トルコツアー六日目前半「世界遺産・イスタンブール歴史地区観光」2009年03月18日

 アンカラエキスプレスの2段ベッド上段での4時30分の目覚めだった。目覚めというよりまどろみから戻ったというべきか。ことほどに初体験の寝台列車の寝心地は想像以上の振動に悩まされた。身支度を整え、ベッドを壁際に戻してくつろぐ。真っ暗な車窓の景色を楽しむ術はない。6時前に食堂車に行き朝食を取る。グループ毎に時間帯が決められているようだ。6時半までが私たちのツアーの朝食時間だ。すでに各テーブルにプレートに盛り付けられた朝食がきれいに準備されている。個室に戻り、しばらくすると昨晩の車掌がシーツの片付けにやってきた。片付け後も佇んでいる。ここでチップを渡すことにようやく合点した。食後の用便は各号車に2ケ所のトイレで行う。ひとつは日本の和式トイレに近い構造のトルコ式である。試しにこちらで用を足した。洋風に慣れた身には辛いものがある。直系10cm程の穴に命中しなければ自分で桶に水を入れて後始末する羽目になる。
 列車が定刻どおりにイスタンブールのアジア側終着駅に着いた。いよいよ今回ツアーのハイライト「世界遺産・イスタンブール歴史地区観光」のスタートである。
 イスタンブールは、ビザンチン帝国からオスマン帝国にかけて1500年間の都として栄華を極め、シルクロードの終着点だった都市である。私にとっては愛読した塩野七生さんの「コンスタンチノープルの陥落」の舞台として興味深くぜひ訪れたかった街である。
  http://ahidaka.asablo.jp/blog/2008/07/22/3643036
文字どおり「ヨーロッパとアジアの架け橋」の街でありボスポラス海峡を挟んで両大陸に跨がる街である。ヨーロッパ側は金角湾という入り江によって旧市街と新市街に分れている。数多くの歴史的建造物が並ぶ旧市街全体が世界遺産登録をされている。 
 列車を降り、各自スーツケースを押して待機中のバスまで移動する。ここから旧市街観光に向かう。市街に向かう車がボスポラス大橋を目指して集中する。地方選挙の真っ最中の市街地は、候補者写真や政党の旗が通りを埋めている。ヨーロッパ側終着駅の国鉄イスタンブール駅の前を通り、渋滞の中最初のスポットであるブルーモスクに着いたのは9時15分だった。
 バスを降りてブルーモスク(正式名称:スルタンアフメット・ジャーミィ)の正面に来た。その圧倒的な規模と迫力に思わず息を呑む。巨大なドームとそれを取り囲む6本の尖塔(ミナーレ)が美しい姿で迫ってくる。堂内に入ると再び驚かされる。とてつもなく広いガランとしたフロアが広がっている。余りにも高い丸天井と大小の多くのステンドグラスから差し込む光が幻想的な世界をかもしている。内壁を青を主体とした無数のタイルが飾っている。ブルーモスクの愛称の所以である。堂内の一角で時おり信者が跪いて祈りを捧げている。まぎれもなくここは現役のイスラム寺院なのだ。  
 そのまま歩いてトプカピ宮殿を訪ねる。15世紀半ば以降400年間、歴代オスマン朝の支配者スルタンの居城だった建物である。コンスタンチノープルと呼ばれていたビザンチン帝国の首都を陥落させ、滅亡させたオスマントルコのマホメッド2世によって着工された。正面の皇帝の門をくぐり広い庭園を行くとチケット売場になる。手荷物のX線検査があり数名の警備員が固める物々しい警備である。再び庭園が広がりその先に威厳のある送迎門が待っている。この門を抜けると正面の庭園の右にかっての厨房、左にハレムが奥に縦長に建っている。正面の幸福の門の先が宮殿の中枢部だったところで、謁見の間、宝物館、図書館等がある。4つの部屋に分れた宝物館には84カラットのダイヤを始め数多くの至宝が陳列されている。物々しい警備態勢の意味を理解した。宮殿の北端の左右は展望台のようになっている。右側からはボスポラス海峡が、左側からは金角湾が一望できる。三方を海に囲まれた丘の先端に建つこの宮殿の戦略的な立地に気づかされる。
 ツアー最後のスポット・グランドバザールは宮殿西500m程の所にある。四方400m位の一角に縦横に通りが走っている商店街である。東南の角の正面入口には風格のあるアーチ型の石造りの門があった。コーナーごとに貴金属、カーペット、土産物等に分れている。1時間の自由時間を持て余しながら観光客で賑わう通りを散策する。黒い衣装に包まれたイスラムの女性たちがエキゾチックな雰囲気を漂わせる。  
 トプカピ宮殿東側のレストランに着いたのは1時40分だった。早い朝食に遅い昼食が重なりツアー仲間からは空腹を訴える声が相次ぐ。ボスボラス海峡に面した絶好のロケーションで鱈のグリルがメインの昼食となる。昼食後、オプショナルツアー参加組25人とと自由行動組8人に分れる。ツアーグループがアヤソフィアで降ろされ、私たち自由行動組は更にバスで合流地にもなるエジプシャンバザール入口まで運ばれた。

トルコツアー六日目後半「自由行動(エジプシャンバザール~アヤソフィア)」2009年03月18日

 近所のご夫婦とツアー仲間の姉妹二人組の6人でエジプシャンバザールのショッピングを開始。昨年末に娘が買物をして仲良くなったお目当ての店がある。全店舗にNoがついているので分かりやすい。48番の雑貨の店「エドまっちゃんの店」を見つけた。娘と一緒のまっちゃんの写真を店主に見せて「私の娘です」と自己紹介する。巧みな日本語で応答しすぐに話が通じる。早速、ビスタシオが欲しいというと2軒隣の食品の姉妹店に案内される。お菓子類や小皿のお土産を買込んだ後、店主も交えた記念写真を撮って店を後にした。
 姉妹二人組と別れて、そこから歩いて約1.5Km南東のアヤソフィアに向かった。先にすぐ向かいの地下宮殿を観光する。10リラを払って階段を降りると、アーチ型の天井を無数のコリント式円柱が支える巨大な地下貯水池が広がっている。全円柱の根元からライトアップされ、その幻想的で不思議な光景に思わず感嘆の声が漏れる。見学用の回廊沿いに奥に進む。突き当たりの壁際に巨大なメドゥーサの顔の石像が2体あり、円柱の基礎をなしている。
 向かいのアヤソフィアに入場する。ガイドブックには10リラとあった入場料はいつの間にか20リラになっていた。4世紀から6世紀にかけてビザンチン帝国の国教であるギリシャ政教の大本山として建造された寺院である。オスマン朝時代にはイスラム寺院に変えられ、共和国になって博物館として一般公開された。入場すると警備員の案内ですぐに石段を上がり2階ギャラリーから見学する。南回廊にはビザンチン文化を象徴する聖母マリアやキリストのモザイク画が残されている。天井を覆う巨大なドームが観る者を圧倒する。回廊手摺りから見下ろす堂内の高さと広がりに驚嘆させられる。
 アヤソフィアを出てツアー合流地のエジプシャンバザールに向かう。トラムに乗ってみることにした。地図を片手に駅を捜していると現地の若者が話しかけてきた。駅の場所ばかりかジュトンという専用コインの販売所まで教えてくれた。スルタンアフメット駅の改札機の投入口にジュトンを入れ、バーを抜ける。トラムに乗車する。込み合った車内の目の前に日本人の若いカップルが乗り込んできた。雑談していると、食べてみたかった名物サバサンドが下車駅のすぐそばで売っていたとい情報が得られた。エミノニュ駅で下車し、屋台風の店で早速サバサンドを購入した。夕食間近なので4人で1個のサンドを分け合った。4リラで大きなバケットパンに熱々の片身の焼き鯖とサラダが挟んである。ミスマッチな味がなんとも言えない美味しさを生み出している。
 すぐそばのエジプシャンバザール入口に戻ると、既にオプショナル・ツアーを終えたグループの姿があった。5時半の合流時刻にバスに乗車し、夕食に向かう。旧市街の金角湾沿いの民家風のレストランだった。メニューは代表的トルコ料理のキョフテだ。いくつかの小さなハンバーグと小さなピザがチキンライスに載せてある。こちらはたいしたことはなかったが、添えられた大きく膨らませた熱々の薄焼きパン(ラヴァーシュ)の美味しさに納得した。
 7時半には初日と同じホテルのユーロ・プラザにチェックインした。自由行動で歩き回った身には、外出してナイトライフを楽しむ余力はもはやない。入浴を済ませ友達ご夫婦と名残りを惜しむ会でビールを傾けるに留めた。10時前にはベッドで最後の眠りに入った。本日の万歩計は、自由行動での自力徘徊が奏功し、23790歩と脅威のカウントを記した。