中堅民生委員研修での疑問2016年03月19日

 市の民生児童委員会主催の中堅民生委員研修会に出席した。就任後3~4期を迎えた民生委員が対象の研修会である。民生委員歴10年前後のベテランたち約100名が参加した。
 会長挨拶、事務局説明の後、講師の稲松真人氏が登壇。ハンチング着用の口ひげ姿の登場は瞬時に受講者の注目を集める。「傾聴とは」と題した研修テーマに~人が人を支援する関係におけるコミュニケーションを考える~というサブタイトルがついている。
 民生委員という役割が困り事を抱えた地域の皆さんの聴き役であることは言うまでもない。それだけに「聴く」ことの「心構え」や「目的」や「意味」を考え、そのための基礎的なスキルを学ぶことがこの研修の目的のようだ。「傾聴」という「援助的なコミュニケーション」の基礎理論を講師のユーモアあふれる巧みなトークで教えられた。
 受講を終えてそれなりに学ぶものはあったと思うものの、何か違うという感じがあった。中堅民生委員対象の研修が「傾聴」という一般的なスキルの修得に絞られていることの違和感だった。民生委員活動の中核ともいうべき中堅委員たちにもっと本質的な問いかけが必要ではないか。
 3期9年も経験すれば民生委員の何たるかは自ずと理解している。各人でそろそろ潮時かと考えたり、定年年齢まで大過なく過ごすかという惰性にも陥りやすい。それでも残された任期を「志」をもって地域や対象者のために精一杯頑張ってみたいという気持もある。中堅研修とはハウツーやスキルの修得ということではなく、その「志」部分を触発するカリキュラムこそが求められていないか。
 格差社会が押し寄せ超高齢社会が到来した。それでなくとも民生委員に課せられた役割はかってなく重大である。その重大性に真摯に向き合えば、個人活動が基本の民生委員の重圧は相当なものがある。そうした現実を直視し、各自のモチベーションを高められる研修が必要ではないか。個人活動が基本だけにかくあるべしは難しい。民生委員が抱える共通の困難な課題の成功事例を交換し合うパネルディスカッション等のイメージが浮かんでくる。いずれにしても中堅研修そのものの在り方が問われているように思えた。