緒方洪庵の適塾を訪ねた2009年03月07日

 昨日、天王寺で映画「七つの贈り物」を見終えて、地下鉄・淀屋橋駅に着いた。労働委員会のある天満橋まではいつも歩くことにしている。北浜まで続く地下街の途中で最寄りの観光スポットの案内図を目にした。適塾の文字が書かれた場所はすぐ近くだった。会議までたっぷり1時間半の余裕がある。寄り道をすることにした。
 適塾は、淀屋橋駅の東約500mの土佐堀通りの一筋南の通りにあった。高層のビル群に囲まれた空間に、江戸末期の商家の佇まいが忽然と現われた。板貼りの腰壁、格子、白壁、灰色の瓦屋根がコントラストをなす美しい建物である。玄関横の案内板には、「この建物が洪庵が1845年に住宅として買い受け、その後17年間に渡って適塾を開いたところである」とある。両隣は和風庭園と洋風広場で整備され、史跡・重要文化財「適塾」の面目が遺憾なく発揮されている。
 玄関脇の受付で参観料250円を支払い順路に沿って奥に向う。中庭を囲む廊下を抜けると居室用の二間の座敷がある。洪庵肖像の掛軸が目を引く。土蔵のある前庭の緑の植木に癒される。右隣の家族部屋には洪庵とその妻・八重の肖像画や両家の家系図が陳列されている。八重は私の住む街の隣町・名塩の出身である。父・億川百記は洪庵の先輩であり、名塩には今も「蘭学通り」の名が残っている。急な階段を伝って二階に上がる。当時の唯一の蘭日辞典・ヅーフを納めたヅーフ部屋を抜けると塾生の大部屋がある。大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介、福澤諭吉などの幕末の俊才を輩出した部屋だ。多くの資料が展示され、塾生達の事跡の解説パネルがある。ビジネス街から突然タイムスリップして江戸末期の異空間に遊べる史跡だった。
 今日の夜、NHK土曜時代劇「浪花の華」の最終回を見た。若き日の洪庵(章)が活躍する捕り物帳である。洪庵が学ぶ私塾「思々斎塾」の塾生部屋の舞台装置は、目にしたばかりの適塾の塾生大部屋そっくりだった。5日前の日曜日には、洪庵の生誕地である岡山市足守地区を訪ねたばかりだ。一連の洪庵との出合いの不思議さを想った。