さらば市民?劇団 ― 2015年04月25日
市民ミュージカル劇団『希望』後援会の第5回総会が開催された。会場の山口公民館会議室に16名の一般会員に出席頂いた。5名の役員を含めて21名の参加者で開会された。
後援会事務局長として今年度の活動報告と会計報告及び「有間皇子公演を成功させる会の取組み」を報告した。特に意見はなく承認され、次の議案「後援会の解散と『友の会』の設立」が会長から提案された。「後援会設立4年を経て、当初の目標だった有間皇子物語公演を昨年成功裡に終えた。後援会はその大きな役割を果たし、劇団も今後新たな歩みを進めることになる。そこでこれを機に後援会は解散し、劇団『希望』友の会として改編したい」という趣旨である。友の会の具体的な活動内容等の質問があったが最終的に承認された。
個人的にも後援会設立に直接関わり、劇団の産婆役の一員でもあった。市民ミュージカル劇団『希望』の命名にも込められた山口の地での住民参加の新たな文化の創造という想いもあった。劇団の公演を重ね、有間皇子物語公演の準備に奔走する過程で、劇団代表との立場やスタンスの相違が目につきだした。後援会運営の在り方や後援会が行う公演広報やチケット販促の手法についての見解の違いが明らかになった。「作品ありき」の代表のスタンスは市民目線の後援会運営やチケット販売の手法とは相いれないものがあったようだ。後援会会員の気持を代弁する立場の私としばしば激論が交わされた。最終的にそれは永遠に交わることのない相違点であることも思い知らされた。有間皇子公演をやり遂げるという一点が後援会活動を続けるギリギリの支えだった。そして公演が成功裏に終えた時、私の役割は終わったと思った。
後援会解散は役員の総意である。もちろん上記の想いからすれば私自身も継続を主張する立場になかった。とはいえ後援会の存在が「市民」ミュージカル劇団を色濃く性格づけしていたことも事実だろう。その後援会の解散に伴い、劇団代表の意向がストレートに反映される劇団公演が実現されることになる。有間皇子物語に出演した劇団員も半数が退団し、新たな劇団員が入団している。会長が言及した「劇団も今後新た歩みを進めることになる」とは、そういううことだろう。私自身もこれをを機に劇団と距離を置くべきと思っている。「さらば市民?劇団」!である。
後援会事務局長として今年度の活動報告と会計報告及び「有間皇子公演を成功させる会の取組み」を報告した。特に意見はなく承認され、次の議案「後援会の解散と『友の会』の設立」が会長から提案された。「後援会設立4年を経て、当初の目標だった有間皇子物語公演を昨年成功裡に終えた。後援会はその大きな役割を果たし、劇団も今後新たな歩みを進めることになる。そこでこれを機に後援会は解散し、劇団『希望』友の会として改編したい」という趣旨である。友の会の具体的な活動内容等の質問があったが最終的に承認された。
個人的にも後援会設立に直接関わり、劇団の産婆役の一員でもあった。市民ミュージカル劇団『希望』の命名にも込められた山口の地での住民参加の新たな文化の創造という想いもあった。劇団の公演を重ね、有間皇子物語公演の準備に奔走する過程で、劇団代表との立場やスタンスの相違が目につきだした。後援会運営の在り方や後援会が行う公演広報やチケット販促の手法についての見解の違いが明らかになった。「作品ありき」の代表のスタンスは市民目線の後援会運営やチケット販売の手法とは相いれないものがあったようだ。後援会会員の気持を代弁する立場の私としばしば激論が交わされた。最終的にそれは永遠に交わることのない相違点であることも思い知らされた。有間皇子公演をやり遂げるという一点が後援会活動を続けるギリギリの支えだった。そして公演が成功裏に終えた時、私の役割は終わったと思った。
後援会解散は役員の総意である。もちろん上記の想いからすれば私自身も継続を主張する立場になかった。とはいえ後援会の存在が「市民」ミュージカル劇団を色濃く性格づけしていたことも事実だろう。その後援会の解散に伴い、劇団代表の意向がストレートに反映される劇団公演が実現されることになる。有間皇子物語に出演した劇団員も半数が退団し、新たな劇団員が入団している。会長が言及した「劇団も今後新た歩みを進めることになる」とは、そういううことだろう。私自身もこれをを機に劇団と距離を置くべきと思っている。「さらば市民?劇団」!である。
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