失格でジャストか最も近い価格のテーブルがその品をゲットできる。我がテーブルは辛うじてブランド・ミカン12個入りを確保し、各自一個の分け前を受け取った。他愛のないゲームながら結構夢中になって同じテーブルの初対面同士の会話が弾んだ。
21時過ぎにお開きになった。平凡で平坦な日常生活の中のちょっとした起伏のあるひと時だった。
福祉ネットと事業者との懇談会 ― 2015年04月19日
福祉ネット北六甲の第2回役員会の後、オブザーバーとアドバイザーの皆さんと初めての懇談会を開催した。法人事業者のオブザーバーから6事業者7名が、個人事業者のアドバイザーお1名の計8名の皆さんに参加して頂き、福祉ネット役員9名と懇談した。
参加者の自己紹介の後、事業者の皆さんからそれぞれの事業紹介と合わせて福祉ネットとの関わり方についての意向を伺った。医療法人、福祉法人の理事長や施設長、事務長やボランティアグループ代表の方々である。
昨年3月、厚労省の「社会福祉法人の地域貢献の義務化」の方向性が示されて以降、各法人の地域貢献の模索が始まっている。施設利用、福祉車両利用、医師や介護専門職等の講師派遣、相談窓口開設等の試みである。ところが受ける側の主として自治会等の組織は直接の課題でないだけに積極的な対応にならないきらいがあったようだ。高齢者福祉をテーマとする福祉ネットではそうした提案は貴重であり、事業者の期待も大きい。広報紙等で事業者の住民向け支援事業をアナウンスしていくこともまた情報共有という福祉ネットの重要な役割である。
他方で、事業者側の悩みのひとつに人材不足がある。社協のボランティアセンターに対する施設ボランティアの派遣要請もそうした背景がある。地域には現役引退したり子育てで休職中の福祉専門職の潜在的な人材が眠っている。人材面での事業者と地域の情報共有という役割も見えてきた。
年一回は集まって懇談するとともに、課題に応じて個別に懇談することを確認して懇談会を終了した。
参加者の自己紹介の後、事業者の皆さんからそれぞれの事業紹介と合わせて福祉ネットとの関わり方についての意向を伺った。医療法人、福祉法人の理事長や施設長、事務長やボランティアグループ代表の方々である。
昨年3月、厚労省の「社会福祉法人の地域貢献の義務化」の方向性が示されて以降、各法人の地域貢献の模索が始まっている。施設利用、福祉車両利用、医師や介護専門職等の講師派遣、相談窓口開設等の試みである。ところが受ける側の主として自治会等の組織は直接の課題でないだけに積極的な対応にならないきらいがあったようだ。高齢者福祉をテーマとする福祉ネットではそうした提案は貴重であり、事業者の期待も大きい。広報紙等で事業者の住民向け支援事業をアナウンスしていくこともまた情報共有という福祉ネットの重要な役割である。
他方で、事業者側の悩みのひとつに人材不足がある。社協のボランティアセンターに対する施設ボランティアの派遣要請もそうした背景がある。地域には現役引退したり子育てで休職中の福祉専門職の潜在的な人材が眠っている。人材面での事業者と地域の情報共有という役割も見えてきた。
年一回は集まって懇談するとともに、課題に応じて個別に懇談することを確認して懇談会を終了した。
自治会総会で福祉ネットの議案承認 ― 2015年04月20日
昨日の午前中、自治会総会があった。1900世帯、5300人を擁する新興住宅地の単一の自治会である。西宮市内でも最大規模の自治会と言われている。総会は住宅街の中にある小学校の体育館を借りて開催される。
朝9時半開会時に出席者150名と委任状812名が報告され、会員の過半数による総会成立が宣告された。議長団は、慣例により前々自治会長と前自治会長の二人が選出された。数年前まではそのつど人選していた議長団である。当時3回ばかり議長を引き受けた後、私から当時の三役に提案し慣例となった選出基準が定着した。
今回総会は個人的にも意義深いものがある。3年前の総会以降、毎年発言し高齢化問題の取組みを訴えてきた。昨年総会では議案書に「社協を中心に設立予定の地区ネットワーク会議に自治会として参加する」旨の方針が盛り込まれた。そして今回の総会議案書には第4号議案「高齢化問題の取組み報告」で自治会も参加して福祉ネットが設立されたことが報告され、第10号議案「福祉ネット(高齢化問題)取組み計画(案)」で自治会としての福祉ネットへの関わり方の方針が提案された。他の議案も含めた一括審議・採決で全議案が可決された。
自治会としての高齢化問題の取組みを訴えた3年越しの到達点だった。昨年の総会直後から50前後の女性新会長と懇談を重ね、福祉ネット構想が固まった10月には自治会三役会と協議し、11月には総会に次ぐ決議機関である班長会議で提案承認を経た上での今回の総会決議だった。会長のリーダーシップと手腕にも恵まれた。総会での開会挨拶で多忙で多難な1年間の自治会活動に声を詰まらせていた会長に心から拍手を送った。
朝9時半開会時に出席者150名と委任状812名が報告され、会員の過半数による総会成立が宣告された。議長団は、慣例により前々自治会長と前自治会長の二人が選出された。数年前まではそのつど人選していた議長団である。当時3回ばかり議長を引き受けた後、私から当時の三役に提案し慣例となった選出基準が定着した。
今回総会は個人的にも意義深いものがある。3年前の総会以降、毎年発言し高齢化問題の取組みを訴えてきた。昨年総会では議案書に「社協を中心に設立予定の地区ネットワーク会議に自治会として参加する」旨の方針が盛り込まれた。そして今回の総会議案書には第4号議案「高齢化問題の取組み報告」で自治会も参加して福祉ネットが設立されたことが報告され、第10号議案「福祉ネット(高齢化問題)取組み計画(案)」で自治会としての福祉ネットへの関わり方の方針が提案された。他の議案も含めた一括審議・採決で全議案が可決された。
自治会としての高齢化問題の取組みを訴えた3年越しの到達点だった。昨年の総会直後から50前後の女性新会長と懇談を重ね、福祉ネット構想が固まった10月には自治会三役会と協議し、11月には総会に次ぐ決議機関である班長会議で提案承認を経た上での今回の総会決議だった。会長のリーダーシップと手腕にも恵まれた。総会での開会挨拶で多忙で多難な1年間の自治会活動に声を詰まらせていた会長に心から拍手を送った。
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