中谷巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」(その3)2009年03月03日

 本書はグローバル資本主義に内在する本質的な欠陥を指摘している。それ自体は説得力のある指摘であり、異議なしである。とはいえ世界の圧倒的多数の国が市場経済を受入れ、市場が国境を超えてグローバル化しているのも現実である。もはや資本主義経済体制は他に選択の余地のない枠組みではないかという空しさも否定しがたい。こうした見方についても著者は肯定した上で尚この地球上に存在する他の二つの選択肢を披瀝する。 
 ひとつは独自の社会主義体制を堅持させつつその特性を活かして高度な医療体制を築きあげたキューバである。草の根レベルの医療体制を作り上げることで社会全体の一体感や幸福感を高めていると報告する。
 今ひとつはヒマラヤ山脈にある立憲君主国ブータンである。ブータンは一種の「鎖国状態」を堅持し資本主義化の道をあえて拒否している国である。その背景には1972年に当時の国王が「国民の幸福は決して経済発展では測れない」という観点からGDPの追求でなくGNH(国民総幸福量)の向上を目指すという国家理念を掲げ、その方針を多くの国民が支持したということがある。それはブータンの人々が精神的にはチベット仏教に基づく伝統的な生活を守りつつ豊かな自然と調和して生きていくことを選んだということである。
 著者はキューバとブータンが社会システムこそ違うが、ともにグローバル資本主義のネットワークに入ることを主体的に拒否して独自の道を歩んでいる貴重な国であると断じる。そして近年に両国を訪問した際の印象を「彼らの明るさ、およそ人を騙して何かを目論もうといった雰囲気がまったくない社会の安定感、そして何よりも、貧しくはあってもそれによって精神までは蝕まれていないという社会の健全さが強烈な印象を与えた」と報告する。またキューバやブータンが実際の領土や経済力よりもずっと大きい存在感を持っており、独自の存在感をアピールし、国際社会で支持を増やすことでソフトな国家防衛をしているとコメントする。
 グローバル資本主義体制に組み入れられていないキューバとブータンの生き方と国民の幸せ感のある暮らしぶりの報告は、目から鱗の想いを抱かせられる。とは言え尚疑問が残るのも事実である。なぜなら両国の生き方はそれ自体肯定できるとしても、それを高度に資本主義化した日本に導入できるとは到底思えないからである。
 この点についても著者はキューバ、ブータンの生き方ではない第三の道を提示している。アメリカ流の新自由主義と対極の北欧の国々のあり方である。従来の市場主義から言えば手厚い福祉は国民の勤労意欲を奪い、高い税負担が競争力を弱めるとされてきた。ところが今、デンマーク、スウェーデン、フィンランド等の「高福祉・高負担」の北欧諸国が高い経済競争力を示していると指摘する。その根本的な理由としてそこに暮らしている人たちが「安心感」を持って働いている点にあると考える。それらの国々の70%を超える国民負担率を、国民は自分たちの現在と未来の生活を守るために拠出していると考えているからである。実際デンマークでは40年間居住して税をきちんと納めてさえいれば年金が全額給付される。デンマークの年金制度は日本のように保険料方式でなく税方式であるため財源が安定し将来を心配する必要がないというわけだ。
 こうした論拠を踏まえながら著者は、「新自由主義だけが『正解』でない。それとはまったく別のやり方で国民が幸福に暮らせる国が地球上に存在するという事実を知ってもらいたい」と訴える。
 目を我が国の政治状況に転じると、余りにもお粗末な実態は目を覆うばかりである。さりながらこれ以上現状の政治に目をそむけ、結果的に容認するわけにはいかないのも事実である。この著作を通してあらためて自分なりにできる可能なところからコミットしてみようと思った。