北方謙三著「道誉なり」下巻2014年07月11日

 北方謙三著「道誉なり」下巻を読んだ。主人公の道誉は、南北朝時代の北朝側の総帥・足利尊氏の陣営に属する近江の守護大名で、ばさら(婆娑羅)大名として知られた人物である。
 北方謙三の歴史小説の中で、南北朝時代を舞台とした7作品があり、俗に「北方太平記」と呼ばれる。「道誉なり」は、北方太平記の中では多くの点で異色である。他の作品が南朝方の武将を主人公とする中で唯一北朝側の武将を主人公としている。それは結果的に足利幕府の創成期を赤裸々に描いた希少な物語となっている。他の作品には「夢」や「志」が共通テーマとして底流に流れているが、この作品は登場人物の生き方そのものがテーマとなっている。道誉の観世丸(観阿弥)や犬王(道阿弥)との関わりを描きながら猿楽能(能の原点芸能)という芸能の世界への作者の思い入れを語っている。
 読み終えて「ばさら」とは何だったのかと考えた。 作者は「毀すこと、それがばさら」と道誉に語らせている。何を毀すのか。既存の身分秩序や公家・帝の朝廷権威や場合によっては将軍という身近な権力である。何のために毀すのか。あるがままの自分が存分に生ききるためであるようだ。「夢」や「志」といった崇高さはなくとも、思うがままに「自由に生きる」ことが道誉にとってかけがえのないものなのだろう。それを縛ったり抑圧するものに対し、道誉は卓越した力量、情報力、構想力を駆使して跳ね返す。
 北方太平記の中で、この作品が最も異色なのは、作者が語り続けた「夢・志」という拘束からも解き放たれた道誉その人の「あるがままの自由な生き方」という点だろう。同時にそれは全共闘世代の作者が一時期没頭した筈の「志」から離脱し、文学世界で奔放に自らを描き続ける姿に重なる。

空き家対策と民生委員の役割2014年07月12日

 昨日、民生委員の地区定例会があった。会議の終了間際にある議題を巡って議論が噴出した。市の都市計画部(すまいづくり推進課)から民生委員に依頼のあった「空き家に関するアンケート調査」を巡る議論だった。
 空き家は、少子高齢化や人口減少化に伴い全国的にも増化している。配布された資料でも全国の空き家率は昭和38年度の2.5%が平成20年度の13.1%となり、45年間で5倍以上の比率になっている。防災、防犯、景観、環境・衛生等の面で、空き家の増大がもたらす地域への影響は甚大である。そんなことから今回の民生委員へのアンケート調査依頼となったようだ。
 「空き家対策と民生委員はどんな関わりがあるのか」「行政はなんでもかんでも安易に民生委員に押し付け過ぎではないか」「調査に当たっては市が持っている他の空き家情報を提供すべきではないか」「調査結果はどのようにフィードバックされるのか」等々、どちらかと言えば否定的な意見が多かった。背景には民生委員の多くは他に様々な地域の役職を兼務し多忙である点がある。新たな活動にともすれば後ろ向きになりがちである。
 個人的には、空き家問題は関心があり、担当地区の状況をいつかキチンと把握しておきたいと思っていた。その意味ではいい機会だと思った。過去、ご近所のお年寄り夫婦から裏の空き家の勝手口の電灯の点滅で寝られないといった相談を受けた。民生委員の立場で市の担当部署に連絡を取り所有者を割り出してもらい無事解決できた。最近では車の免許返上後の高齢者宅の阪神間への転出が目につきだした。空き家問題は民生委員にとっても無関心ではおれない。
 他方で、財政難に喘ぐ自治体は、超高齢化社会を迎えて押し寄せる地域福祉の課題を、可能な限り地域とも分担しながら取り組みたいと考えている。「行政主体の空き家対策ではなく、地域の皆様と協力し合って解決していけるよう、ご協力をお願いいたします」という依頼文の結びが端的にその姿勢を窺わせている。
 「行政の民生委員への安易な依存には慎重な対応が必要だが、財政事情も考慮すれば、今後は地域の問題は地域でも対応する姿勢は必要。空き家問題は既に問題化しており、今回の調査で一歩踏み出すことは避けがたい」と、前向きに受け止めるよう発言した。

東日本大震災復興チャリティコンサート2014年07月13日

 昨日の午後、山口ホールで開催されたコンサートに出かけた。社協山口分区主催の「東日本大震災復興チャリティコンサート」である。懇意なご近所の娘さんでフルート演奏家の珍坂ゆきこさんが出演するとあって家内も同行した。会場には150名ほどの観客が席を埋め、面識のある顔ぶれが多い。
 開幕と同時に、司会進行役の中年の男性が登場。聞けば山口町中野の出身でドイツのエッセン・フィルハーモニー管弦楽団に首席奏者として在籍する著名なトロンボーン奏者の中西雅之さんである。今回のコンサートのメイン奏者の筈だったが直前の負傷で急きょ進行役に回ったとのこと。中西さんの随所に専門的な知識のこめられた進行振りの中で、三組のグループの演奏を聴いた。
 トップが珍坂さんのピアノ伴奏によるフルート演奏だった。中西さんの奥様である中西朱鷺子さんのピアノ独奏も含めて5曲が演奏された。最後には、珍坂さんによるフルートだけでなく多様なオカリナやピアニカなども交えてジブリ映画の主題曲メドレーの演奏で愉しませてもらった。
 続いてSEIGOさんの登場。竹製のトロンボーン(竹んボーン改めあらた誠五音)と竹製タップシューズによるコラボ演奏だった。前座の中西さんとの掛け合いトークでこの珍しい楽器と演奏の紹介が行われた。どちらの楽器も初めて見る不思議な演奏だった。
 休憩の後、地元の筝曲サークル「白ゆり会」の11人のメンバーによるお琴と三味線演奏が始まった。筝曲古典の演奏は正直よく分からない。三曲の演奏の最後の日本のわらべ歌のメドレーだけは知ったメロディーが琴の音で演奏される様を興味深く聴いた。
 最後の演目は愉しかった。観客も含めて会場の全員が加わって東日本大震災の応援ソング「花は咲く」が歌われ、演奏された。全出演者が勢揃いして11面の琴、フルート、尺八、ピアノ伴奏による和洋楽器のコラボ演奏だった。
 2時間のコンサートを終えて会場を後にした。山口という小さな町に生まれた山口ホールを舞台に様々な文化が着実に定着しつつあると思いながら。

一絃琴(須磨琴)の伝承2014年07月14日

 前日に引き続いて昨日もコンサートに出かけた。今度は「~琴のしらべ~観賞会」と銘打った一絃琴(須磨琴)と筝曲の演奏会だった。地元友人が主宰する「山口雅楽の会」の主催である。
 会場は山口町徳風会館で演奏会場の竹庭庵和室には初めて入った。山口特産の竹林をめぐらした庭園の中の和風建物である。16畳の和室の会場で30名定員で入場整理券が発行されたようだ。ところが定刻16時には約40名の参加者がつめかけ大盛況である。
 第一部が3名の奏者による須磨一絃琴の演奏である。和服に身を包んだリーダー格の上品なご婦人から須磨一絃琴の解説があった。
 「一絃琴は、平安初期に在原行平が須磨に流された時、渚に打寄せられた舟板を拾い、それに冠の緒を張り、岸辺の葦を指にはめて弾じ、みずからの寂しい境涯を慰めたのが始まりと伝えられている」とのこと。また配布資料には「須磨琴保存会は、須磨琴発祥の地・須磨に、その伝統をよみがえらせ、守り育てることを目的として、昭和40年、須磨寺を本拠地として発足しました」とある。50年近い歴史を持ち、昭和51年には兵庫県重要無形文化財の指定を受けた伝統と格式のある演奏グループである。
 演奏が始まった。何しろ1m余りの一枚の板に一本の絃を張っただけの、きわめて簡単、原始的な小琴である。これをもって様々な音曲の音色を奏でなければならない。「八千代どり」「敦盛春秋」「須磨の関屋」「今様佛恋」の4曲が演奏された。最後の曲は雅楽の会の笙と篳篥(ひちりき)も加わったコラボ演奏だった。単に琴の演奏だけではない。各曲目には今様がついている。平安末期に後白河法皇が収録されたとされる梁塵秘抄にある今様の歌詞を唄いながらの演奏だった。中でも圧巻だったのは、3人の奏者のアップテンポな曲での一糸乱れぬ息の合った演奏ぶりだった。30分ほどの演奏を終えて第二部に移った。
 第二部は県立西宮高等学校筝曲部の筝曲演奏である。本来建物外の竹庭での演奏だったが、あいにくの雨模様で舞台は急きょ大会議室に移された。会場には一般入場者も参加し約50名の観客となった。総勢18名の女生徒たちによるアンコール曲を含めて4曲が演奏された。一度に10数面の13弦が奏でられたのだが、いかんせん迫力や奏楽の点では3面の須磨一絃琴に及ばないという気がした。奏者たちの年季の入れ具合の相違は如何ともしがたいということか。
 それにしても1時間余りの興味ぶかい貴重なコンサートだった。山口での初めてのこの試みを実現させた主催者の努力にあらためて敬意を表した。

娘のプチ同窓会帰省2014年07月15日

 先週の金曜日夜から日曜日昼過ぎまで娘が帰省していた。中学・高校の仲良し同級生3人のプチ同窓会だったようだ。土曜日の昼過ぎに自宅前に同級生二人が乗車するマイカーが停車した。待ちかねたように娘が玄関を出て行った。後を追うように二人と面識のある家内が続いた。
 父親の出番はない。それでも同級生のひとりとは現役時代に面識もありおしゃべりもした。家内の最寄り駅でのマイカーの出迎えで、幾度となく娘ともども同乗した人だ。そんな気分も手伝って台所の窓から女性たちの束の間のおしゃべりの様子を窺った。
 マイカーの左側の窓から幼児と赤ちゃんの顔が見えた。同級生二人の子どもたちだ。娘たちはもはやアラフォー目前である。母親になっていても不思議はない。3人のアラフォーと2人の子どもを乗せた車が出発した。
 夕食の食卓での娘とのやりとりである。「友だちの子どもたちは可愛かったか?」。「そら可愛いかったな~」。「むずかってなかったか?」「むずかるって何?」。むずかるという言葉を知らない娘に驚いた。無理もない。育児の経験がないのだから。娘に「むずかる」という実感を味わう日が来ることを祈った。

空き家実態調査2014年07月16日

 民生委員の担当地区の空き家の実態を調査した。前回の民生委員の地区定例会で市から依頼のあった調査である。配布された住宅地図を見ながら空き家とおぼしき家を点検して廻った。空き家の表札の有無、庭木の手入れ具合、建物の老朽化などで生活感などを確かめた。その上で曖昧な家については近隣の知人に電話して確認するとともに空き家のもたらす影響等の聞き取りも行った。高齢者実態調査で既に空き家と分かっている家もある。
 担当地区の総戸数は360戸余りである。最終的に空き家は14戸を数えた。空き家率は約4%で全国平均の13%からかなり低い。とはいえ分譲開始後30年余りの新興住宅地で、14戸もの空き家は予想外に多かったともいえる。
 調査を通じて空き家になった事情がいくつかに分類されることが分かった。第1は、投資目的で土地を購入した場合である。開発当初の土地売却条件に5年以内の着工が義務付けられていたこともあり転売できずに着工した事例である。建築後一度も人が住んでいなかったりセカンドハウス的に利用されている場合が多い。第2は、経済的事情で持ち家を売却したものの買い手がなく空き家のままになっている場合である。第3は、住人の高齢化によるものである。高齢化で移動手段の不便さから便利なマンション等へ転出したり、家族に引き取られたり、施設に入居したり、死亡したりといった事情で空き家となる。第4は、親の介護や実家を継ぐために持ち家を残したまま田舎に帰る場合である。
 第1の事情以外は、昨今の経済環境や少子高齢化の時代背景を考えれば今後ますます増大することは疑いない。空き家の増大がもたらす悪影響は言うまでもない。今回の調査を空き家対策の第1歩として行政への回答とともに対策着手の要望を添えて発信した。

つどい場さくらちゃん2014年07月17日

 先日、エビスタ西宮で久しぶりに再会した知人とランチした。1時間余り積もる話を交わした後、知人が懇意にしている「NPO法人つどい場さくらちゃん」に案内してもらった。「つどい場さくらちゃん」は、阪神西宮駅東出口のすぐ南側の民家にあった。知人が玄関引き戸を開けて奥に声を掛け、「どうぞ」の声にいざなわれて奥の食堂に入った。
 早速、理事長の丸尾多重子さんと名刺を交わした。実は彼女とは初対面ではない。5年前に西宮市地域福祉計画策定委員会の公募に応募し、1年間公募委員として委員会に出席した。その時の同じ委員に丸尾さんも参加されていた。食堂にはテーブルを囲んでたくさんのお年寄りの姿があった。中には高知からの訪問者もあるとのこと。帰路のさくらやまなみバスの発車時刻が近づいていた。挨拶を交わした後、たくさんの事業紹介パンフ等を戴いて辞した。
 バスの車中でパンフを読んだ。誕生から10年の「つどい場」である。丸尾さんのお母さんと丸尾さん自身の母娘二代の壮絶な介護体験が「つどい場」つくりの原点である。彼女自身は母、兄、父の3人の家族を10年間に渡って介護しそれぞれを在宅で看取ったという。そのほとんどは介護保険のない時代の介護だった。その困難さと厳しさは想像を絶するものがあったことだろう。その体験と想いが介護に関わる人たちへの支援の場づくりにこめられている。
 つどい場さくらちゃんは4つの事業を展開する。介護する人の支援と交流の場「つどい場」、介護者も介護される本人も家からでて買物、食事、旅行などのおでかけをサポートする「おでかけタイ」、介護に携わる介護職、家族などが介護について学びあう「学びタイ」、介護者のリフレッシュや息抜きの間の被介護者の見守りや、介護者本人の気持を聴く場である「見守りタイ」である。そのどれもが永年の介護事業の体験の中から生み出された分野である。
 2025年問題を語るまでもなく、超高齢化に向けて「介護」は避けて通れない地域の共通のテーマとなる。「介護」をキーワードとした支援組織はどの地域にも欠かせない時代が目前に迫っている。我が町の「つどい場」づくりに向けた取組みを心した。

ご近所のおじいさんと散歩道で雑談2014年07月18日

 有馬川緑道を南に向かっていつもと違う散歩道を歩いていた。見覚えのある年配男性の後姿が前を歩いていた。何度か同じ道でみかけたことのあるご近所の80代のおじいさんだ。奥さんは入院中で目下お一人住まいである。ご自分も1年ほど前に大病を患い何か月かの入院を経て退院された。リハビリも兼ねた朝の散歩が日課になっているようだ。民生委員の担当地区の気がかりな方のひとりである。
 追いついて声を掛け、歩きながら雑談した。返される言葉の端々に息切れの様子が窺える。思いついてセントポーリアの24時間見守りサービス http://www.ryokuhokai.com/pdf/mimamori.pdf の話をした。「現在、大阪ガスのホームセキュリティサービスを契約しているので何かあれば緊急コールで係員が駆けつけてくれる。ただそれは在宅の時だけなので、こうして外出時のトラブルには対応できない。その点GPS機能のついた見守りケータイは役立ちそうだ。どっちにしても子どもたちと相談しなければならない」とのこと。「では、ご家族との相談用にパンフレットをポスティングしておきます」と告げてお別れした。
 民生委員という役回りを引き受けることで様々な方との交流が生まれる。会話を通じて10年後20年後の自分の姿が見えてくる場合もある。そうしたことも実は日常的な問題意識の有無が左右する。そんなことも教えられた散歩道の雑談だった。

老後の連れ合いとの逝き別れ2014年07月19日

 先日、地区ボランティアセンターに9時から12時まで詰めた。ボランティアコーディネーター(VC)の当番の日だった。12人のVCが二人ずつ当番を分担して担当している。VCの中で私はたった一人の男性である。当然ながら相方はいつも女性である。3時間ばかりをオジサン相手に過ごさねばならない相方には気の毒というほかはない。
 先日の相方は私より年配のざっくばらんでおしゃべり好きな方だった。もっともおしゃべり好きでない年配女性にはなかなかお目にかかれない。色んなおしゃべりをした。面白かったのは世の年配の奥様方のご主人との死別後の過し方についての話題だった。
 60歳前後でご主人を亡くした奥さんは、すぐに立ち直って第二の人生をルンルンで謳歌するケースが多いという。その年齢だと健康的にも経済的にも余裕があり、お友だちと旅行や趣味や食事会で存分に楽しめるようだ。勘ぐって考えてみれば亭主の退職金や保険金をたっぷり受け取った上で、リタイヤ亭主と顔を突き合わして暮らす憂鬱な日々からも解放されるわけだからこれほど美味しい話はない。
 70前後で未亡人になった場合は、そうはいかない。体力も気力も経済力も先細りしてきた矢先の連れ合いとの別れである。頼みの綱の年金は半額になるし、本人支給の企業年金は全額カットの憂き目を見る。お友だちとの交遊も狭まり、食事をつくっても食べさせる相手はいない。そんなことから70を越えれば経済的にも精神的にも連れ合いとの日々がかけがえのないものに思えてくる。亭主の長生きを祈るほかはないことになる。
 要は、逝くなら早目に、逝かないならできるだけ永くということか。中途半端が一番よくない。世の奥様方はかくも現実的でタフな心根をもって生きている。考えてみればこれは亭主の側にも当てはまる理屈かもしれない。いや亭主の場合は60歳前後で連れ合いに先立たれたら主婦たちほどには立ち直れまい。再婚できるのはよほどの経済力の持ち主か魅力的な人物である。再婚もできない家事もこなせないごく一般的なやもめの老後は悲惨である。おのおの方!心して準備めされよ。

大詰めのミュージカル有間皇子物語公演2014年07月20日

 8月末公演の市民ミュージカル劇団『希望』のミュージカル有間皇子物語のチケット販売が好調である。公演まで1カ月余りを残したこの時期に4回公演のチケットがほぼ完売状態である。
 一昨年4月の後援会総会で創作ミュージカル有間皇子物語の公演を確認した。昨年の総会では「有間皇子物語を成功させる会」の立上げを確認し、実働組織を整えた。そして今年の総会では「成功させる会」の着実な取組みの報告を行うとともに、有間皇子物語のハイライトコンサートを上演した。
 3年前にこの公演を決定した時、創作ミュージカルという莫大な資金を要する公演が果たして可能だろうか、山口という小さな町に4回公演で800人近い観客の来場が期待できるだろうか等の不安は隠せなかった。以来、後援会員はじめ多くの地域や行政や関係者の支援を得て、様々な苦難を乗り越えてようやくここに至ったという感慨が深い。
 好調なチケット販売も含めて多くの方の資金支援で公演は何とか黒字化が期待できそうだ。観客動員もほぼ満席の見込みである。公演までの残された40日間を劇団員たちのよりレベルアップした演技に向けた奮闘を期待するともに、円滑な上演環境づくりに向けて後援会、成功させる会の最後の踏ん張りが求められている。