塩野七生著「ローマ人の物語42」2011年11月15日

 文庫版「ローマ人の物語42」を読んだ。カバーの帯には「ローマ帝国はいつどのようにして滅びたのか」という文字が踊っている。読み終えて帯に書かれたこの文章こそがこの巻のテーマだったと思った。
 前巻では最後のローマ人・軍総司令官スティリコが皇帝ホノリウスの命で処刑された後、西ゴート族を率いたアラリックの「ローマの劫掠」によってローマが陥落したことまでが語られた。ローマ劫掠後、皇帝ホノリウスは全ての属州総督に向けて「帝国にはもはや属州防衛の力はない」旨の書簡を送った。傘下の諸民族の防衛責務を果たすからこそ人々は帝国の支配を受け入れる。その責務の放棄の表明は事実上の帝国の崩壊を意味していた。
 この巻はこうした実態上の帝国崩壊後の蛮族に翻弄され続けた西ローマ帝国の様を描いている。アラリックの死後、西ゴート族が南仏に去った後の7年間はホノリウスの帝位は安泰だった。それはイタリア半島の安全に直接かかわるガリアが、侵入してきた蛮族間の共食い状態に陥っていたからだった。フランク、ヴァンダル、ブルグンド、スヴェビ、西ゴートの五部族である。これにブリタニアからの皇帝を名乗る兵士が率いるローマ軍まで加わる。
 423年に皇帝ホノリウスが死去した後を、その異腹の妹ガッラ・プラチディアの4歳の息子ヴァレンティニアヌス三世が新皇帝に就く。実質的には皇母ガッラ・プラチディアが西ローマ帝国のその後の25年間を支配することになる。彼女には軍事を託せる二人の将軍がいた。ボニファティウスとアエティウスである。その二人の将軍は432年に皇宮ラヴェンナにほど近いリミニ近郊で戦うことになる。これに勝利したアエティウスは皇帝から軍総司令官に任じられ、以後22年にわたる実質的指導者となる。北アフリカに上陸しその要の都市カルタゴを陥落させたヴァンダル族との間で西ローマ帝国皇帝は、443年に講和を締結し、600年に及ぶ北アフリカ領有を公式に放棄する。
 4世紀半ばに起こった蛮族中の蛮族と呼ばれたアジア系のフン族の脅威は、5世紀に入り東西のローマ帝国の直接の脅威になる。444年にフン族の族長となったアッティラは、殺戮と破壊を繰り返しながら東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに迫る。東ローマ帝国はなすすべもなく4447年に無条件降伏ともいえる「同盟者」協約を結ぶ。ところが450年に東ローマ帝国皇帝死去後に帝位を継いだ軍人出身の元老院議員マルキアヌスの登場で事態は一変する。新皇帝のもとで軍は強化されフン族への反攻を開始する。
 これを受けてアッティラの標的は一気に西ローマ帝国に向う。451年フン族とその配下蛮族の大軍がガリア中央部に侵攻する。西ローマ軍の総司令官アエティウスは、西ゴート族と共闘し反アッティラ連合軍を組みこれを迎え撃つ。両軍はシャンパーニュで会戦し激戦の末、連合軍が勝利しアッティラは辛うじて逃げのびる。ところが態勢を立て直したアッティラは今度は北イタリアに侵攻する。そこで暴虐のかぎりをつくした後、アッティラとフン族は西ローマ帝国の莫大な金の支払いを条件に撤退する。交渉当事者は皇帝でも軍総司令官でもなく二人の元老院議員とローマ司教だった。そのアッティラも453年に死亡し後継者争いで四分五裂したフン族はあっけなく霧散してしまう。
 北イタリアでのフン族の暴虐を放置した皇帝と軍総司令官は、451年に首都ローマで会見する。その席で皇帝ヴァレンティニアヌス三世は総司令官アエティウスを刺殺し、その皇帝も翌年にはアエティウスの部下だった二人の兵士に殺される。
 イタリア半島のローマ人は、アッティラ死後のフン族の脅威がなくなると今度は北アフリカを支配する南からのヴァンダル族の脅威にさらされることになる。ヴァンダル族の族長ゲンセリックは、有能で強力でしかも長命なリーダーだった。455年、元老院議員出身の新皇帝の即位直後のローマにゲンセリック率いるヴァンダル族の軍勢が侵攻する。新皇帝は民衆の動揺を鎮めようとするが逆に恐怖で激昴した民衆に殺されてしまう。そして二度目の「ローマ劫掠」が、ローマ司教とゲンセリックとの合意による劫掠方法で行われる。
 莫大な略奪品を持ってヴァンダル族が北アフリカに去った後、ようやく次期皇帝が決まった。ガリアの西ゴート族の王に擁立された皇帝だった。以後476年の西ローマ帝国滅亡までの20年間に8人もの皇帝が入替る。そして西ローマ帝国の滅亡の時を迎える。最後の実力者オレステスによって475年その息子ロムルスが15歳で帝位に就いた。ところが西ローマ軍の蛮族出身の将軍たちが待遇改善要求を拒否したオレステスに反旗を翻えし、二度の戦闘でオレステスは敗れ処刑される。皇帝ロムルスは退位させられた。西ローマ帝国はその後誰一人として皇帝になるものはいなかったことで滅亡する。こうして西ローマ帝国は激しい攻防戦もなく誰一人気づくこともなく消え失せた。それは余りにもあっけない静かな死であった。

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